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何度やり直しても、あなたが私に恋をしてしまうんですが  作者: 山本依由加


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第18章 輪郭

 朝八時。公安第七課の執務室でデスクに座っていた岬の端末に、一本の通知が届いた。


『公安第七課における人員再編のため、怪盗エル関連業務の担当を終了し、来週より管理連携課へ異動となります。詳細は添付文書をご確認ください』


 短く、無機質な文章。差出人は管理部。


 予兆はあった。それでも、実際に通達されると胸の奥に鈍く重いものが落ちる。


「えっ、異動!? 岬さんが!? そんな!!!」


 いつの間に背後にいたのか、三國がモニター越しに覗き込んできた。目をまん丸に見開いて、現実を理解できていない様子だった。


「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ、何も言ってなかったじゃないですか……!」


 岬は端末を閉じながら、わずかに視線を落としただけで答えなかった。


 画面を閉じる前に、岬は操作ログをひとつ開いた。K12研究班のデータ照会履歴——そこには、自分ではない別のアクセス記録が残っていた。


 日付は昨夜。アクセス権は“特別開示フラグ”によって覆い隠されていた。


(誰かが、代わりに追っている)


 岬は机に端末を伏せたまま、しばらく動けなかった。


 *


 パン屋の閉店後、片付けを終えた楓が裏口の戸締まりを確認しようとしたときだった。


「こんばんは」


 振り向くと、久賀が店の前に立っていた。夜気にコートの裾を揺らしながら、穏やかな笑みを浮かべている。


「驚かせてすみません。ちょっとだけ、お話できませんか」


 楓が戸惑って口を開こうとしたそのとき——


「それは困りますねぇ」


 いつの間にか、佳澄が背後から現れていた。笑顔のまま、レジ袋を片手にぶら下げている。


「楓さんに、近寄らないでください。……あなたは、あの“久賀財閥”の人間ですよね?」


 久賀の表情が、一瞬だけ動いた。


「……ああ。やっぱり君も知ってたか」


 そして、少しだけ距離を詰めながら言った。


「もしかして、君は——LFシリーズの……」


「関係ないです」


 楓が思わず割って入った。声が、わずかに強くなっていた。


 佳澄は表情を崩さぬまま、言った。


「楓さんも、もう十分すぎるほど“被害者”なんです」


 久賀は数秒だけ沈黙した。やがて静かに口を開く。


「……それでも、話すべきことがある」


 それだけを残して、久賀はその場を立ち去った。


 楓と佳澄の間に、湿った夜の空気だけが残った。


 「……ありがとう、佳澄さん」


 楓がぽつりと呟くと、佳澄は小さく微笑んで、「いえいえ〜」と軽く肩をすくめた。


 二人はそのまま何も言わずに、並んで店の裏口から中へ戻った。


 先に入った佳澄が、楓を振り返ろうとする。


「……あれ、なんか、変な感じ……」


 楓が顔を向けた瞬間、佳澄の体がぐらりと傾いだ。


「佳澄さん!」


 慌てて駆け寄ると、彼女はその場に崩れるように座り込んでいた。


「頭が……くらくらする……」


 目は虚ろで、額には薄く汗が滲んでいる。


 すぐに安達も駆けつけた。


「特に熱はないみたいだな……ただの目眩かな。病院に連れてくほどじゃなさそうだけど、少し様子見よう」


 安達は佳澄の様子を慎重に観察しながら言った。


 そのまま彼は佳澄の腕をそっと肩に回し、自分の身体を支えにして立たせようとする。


「よし、控え室まで連れてくぞ。楓ちゃん、水とタオル頼める?」


「はい」


 楓はバックルームまで水とタオルを取りに走った。急いで控え室へ向かうと、ちょうど安達がベンチに佳澄を寝かせたところだった。


「楓ちゃん、ちょっとだけここでついててくれる? 俺は店見てくるから」


「私が、店に——」


「いいのいいの。オッサンが横で見てたって、きもがられるだけだしな」


 そう言って安達は軽く笑い、店の方へ戻っていった。

『生体反応をモニタリング。脈拍低下、軽度の異常波形。 ……過去に観測されたLF系列の共通症状に類似』


 安達が去ったのを察知したアールが、スマホから声をあげる。


「やっぱり……」


 床に膝をついたまま、楓はうつ伏せに意識を落とした佳澄の顔を見つめた。


 わからないことばかりだ。


 *

 しばらくして、控え室のベンチに横たえられた佳澄が、かすかに目を開けた。


「……あれ、アタシ……また……」


 そのつぶやきは、自分に語りかけるようなものだった。視線を宙に彷徨わせて、ぼんやりと楓を見つける。


「澪ちゃん……見つからなかったの……?」


 楓は「佳澄さん」と声をかけようとしたが、その前に佳澄は再びまぶたを閉じた。


 その横顔はどこか遠くを見ているようで、現実から一歩だけ切り離されているようだった。


 言葉の意味も意図もわからない。ただ、澪の名前を呼んだことだけが胸に残った。


 *


 岬はパン屋の近くを歩いていた。


 理由は、自分でもよく分かっていなかった。


 捜査権も、職務上の立場も、すべて失ったはずなのに——足は自然と、この通りに向いていた。


(ここに来たって、どうしようもない)


 何度もそう思いながら、それでもこの街路灯の灯りの下を通るのは、もはや習慣というより執着だった。


 パン屋のシャッターはすでに下りている。だが、奥の灯りがまだ消えていないことに気づき、岬は立ち止まった。


 そのとき——道の向こうから、一人の人影が現れた。


 袋を手にしたまま、細身のシルエット。束ねた髪先を揺らしながら歩くその姿に、岬はすぐに気づいた。


 楓だった。


(……これから帰宅か?)


 声をかけようとしたが、喉の奥で言葉が止まった。


 名前を呼ぶ資格なんて、もう自分にはない。


 それでも、思わず足が動いていた。


 岬は距離を取ったまま、楓の後を追った。

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