表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
何度やり直しても、あなたが私に恋をしてしまうんですが  作者: 山本依由加


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/32

第20章 リセット2

 朝焼けが、ゆっくりと窓辺を染めていた。


 徹夜明けの空気が、部屋の熱と静寂を包み込んでいる。 楓と岬は一晩をかけて、国家側が保持していたK12研究班のログ、LFシリーズの関連記録、そして澪にまつわる断片的な情報を突き合わせていた。


 抜け落ちた空白は多く、すべてを繋ぎ合わせるには程遠い。それでも、断片と断片の間に、確かに“人の意志”が見えると岬は言った。 怪盗エルのアジト——楓の隣室は、まだ熱の残るモニターたちの微光に満ちていた。


 岬は壁に凭れたまま、口を開く。


「……こんなもののために、君が全部背負う必要はない」


 楓は小さなマグカップを両手で抱えたまま、その言葉に瞬きもせず返す。


「でも、誰も背負ってくれなかった」


 短く、静かに。


 岬は言葉を詰まらせたまま、黙って座る。湯気の立つカップを指でなぞりながら、楓はぼんやりとディスプレイのひとつを見つめていた。


「澪が笑っていた日々を、私はずっと巻き戻してる。後悔とか、悔しさとか、そんなの通り越して、ただ……壊れてしまったような気がしてるの」


 岬は頷きながら、彼女の隣に座る。机の上の写真——澪が笑う一枚に、視線が自然と落ちる。


「……澪さんのこと、教えてくれてありがとう」


 沈黙。


 ふいに、岬が言った。


「もし俺が——あのとき、もっと早く気づけてたら」


「やめて。そういうの、言わないで」


 楓は首を振った。


「私はあなたに何かを期待したわけじゃない。……でも、ただ、一人じゃないって思いたかった」


 岬がゆっくりと手を差し出した。

 楓は驚いたようにその手を見つめたが、拒まなかった。


 触れ合う掌。熱が、確かに伝わった。


 ふと、岬が口を開く。


「……俺は君を守りたい。公安じゃなくても、怪盗エルでも、どんな形でもいい。君の隣にいたい」


 その一言で、時間が止まった気がした。


 楓の胸の奥で、何かが震える。


 喉の奥が熱い。視界の端が滲む。


「……今、それを言うの」


「今だからだ。遅すぎたかもしれないけど、それでも」


 楓は唇をかすかに震わせた。返す言葉を探す間もなく、胸の奥で熱があふれていく。

そして、目の前の岬がわずかに動いた。


「だめ、やめて」


 楓は一歩、後ろに引いた。その声には、明確な拒絶というよりも、怯えが混じっていた。


 岬は立ち止まらず、ゆっくりと近づく。


「どうして……そんな顔をする」


 その声は静かだったが、かすかに揺れていた。


 楓は震える息を吐く。


「それ以上来たら、また……世界が……っ」


 その言葉と同時に、風景の端が波打ち始めた。 室内の輪郭が揺れ、重力がわずかにずれるような違和感が走る。


 岬は、その揺らぎの中でも一歩を踏み出し、楓の頬に手を伸ばした。


「——俺は……」


 そのまま、唇が触れようとした瞬間——


 その瞬間、世界が歪んだ。


 音が遠のき、色彩が滲む。 天井のモニターが一斉に明滅し、警告音のような微かなノイズが響き始める。


『楓さん。感情干渉値、閾値突破。記憶相関領域に歪み発生——』


「やめて……お願い、まだ……」


 言葉が届くより早く、視界が反転した。


 キーボードの上で交差していた二人の手が、霧のようにすり抜けていく。


 ああ、女神様、どうして。


 ——白い光。


 ——真空の静けさ。


 ——そして、無。


 *


 パン屋の朝。開店準備のざわめき。


 オーブンの熱気が店内に立ち込め、パンが焼き上がる香ばしい匂いが漂っている。

 楓はいつも通りカウンターの定位置に立ち、棚にパンを並べながら、静かな時間の流れを感じていた。


 そこへ、扉のベルが控えめに鳴る。


 現れたのは、見慣れないはずの、だがどこか記憶の輪郭をなぞるようなスーツ姿の男だった。 整えられた黒髪、感情の読めない表情。視線だけが、異質な鋭さを宿していた。


 男は無言でトングを取り、並べられたパンの中から一つを選ぶ。その動作は一切の迷いがなく、流れるようにトレイへと運ばれた。


 その瞬間、楓のポケットのスマホが微かに震えた。一度だけ、独特の短いリズム。 ——アールからの“警戒信号”。


 表情を変えぬまま、楓はそっとスマホを手に取り、手元で画面を確認する。


『前方の男性に注意。既知リスク対象の可能性あり』


「……」

 

 楓が何も返さずにいると、アールからさらなる追伸がくる。


『顔認識中。挙動および視線追跡の傾向が異常。訓練された監視者の特徴に合致』


 もう一度男を見た。どこにでもいるような会社員風の風貌。 だがその佇まいは、明らかに意図された“無害さ”だった。


「……いらっしゃいませ」


 楓の声は普段と変わらず、淡々としたものだった。 男は短く頷くと、財布を出し、無言でレジに進む。その動作ひとつひとつが、静かすぎるほどに静かだった。


 彼は何も言わず、貼られたメニューにも目をくれず、パンを受け取ってそのまま踵を返す。


 楓はその背中を見送りながら、わずかに息を詰めた。 喉の奥で、言葉にならない感情が泡のように膨らんで、消えていく。


 やっぱり、また——あなた、だった。 何度繰り返しても、やっぱり。


 その心の声は、決して誰にも届かない。

 ただ、胸の奥に焼き付いたまま、静かにそこにあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ