第24章 鍵
数日後、久賀がまた楓の隣室を訪れていた。
「急にどうしたの?」
椅子から振り返った楓が尋ねると、久賀は片手をポケットに突っ込んだまま、やや気まずそうに口を開いた。
「……ちょっと気になる記録が浮いてきてさ。K12の旧ネットワーク上に、財団から分離されたログ領域があるって。たぶん、表に出ない中間ログの保管場所」
「そんなものが、まだ残ってたの?」
「普通はアクセスできないけど、俺のIDなら……まあ多少、融通は利く」
その目には、軽さの奥に確かな焦りがあった。
「だからって、来なくても良かったじゃない」
「……なんとなく。君と一緒じゃないと、何か見落とす気がした」
楓は小さくため息をついたが、それ以上何も言わずに端末の前を空けた。
「アール」
『指定された領域を捕捉しました』
暗号化された旧公安庁の記録アーカイブに、アールが慎重に潜っていく。ミラーサーバをいくつも経由しながら、探り出された断片のひとつに、久賀の瞳が止まった。
「……この階層、普通は財団の役員クラスでも直では入れない。僕のIDで強制的に開けるけど、あとで履歴は消してくれ」
『了解。遮断済み。アクセス履歴は偽装ログに上書きされます』
アールの声が響く中、モニターに開かれたのは「Project K12 - 内部統合研究記録」と題された極秘ファイル群だった。
楓の指先が震える。
そこには、複数の被験者コードが並んでいた。
LF-11:緒方 澪 LF-05:青野 佳澄 LF-07:緒方 楓
「……何これ……」
楓が震える声で呟いた。 どこか現実味のない響きが、自分の口から漏れているのを自覚していた。
そして——もう一人。
LF-99:識別不明
各コードの横には、「記憶統合適性:高」「精神分離抵抗値:高」など、理解しがたい専門語が並んでいた。
「……これは……」
久賀が低く唸るように言う。
99人の被検体ナンバーのうち、実際に詳細な実験記録が残されている個体は限られていた。実験記録のある個体はすべてすべて「死亡」と記されていた。
だが、ひときわ異質だったのは——LF-99。
唯一、その少女だけが「生存中」と明記されていた。
「佳澄でさえ“死亡扱い”なのに……この子だけ、公式記録上で生きてる……?」
楓の声はかすれていた。
ページをめくっても、LF-99以降に続く記録は存在しない。
その少女が最後の被験者——あるいは、何かの“鍵”なのかもしれなかった。
楓は、しばらく何も言えなかった。
そのとき、部屋の隅に置かれたアールのモジュール端末が、淡く赤く光を灯した。 続いて、低く沈んだ警告音が室内に響く。
『警告。ログアクセスを感知。公安庁舎内部端末より、同一階層への接続を確認。識別コード:岬 朔弥』
アールの報告に、楓と久賀は同時に顔を上げた。
「……岬さんが……」
「ああ。やっぱりあいつ、たどり着いちゃったね」
久賀は静かに目を細め、笑うでもなくそう呟いた。
「どうするの、楓ちゃん?」
呼びかけられた名に、楓の表情がわずかに揺れた。
*
一方その頃。
岬朔弥は、公安庁舎の端末室で独自のアクセスルートから一枚の署名ログを開いていた。
K12計画。機密指定のまま葬られた少女たちの実験記録。それからその関係者リストの一部。
そこに記されていたのは——
鬼島 啓司。
「……やっぱり……」
息を呑むように、岬は手元のディスプレイを凝視した。
すぐそばにいた三國が声を潜めるように言う。
「岬さん、まさか……この“鬼島”って」
「……ああ」
三國は言葉を詰まらせた。
「信じたくないっすよね、あの人がそんなこと……」
岬はディスプレイから目を逸らさずに答えた。
「信じたい。けど……目は、背けられない」
その声には、怒りと迷い、そしてほんの少しの哀しさが滲んでいた。
*
楓はしばらくモニターの光を見つめたまま、静かに息を吐いた。 そして、ゆっくりと口を開く。
「この情報……もっと掘れる?」
『可能です。LF-99に関連する階層へのアクセス経路を再検索中。識別情報が曖昧なため、間接的な記録から辿る必要があります』
楓は頷いた。
「お願い」
『了解。対象ログの相関階層に再接続を試みます。異常構造の検知確率:高。探索には時間を要する可能性がありますが、継続します』
しばしの沈黙が流れた。
久賀は椅子の背にもたれながら、ため息のように小さく漏らした。
「……まさか、実験の生存者がいたとはね」
その視線はモニターの“LF-99”の文字を捉えたまま動かない。
「仮にこの少女が本当にまだ生きていたとしたら……彼女の存在そのものが、計画の“確かな証拠”になる」
楓はゆっくりと首を振った。
「それだけじゃない」
視線を落としながら言葉を続ける。
「もし彼女が、澪と同じように、あんな実験に組み込まれていたとしたら……」
言葉を選ぶように、唇がかすかに震える。
「今も“誰かの記憶”や“人格”を背負わされて、生きているのだとしたら……」
拳を膝の上でそっと握りしめる。
「あの実験の被害者が、今も苦しみ続けているということ」
その声には、怒りと哀しみが等しく滲んでいた。




