第23章 隠蔽
「……今度は僕の番だな」
久賀は背もたれに寄りかかったまま、短く息を吐いた。 部屋を流れる冷気がモニターの熱を削ぎ落とし、空気は緊張と沈黙で張りつめていた。
「財閥の息子ってことで、昔から表に出しちゃいけない情報には多少触れてきた。……K12研究班にも、うちのグループは資金を提供してた」
楓がわずかに目を見開く。
「直接の運営じゃない。ただの“後援”って名目だったよ。表向きはね」
久賀の指がテーブルをとんとんと叩く。
「当時の名目は『次世代教育支援』。倫理的・感情的成熟を促進する新しいカリキュラムの実証。公的資金じゃ通せないことを、民間からの“寄付”という名で支えた……でも、本当は違った」
楓はその言葉に小さく息を呑んだ。
久賀の声がわずかに低くなる。
「K12は“教育”なんかじゃない。対象となる子供たちの共感力、記憶力、直感、処理能力、精神耐性——それらを定量化して、何を壊せば感情が崩れるかを観察する装置だった。加えて、最終段階には“記憶の移し替え”実験も含まれていた」
「……感情の、破壊実験? それに、記憶の……移し替え?」
楓は言葉を失った。 胸の奥を鋭く突き刺すような痛みが走る。澪が笑っていた日々。その記憶までもが、誰かの手によって組み立てられていたのだとしたら——思考が鈍り、怒りとも悲しみともつかない感情が、喉元でざわめきとなって膨れ上がる。拳を握る力が、じりじりと強まっていった。
「そう。もっと正確に言えば、“操作可能な人格”を育てるための土台。感情を切り離し、必要な記憶だけを抜き出し、別の個体に挿入する。それを国や企業が“扱いやすい人間”として量産する……その第一段階だったらしい」
楓は拳を握りしめた。
「澪は……その一人だった」
久賀は頷いた。
「たぶんね。だが俺も途中までしか知らされていなかった。LFシリーズ——それが何かを知ったのは、君と出会ってからだ」
アールが短く応答する。
『情報整合性を確認。久賀貴道氏の証言はK12関連非公開報告書の一部記録と一致。信頼度:高』
「ありがと、機械に信用されるとはね」
久賀は自嘲気味に笑ってから、ふと真面目な顔になる。
「でも、僕がいま何より気になってるのは——なぜ君と俺が“記憶を持ってる側”なのかってことだ」
楓は目を伏せた。
「私は契約者だから。でも、あなたは……」
「何を“代償”にして、ここに立ってるんだろうね、僕は」
その問いかけに、誰も答えることはできなかった。
*
夕暮れ時、街は傾きかけた陽光に包まれていた。 楓は調査からの帰路、ふとした瞬間にある人物の姿を見つけて足を止めた。
岬朔弥。
彼は公安の出入り証を手に、古びた資料館の別館へと向かって歩いていた。目元は鋭く、何かを探し出す者の顔だった。
楓は自然と足音を殺し、数歩だけその背を追った。隠れたいわけじゃない。ただ、今の自分では——何も言葉を交わせないと思った。
岬は裏口から館内に入り、やがて数分後——封筒のような何かを手に、重たい表情で出てきた。
(やっぱり、動いてる……怪盗エルだけじゃない、妹のことにまで踏み込んで、調べてる)
楓はその背を見つめながら、そっと胸の内で呟く。
「お願い、まだ辿り着かないで。知らないままでいて」
*
別の日の昼休憩。 公安庁舎の喫煙スペースには、灰色の空気と沈黙が漂っていた。
岬と鬼島が肩を並べて腰掛けている。
「最近、お前また妙なところ嗅ぎ回ってるらしいな」
鬼島がそう口を開き、ライターをカチリと鳴らす。
「そういう噂が回ってるってことは、俺の足跡は誰かに見えてるってことですか」
岬は淡々と応じ、ポケットに手を入れたまま視線を煙の向こうへやった。
「ま、ほどほどにしとけ。澪……だったか? その名前、あまり表に出すな」
「知ってるんですか? その子のこと」
鬼島は火をつけかけたタバコを口から外し、しばらく無言のまま空を仰いだ。
「……昔な」
鬼島は目を細め、空の一点をじっと見つめた。
「……どうして記録が全部破棄されてるんです?」
岬の問いに、鬼島はタバコを見つめながら答える。
「公安ってのはな、正義の墓場だ。過去を掘り返すより、静かに埋めて生きる方が楽なんだよ」
しばらくの沈黙。
「……大体、お前の仕事は澪の追跡じゃない。怪盗エルを追うことだ」
岬は鬼島に向き直り、正直に答えた。
「怪盗エルを理解するために必要なことです」
「理解が必要か? 指示されたものを捕まえるだけだろう」
岬はしばらく言葉を失ったまま、ポケットの内側に指をかけた。そこには澪の端末ログのコピーが収まっている。
(……やっぱり、何かある)
公安は正義の名のもとに沈黙を選ぶ組織だ。知るべきことに蓋をし、過去を隠し、今を守る——それが組織の“正しさ”だというなら、自分はどこまでその中に居られるのか。岬の胸の奥には、微かな不信と違和感が積もり始めていた。
正義とは、誰のためのものなのか。今、岬が追っているものは——本当に間違っているのか?




