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何度やり直しても、あなたが私に恋をしてしまうんですが  作者: 山本依由加


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第21章 封印

 ——悪夢だった。


 楓は横たわったまま、しばらく目を開けなかった。瞼の裏には、あの光、あの歪み、そして岬の温もりがまだ焼き付いている。


 脳裏に残るその感触は現実のようでいて、どこかひどく遠い。


 だが、空気の匂い、湿度、そして耳に届く雑音が、今が確かな“現実”であることを知らせていた。


 そう——また“ここ”から、やり直さなければならない。


「……っ、は……」


 声にならない吐息をこぼし、楓はゆっくりと身を起こす。窓の外から朝の光が差し込み、部屋の空気はひんやりとして静かで、昨夜までの緊張と余韻だけが微かに残っているようだった。ここは自宅。ベッドのシーツが体温をわずかに留めている。


 現実が、ここにある。


 目覚めたのは、何も変わっていない部屋だった。

けれど、そこに横たわる自分だけが、変わってしまった。同じ日常の繰り返しなのに、背負っている重みだけが、確実に増えている。


「アール、K12関連ログの解析状況は?」


 状況を確認するために声を出せば、アールはすぐさま返答した。


『対象候補を五件抽出。K12関連ログの流出元を基点に、省庁および関連研究機関の裏アクセス記録を追跡中です』


 その言葉に、楓はぴたりと息を止めた。


 やはり——また、すでに終えたはずの解析が、初期状態から繰り返されている。


「……アール。やっぱり、私……全部、戻ってきたのね」


 楓は息を吐き、静かにベッドの縁に腰を下ろす。


「記憶は保ってる。これは三度目。前と同じ」


 澪に関する情報は、前のループでかなり掘り進めた。


 彼女の記録——LF-11という被験コード。国家主導の育成プロジェクト“Liminal Foundation”に選ばれた存在。


 それでも楓は真実を追った。そして、K12研究班のログの一部には、自分自身——緒方楓の名前が記録されていた。


 澪の観察対象に“姉”である自分が含まれていたこと。あるいは、自分もまた別のかたちで“被験者”だった可能性。


 さらに、LFシリーズのもうひとり——LF-05、青野佳澄。


 彼女が自らを「失敗作」と称しながらも、感知能力のような異常な行動と判断を示したこと。


 ……それらすべてを、前回私は確かにここに集めた。


 楓はアールに向かって言った。


「前回のループで、私は澪の実験記録とLFシリーズの関連データをかなり進めていた。澪はLF-11。私は……観察ログに記録されていた。そして、LF-05だった子が、青野佳澄」


『確認しました。楓さんの報告と照合した内容は、現在の追跡ログおよび過去データと高い整合性を示しています。情報の信頼度は高いと判断されます。契約に伴う“取り立て”が発動したと仮定すれば、整合性は取れます。現在の時点は第三ループ——女神による干渉と推定されます』


 その冷静な解析に、楓はようやく小さく息を吐いた。 すべてを最初から説明しなくても、アールが即座に状況を把握してくれる。 その事実が、どこか救いに思えた。


「……アール、再確認させて。恋をするだけならセーフ……だけど、告白はダメ。そう、想いが通じ合わない限り、巻き戻りは起きないのよね?」


『はい。契約の内容、及び観測上のパターンから見て、恋愛感情の成立がトリガーである可能性が最も高いと考えられます』


 楓は目を閉じたまま、深く息を吸い込んだ。

この手に残る温もりも、耳に残る声も、胸を締め付けるような記憶も、すべて——手放さなくてはならない。


 たとえ相手が岬でも。 たとえ、どれだけ心が揺れても。


 今回は絶対に、揺れない。 それが、この世界を守るための唯一の方法。


 楓は奥歯を噛み締め、小さく、だがはっきりと心の中で誓った。


「……だったら、もう絶対に感情なんて交わさない」


 楓はゆっくりと目を開き、立ち上がった。


「今度こそ、私は壊さない」


 *


 朝、いつものようにパン屋に立つ。


 開店直後、入口のベルが鳴る。


 現れたのは、やはり彼だった。岬朔弥。


 だが楓は顔を上げない。レジに向かって言葉だけを発する。


 声が震えないよう、喉の奥に力を込める。 目を合わせなければ、心まで見抜かれることはない。そう信じて、楓はマニュアル通りの挨拶だけを投げた。


「いらっしゃいませ」


 岬は何も言わず、いつものようにパンを選び、無言でトレイを差し出す。


 楓は必要最低限の動作だけで袋に詰め、視線を合わせないまま告げた。


「ありがとうございました」


 彼が店を出ようとしたその瞬間。


「君が怪盗エルなんだろう」


 その声に、楓はわずかに指を止めたが、顔は上げなかった。


「……いいえ」


 静かに、たった一言だけ返し、それ以上何も言わなかった。


 岬は何か言いかけたが、そのまま言葉を飲み込み、無言でパンを手に店を出ていった。


 *


 昼下がり。陽射しが傾き始めた頃、扉のベルが再び鳴った。


 楓がレジを拭いていた手を止めると、そこに立っていたのは久賀貴道だった。


 派手な仕草はないが、どこか人を食ったような雰囲気。彼は軽く手を上げて、にやりと笑った。


「……やはりこれは、三度目か。だんだん目つきが変わってきたな」


 楓は無言で立ち尽くしたまま、久賀を睨みつける。冷静でいなければと分かっていても、どうしても目が細まる。 彼がこの状況に“順応している”ことが、腹立たしくてたまらなかった。


「……あなた、やっぱり記憶を保ってるのね?」


「まあ、そういうことになるな。気づいたら時間が戻っていたよ。でも、なぜリセットが起きたのかは見当がつかない」


 久賀は肩をすくめる。まるで悪戯を見つかった子供のように、どこか飄々としていた。


「行動を変えているのは君だけだ。君がトリガーなんだろう」


「……半分正解」


 楓は言葉を濁した。 一度目の巻き戻りは、自分の告白が原因だった。 けれど、二度目は違う。 岬の言葉に、自分の心が応えてしまった。互いの想いが重なったとき、世界は——拒んだ。 もはや自分ひとりの問題ではなかった。


「じゃあ、なぜ君と僕だけが記憶を持ってるんだと思う?」


「私には“契約”という呪いの代償がある。でもあなたは……」


 その瞬間、扉のベルがまた鳴った。


「……大学以来だな」


 岬がそこに立っていた。久賀が慣れた様子で言葉をかえす。


「岬じゃないか。君はずーっと真面目な顔してるね」


 楓は思わず息を呑む。 前回のループで、この会話が岬の心を揺らし、接近に繋がってしまったことを、思い出す。


「久賀さん、これから外では私に近づかないで」


 楓は、棚を見始めた岬に気づかれないように、そっと久賀に耳打ちした。


「でも、情報交換は必要だから……閉店後に来て。話せる場所に案内するわ」

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