第16章 計画
夜。部屋のモニターにアールのインターフェースが静かに光っていた。
『LF-11に関する解析、進捗を報告します。該当コードと同時期、もしくはそれ以前に記録されたファイルに、“楓”という名義の断片が複数存在しています』
楓は息をのんだ。モニター越しに淡々と告げられる言葉の意味が、じわじわと胸を締めつけてくる。
「……澪の記録より、前に?」
『明言はできません。ただし、タイムスタンプの整合性から推定するに、同一観測プロジェクト内の別個体として、並行的に記録されていた可能性があります』
楓はモニターの前で息を止めた。
澪の観察ログの一部に、あたかも当然のように“楓”が含まれていた。まるで、澪の背景情報として自然に添えられていたように。
「……私も最初から、見られてたってこと?」
『その仮説は成立しますが、関連性を証明するにはデータが不十分です』
アールの機械的な口調が、逆に真実味を帯びていた。
澪はその優秀さを買われて計画に抜擢されたはずだ。だから、楓は計画に目をつけられていただなんて思ってもみなかったのだ。
家族だったから、澪の観察ログに澪の生活の一部として楓の名前が載っているのは不自然ではない。だが、このログの書き方は、一部、澪ではなく楓が主軸になっているものすらあった。
嫌な予感がした。
*
公安第七課、分析室。
「ここ。怪盗エルが侵入した時間帯のアクセスログ」
三國が端末を操作しながら、岬に向けてモニターを示した。
「抜かれたデータ、断片だけど残ってる。……これ、K12研究班の関係部署っすよ」
三國はモニターをタップしながら、さらに数行のデータをスクロールした。
「やはり、あの夜の標的は——」
岬はそっと身を乗り出す。
「澪さんの件と重なる可能性が高いです」
三國の断定に岬は黙って頷いた。視線の先に、薄く表示された文字列があった。
——“LF-11”。
「これって……」
「旧型育成計画のコードネームらしいです。“Liminal Foundation”とかいう、古い名称がルーツらしくて。Liminal…つまり中間領域、“子どもでも大人でもない”、成長過程の精神状態を観察するための枠組みだったそうです」
三國は資料をめくりながら続けた。 三國の声がやや低くなる。
「ただ、これ以上のデータにアクセスしようとすると、権限が跳ねられるんですよ。上の連中、明らかに“見せたくない”もの抱えてます」
岬は少しだけ眉をひそめた。
「鬼島さんに聞いてみよう。……どう動くか、知りたい」
岬が席を立とうとしたそのとき、分析室のドアが静かに開いた。
「——それ以上は、やめておけ」
鬼島だった。手に資料を持ったまま、いつになく無表情で立っている。
「その計画には、今も関係者が多く残ってる。触れるなら、それなりの覚悟が必要だ」
三國が驚いたように顔を上げる。
「課長、それって——」
「命令だ。深入りするな」
そう言い残すと、鬼島は何も説明を足さずに部屋を出ていった。
岬は拳を握ったまま、しばらく動けなかった。
*
「“澪ちゃんの笑い方”、やっぱり好きだったな〜」
昼下がりのパン屋で、佳澄はレジの奥で小さく鼻歌を歌いながら、ふとそんなことを呟いた。
楓は手にしていたトングを止めた。
「……澪を、知ってたの?」
「え〜? あれ、言ってませんでしたっけぇ? ほら、前の研究所にいた頃、ちょこっとだけ同室だったんですよぉ」
さらりと語るその調子が、逆に楓の胸をざわつかせた。
「でもね〜、あの頃の記憶って、ちょっと曖昧なんですよねぇ。薬のせいなのか、訓練のせいなのか……あ、でも澪ちゃん、よく笑ってたなぁってことだけは、はっきり覚えてる」
楓は息をのんだ。澪の記憶に触れられること自体が、まるで誰かに心の奥を覗かれたように感じた。
「……逃げたの? そこから」
「さぁ〜? アタシ、気づいたらここにいたんでぇ」
佳澄は悪びれる様子もなく、明るい声のまま手元のレジ用紙をまとめていた。 何もかもが他人事のように聞こえるその語り口。
けれど、言葉の端々には明らかに“知っている者”の重さがあった。
「楓さんって、やっぱり澪ちゃんと似てるんですよねぇ。言葉の選び方とか、ちょっとした間とか……本当に姉妹なんだなぁって思います」
佳澄のその言葉に、楓は内心ぎゅっと胸を掴まれるような感覚を覚えた。
どうして佳澄だけが、いまここにいるのか。なぜ澪は、逃げられなかったのか。
楓は、その場で何も問い返せなかった。
*
その夜、アールが警告を発した。
『警告。LF系列ログに対する不正アクセスを検知。アクセス元、識別不能。痕跡から見て、既存の公安網とは異なる通信経路です』
アールの声に、楓の背筋がじわりと冷える。
「……公安じゃないの?」
『否定はできませんが、構造上の一致率は31.2%。外部組織、もしくは個人の可能性もあります』
楓は思わず画面に顔を近づけた。
「誰が……」
楓は画面に目を凝らした。
『“第三の観測者”が存在する可能性があります』
楓は息を呑んだ。




