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第七話 嫌いな野菜もサンドイッチなら

 野菜を食べた方が良い事はよくわかっていた。それでも野菜を洗って切って調理する手間を考えたら、明里はどっと疲れてしまう。


 別に体力的には何も疲れていないのだが、やはり休職してからメンタルは砕かれた気分。やはり心にガソリンがないと、人はうまく活動できないらしい。


 とはいっても、野菜不足は気になる。足りない野菜はあのコンビニで補えば良いかも。揚げ物やスイーツの誘惑に負けなかったら可能かもしれない。


 そんな事を考えつつ、家で一人コンビニで出会った小林コトリの事を調べていた。


 ネットの情報によると、小林は想像以上に有名らしい。昔は青春ラブコメがヒットし、アニメ化もされ、今は投資にハマっているらしく、株や節約生活を描いたエッセイ漫画が大人気らしい。下世話な話だが、ネット民による推定年収も書かれていた。いわゆる勝ち組。成功者とも言えるが、なぜあもコンビニに深夜にいるのだろう。大邑のような人間は明里でも想像つくが。


「飽きちゃっただよね。今の生活や仕事に」


 今夜もコンビニの向かったが、イートインスペースには小林がいた。


 前と同じように派手なベレー帽を被り、ゆっくりとコーヒーをすすっている小林は、確かに漫画家らしい。もっとも今見ると、ベレー帽をかぶっているのはわざとらしくも見えてきたが。漫画家のステレオタイプに囚われているような。


「へえ……」

「うん、俺は漫画家としては珍しいと思うけど、好きなもの描いて成功したタイプだから。不思議と自分が好きなもの描いた方がウケるんだ」


 小林はあくびをした。慌ててコーヒーを口に含み、苦笑。


「でも好きなことして成功なんて滅多にできませんって」


 明里は素直にそう思う。思えば前の仕事は嫌な事しかなかったが、そういうものだと思う。いや、思い込んでいた。


 さっき買ったトマトとレタスのサンドイッチの包みを開けて食べる。シャキシャキとしたレタスと完熟トマトのサンドイッチ。野菜不足の今はピッタリば一品だ。


 今日も晴人は揚げ物を作り、レジ横に並べていた。どうにか揚げ物の誘惑を潜ぬけ買ったサンドイッチ。そう思うとご褒美のようにも感じ、どんどん食べてしまう。


「羨ましいけど、小林さん」

「そうかね。俺は全く嬉しくも楽しくもない。何か日常が平坦というか。おかげで鬱病にもなってしまった」

「え……?」


 それは意外だった。小林の見た目は健康そのものだった。


「嫁にも色々言われるし。やっぱり好きな事を仕事のするのって大変。ずっと竜宮城にいる気分。文化祭を永遠にループしてる感じ。俺も編集者も読者も確実に歳食っているのにな」


 明里は言葉が出なかった。確かに小林のような立場は羨ましい気持ちもあったが、当人なりに苦しみがあるのか。隣の芝は青い。幸せそうに見える人も、明里の勝手な思いこみだったのだろうか。


 再びサンドイッチを齧ると、マスタードのピリッと味がした。この隠し味が良い刺激になってる。小林の人生は勝手に想像する事しかできないが、刺激も何もない楽しいだけの世界は退屈そう。


 休職している今は、悲劇のヒロインのようにも考えていたが、少し視点をずらすと、そうでも無いのかもしれない。


「私は元教員です。色々あって休職中なんですよ」

「そうか。辛いね。なかなか人生思うようにならんな」


 こんな見の上話、初めてしたが、同情されるのも珍しい。立場は違えど、苦しはある事は分かる。


「そうでね。人生、魔法みたいに思い通りにはなりませんね」


 ため息つきつつも、ここの客がそんな立場の人間が集まっている気もする。


 本当にどこか別の世界にあるコンビニなら、悩んでいる人だけ行ける場所なのだろうか。


 また晴人の視線をな感じたが、揚げ物をレジ横に並べていた。今日は麻子婆さんのシフトも入っていないようで、余計に静か。


「人生の苦しみもサンドイッチみたいに、柔らかいパンと挟んで食べられたらいいけど」


 明里も苦笑しつつ、再びサンドイッチを齧り、完食。


 これで少しは野菜不足が解消すると思うと、ホッとため息も出た。


「苦しみもサンドイッチだったら、食べられるか。そうか……」


 小林もため息をつきつつ、レタスとトマトのサンドイッチを買って食べていた。


「そうか。俺に足らないのは、好きでもない事をする事かもな。確かに好きな事ばっかりしても、病むな」


 小林は何か悟ったらしい。サンドイッチを食べながら深く頷いていた。


「楽しくも無い事にも意味があるかもね。たまには楽しくもない事するか」


 もぐもぐとサンドイッチをあっという間に完食していた。


「楽しくも無い事も柔らかいパンに挟めば、行けるかもしれません?」


 小林を励ませるか不明だが、明里はいつもより明るい声で言う。語尾は疑問系になってしまったが、目尻に皺を作り笑っていた。


「そうだね。俺が必要な事はそれだったかも」


 小林の声も妙に弾んでいた。


 後日、小林とイートインで会う事はなかった。なんと彼はこのコンビニでバイトを始めたという。


 といっても短時間のスキマバイトらしいが、麻子婆さんがいない時間に重宝しているらしい。


「いらっしゃいませ!」


 今夜もコンビニへ向かったが、小林の明るい声が響く。コンビニの制服姿は全く似合ってはいない。どう見ても派手なベレー帽のほうが板についていたが、本人は楽しそうに接客していた。その姿はとても鬱病患者には見えない脳だが。


「小林さん、よく働いてくれますよ。マルチタスクも得意ですし」


 イートインでコーヒーを飲んでいたら、晴人がテーブルを拭きにきた。そのついでに話しかけられたが、レジの方では小林が大きな声で接客しているのも見える。


「そっか……」

「好きでも無い事も、人生には良いスパイスになるかもしれません」


 晴人は明里に目の前にあるメロンパンを凝視していた。今日は誘惑に負け、結局メロンパンを買ってしまったが、ドキリとする。


「お客様、まだ野菜フェアはやっております」


 晴人はわざとらしいぐらいの営業スマイルを見せてきた。


 これには明里も逆らえない。すぐにチルドコーナーへ向かい、レタスとトマトのサンドイッチ、それに蒸し野菜のセットも手に取る。


「おお、明里さん、いらっしゃいませ。野菜はいいですよ! たまには嫌いなものも食べないと、俺みたいになっちゃう」


 レジにいる小林にはそう言われてしまった。


「そうね、野菜も食べないと」


 正直、今は揚げ物やベーカリーの誘惑もすごい。家で野菜を準備する気力もない。それでも柔らかなパンと挟めば、飲み込めるかもしれない。


「ええ。野菜も食べましょう」


 小林ば笑顔で頷いていた。


 こうして小林は時々コンビニでバイトするようになったが、前に聞いた噂話の続きは聞き損ねた。


 小林のシフトも昼間にうつったらしく、夜、彼に会う事は二度となくなってしまった。


 深夜のひと時の出会いだった。友達どころか知り合いにもなれなかったが、仕方ない。一期一会とは、こんなものだろう。


「お客様、このサンドイッチはおすすめです。でも、このアメリカンドッグやチキンナゲットも美味しそうですよね?」


 相変わらず今夜も晴人に誘惑を仕掛けられておた。

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