第28章 奪還
楓と岬は、カプセルに眠るLF-99から目を離せずにいた。冷たい空調の風が頬を撫でるたび、この空間の異質さが肌に突き刺さる。計測機器のランプが一定のリズムで点滅し、それがまるで少女の鼓動を外部に映し出しているようだった。
「……どうする? このまま搬出できるのか?」
岬の声は低く、しかし焦りを隠せない。楓は唇を噛み、カプセルの端末に視線を移す。
『楓さん、手持ちの端末を接続してください。こちらから直接制御に入ります』
アールの指示に従い、楓は素早く背負っていた小型端末を取り出し、施設の端末とケーブルで接続する。接続ポートに差し込んだ瞬間、端末の画面が起動音とともに光を放ち、複雑なコード群が流れ始めた。
鍵のマークが赤く点滅し、アクセス権限の入力を要求していた。
『ロック解除を試みます。ただし、この解除行為は監視網に検出されるリスクが高いです』
アールの警告に、楓は短く頷いた。
「構わない。やるしかないわ」
解除シーケンスが走る中、岬は室内の出入り口に視線を送り、耳を澄ませる。遠くで、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。重く、ためらいのない足音——。
「公安の妨害部隊だ。鬼島が指揮している」
アールとの通信越しに久賀が叫んだ。
岬がパッと振り返り、扉を睨んだ。
「来るぞ」
「アール!」
その言葉に、楓はさらに操作を急がせた。端末の画面に進捗バーが現れ、じわじわと右端に伸びていく。しかし、それと同時にアールの音声が緊迫感を帯びる。
『外部からセキュリティプロトコルが書き換えられています……鬼島の部隊がアクセスを妨害しています』
岬が拳を握りしめ、出入口に歩み寄る。
「時間を稼ぐ。お前は続けろ」
次の瞬間、廊下から低い声が響く。
「中にいるのは分かっている。LF-99から離れろ」
鬼島の声だった。その背後で、金属の安全装置が外れる音が複数重なる。楓の心拍が一気に上がる。
「岬……」
「大丈夫だ。まだ間に合う」
岬はドア横の影に身を潜め、侵入してくる足音の方向に視線を固定した。楓の手元では、進捗バーがあと数ミリで端に届こうとしている。
警告音が短く鳴り、ロック解除の緑色が点灯した。
『解除成功』
その瞬間、扉が破られ、複数の影が雪崩れ込んでくる。岬は迷わず一人を押し返し、もう一人の腕を掴んで投げ飛ばした。室内の緊張が爆発音のように弾けた。楓はカプセルの制御レバーを引き、LF-99の保存液がゆっくりと排出されていくのを見つめた。少女のまぶたが、わずかに震えた。
『岬さん戦闘中につき、楓さん、背負えますか?』
アールの声に楓は即座に頷き、少女を背にのせた。
耳をつんざくような警報音。赤色灯が回転しながら壁と天井を染める。アラートの閃光に照らされながら、楓はLF-99を背負い必死に走る。
『別の扉を開けます。奥へ!』
少女の軽すぎる体重が逆に不安を募らせた。いつの間にか追い抜き前方に来ていた岬は、開きかけた扉を肩で押し開くと、工具でこじ開けた。
「行け!」
楓は慌てて前方に倒れ込むようにして走る。
扉の先は窓のない非常階段だった。
だが数階降りたところで、金属シャッターが轟音を立てて降りてきた。
『経路閉鎖、作戦18に切り替えてください』
岬は迷わず拳銃を抜き、側面の制御盤に照準を合わせて引き金を引く。火花が散り、電源部が焼け落ちる。途端にシャッターが途中で停止し、熱風が逆流して階段を駆け上がってきた。煙が視界を覆い、二人は咳き込みながら駆け抜ける。
「火災センサーを逆用して逃げろって、どんな作戦よ!」
楓が息を荒げながら叫ぶ。
「有効なら、何だって使う!」
岬は振り返らず答えた。
階段を駆け降りた先は車両格納庫。だが、そこには待機していた公安部隊が待ち構えていた。銃口が一斉にこちらに向けられる。岬は楓の前に躍り出て、低く構えると一気に突進し、敵の注意を引きつけた。
「時間は稼ぐ。逃げろ!」
『楓さん、右です』
その声に楓は迷わず脇の配管経路へ走り込み、背中のLF-99を守るように姿勢を低くして進む。狭い鉄製の通路を抜け、外気が頬を打つ瞬間、視界に白いトラックが飛び込んだ。アールが用意していた逃走用の車両だ。
楓はLF-99を抱えたまま荷台に飛び乗り、ドアを蹴って閉める。
直後、エンジンが唸り、トラックは無人のまま動き出した。アールの遠隔運転だ。
楓は呼吸を整える間もなく、震える小さな体を抱きしめた。少女の髪が湿った額に触れ、その体温がかすかに伝わってくる。
外は雷雨。フロントガラスに叩きつける雨音の中、楓は少女を抱きしめて固まっていた。
「どうにか……なった。この子を助けられた」
岬はどうだっただろうか、思いを馳せていると突然「ガタン!」と荷台に衝撃が走った。
振り返ると、びしょ濡れの岬がそこにいた。荷台から軽々と身を起こし、外を伝って助手席に滑り込む。
楓の顔を見ると、余裕そうに口元に笑みを浮かべた。
「楽しい任務だったな」
(……この男に恋をしないなんて、できるの……?)
雨粒がフロントガラスを流れ落ち、視界を歪ませる。そういえば——一度目のループで告白したのも、こんな雨の日の車の中だった。




