第25章 駆引
アールの分析結果を受けて、アジトの空気は再び沈黙に包まれていた。
LF-99。存在するはずのない“生存者”。 その記録の意味と重みに、楓も久賀も言葉をなくしていた。
久賀はしばらく無言でログを眺めていたが、やがて小さく息をついた。
「……やっぱり、岬の協力が必要かもしれない」
その一言に、楓ははっきりと首を振った。
「だめ。私が彼に近づいたら、また——」
その言葉の奥にある恐れと決意を、久賀は理解していた。
「……僕が動くよ。僕ならリスクはない。彼に直接接触する」
楓は迷ったが、やがて黙って頷いた。
しばらく無言のまま、アールの光が静かに瞬く。
「つまりはさ、彼が君に恋しなければ良いんだろう。僕が間に入って直接の接触は避けつつ、協力体制を築く。これが一番良い手じゃないかな」
岬に頼らずに済む方法はないのか、と自問しながらも、楓の胸には答えが浮かばなかった。何度繰り返しても彼はやっぱり真実に辿り着いてしまう。この流れは止められない。
*
公安庁舎の敷地を出た岬のもとに、久賀は待ち伏せするように声をかけた。
岬は一瞬、警戒の色を浮かべたが、すぐに足を止める。 
「……久賀」
久賀は笑みを浮かべたまま、答えない。 ただ、手にした端末を軽く掲げると、ディスプレイに映されたK12の断片的なログが目に入る。
岬の目がわずかに鋭くなる。
「どうやって、それを——」
久賀は肩をすくめた。
「君が本当に知りたいなら、ついてきてくれてもいい」
岬はしばらく沈黙し、そして静かにうなずいた。
*
静かなカフェの軒先。昼下がりの光の中で、ふたりはテーブルを挟んで向かい合う。
久賀は表情を崩さず、カバンから小さな端末を取り出した。テーブルに置かれたそれは、すでにログが開かれた状態だった。
K12計画の一部改竄ログ、そしてLFシリーズに関する公開されていない被験者番号。
それを見た岬は目を細め、そしてふと顔を上げた。
しばし視線を落とし、再び端末の画面に目を戻す。 スクロールするたびに現れるログの断片を、岬は目を細めてひとつずつ読み取っていった。
そして静かに口を開いた。
「……これ、本物か?」
久賀は頷く。
「K12の中でも最深部のログだ。普通の公安端末では掘れない。これを見て、君が何を感じたか、それを聞きたくて来た」
岬はテーブルに肘をつき、考えるように手を組んだ。
「怪盗エルか」
「君に隠し事はできないな」
久賀は苦笑しながらも、岬の目を正面から受け止めた。 そして静かに端末を閉じ、テーブルの上に両手を置いた。
岬は久賀の一挙手一投足をじっと観察している。
 
「手を組みたいのか?」
「できるなら。だが条件が一つある」
岬の眉がわずかに動く。
「……お前、変わったな?」
その問いに、久賀はわずかに眉をひそめる。
「変わった? そう見えるか?」
久賀は口元を緩めた。
「俺自身、それがどういうことかまだ分かってない。ただ、変わってるとしたら——その理由を知りたい」
岬はそれ以上は聞かず、視線を落とす。
「……なぜ楓さん——怪盗エルに肩入れする」
握られた拳が、テーブルの下で白くなるほど力を帯びていた。
沈黙が一拍。
「……嫉妬か?」と久賀は内心で思った。
岬のまなざしには、確かに感情の揺らぎがあった。
「なぜお前が協力者に選ばれて、なぜ俺は——拒まれる?」
久賀は、どこか愉しげに口角を上げながら返す。岬の揺らぎを観察するように、その反応を待っていたかのようだった。
「なるほど、そう来たか。ループしても無駄なものがあるって証明されたのは、お前が真実に辿り着くことだけじゃない」
「……どういう意味だ」
久賀は肩をすくめ、芝居めいた仕草で息を吐くと、指先でテーブルを一度軽く叩いた。その目には、明らかに面白がっている光が宿っていた。
「いやね、運命ってあるんだなぁってさ。君と彼女はどうやったって引き寄せ合う。なのに——理性でそれを上回れるのか? 面白くなってきたね」
岬は小さく舌打ちし、視線を横にそらした。肩に力が入り、指先が紙袋をぎゅっと握りしめる。 テーブルの脚をわずかに軋ませながら、椅子に深く背を預けたその動きには、内心の苛立ちがにじんでいた。
「戯言はいい加減に……」
「彼女はさ——お前に惚れたくないんだよ」
岬の目が見開かれる。
「は?」
一瞬、言葉の意味を理解できずに固まる。 だが、次の瞬間には表情が引き締まり、久賀をじっと見据えていた。
理解しようとするように、あるいは認めたくない何かを押し殺すように——その視線には複雑な揺らぎが宿っていた。
「何を言い出すかと思えば……恋だと?」
「だから、お前が“絶対に恋をしない”と誓えば、彼女のそばにいられるよ」
岬は何も答えなかった。
その手の中で、小さな紙袋がくしゃりと鳴った。
久賀は試すような口ぶりで問いかける。
「どうする?」
*
一方その頃。
アジトではアールの検索作業が粛々と続いていた。 モニターに走るデータの波が、やがて一瞬だけ静止する。
『検索完了。対象“LF-99”の関連搬送ログを検出。位置情報特定完了』
表示された地点を見た瞬間、楓は息を呑んだ。
かすかな震えを抑えながら、椅子を蹴るように立ち上がる。
「行く。今すぐ」
『移動ルートを確保します。車両手配中』
楓の瞳には、迷いはなかった。
“被害者”を救うために。今度こそ、誰も手遅れにしないために。
*
『“LF-99”位置情報を特定』
アールからその一報を受け取った久賀は、端末から目を上げ、岬に向けて静かに言葉を落とした。
「……彼女が、また危険の中に乗り込もうとしてる」
岬の眉がわずかに動く。
「悩んでる時間は、あまりなさそうだぞ」
久賀の視線は、岬の内側を見通すように静かに向けられていた。




