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第五話 小さな一歩とマヨコーンパン

「あの男はな、大邑優弥っていう男だよ」


 麻子婆さんはイートインコーナーのテーブルを拭きながらいう。手つきはヨロヨロとしていたが、口元は生き生きとしている。深いほうれい線は、喜びが滲んでいるような。


「お客さん、知らないか? ネットでちょっと有名人だよ。引きこもりの男で、動画を実況中継しているんだ」

「あ!」


 麻子婆さんに言われて思い出す。確かに動画サイトで見たことがあった。引きこもり氷河期世代の男の家の様子が生配信され、ネットで少し話題になっていた事を思い出す。確か名前は大邑優弥。明里もその名前と存在ぐらいは知っていた。道理であの男を見た事があるはずだ。リアルではなく、ネットで認知していたようだ。


「引きこもりはコンビニ行くのも大変って聞きますね。大邑さんにとっては、ここに来るのも大冒険?」


 晴人もイートインコーナーに現れ、ゴミ箱を片付けはじめた。どちらと言えば細身で体力もなさそうな晴人だったが、サクサクとゴミを片付ける。


「あんなの自己責任だわ。引きこもりなんて努力不足だからなるんだよ」


 麻子婆さんは辛辣。コーヒーマン引きしていた過去はするっと忘れたらしい。


 それを聞いて明里も全く笑えない。自分の今の状況も引きこもりと大差ない。コンビニに行けるかどうかの違いがあるだけ。その上、明里は過去のトラウマから昼夜逆転し、ファンシーすぎる都市伝説ブログも熱心に見ているぐらい。大邑の立場だけは想像できた。


「麻子婆さん、そんな事言っていいの? コーヒーマン引きの件、警察に言うけど?」

「わー、わかったよ、晴人くん! それだけは言わないで!」


 晴人と麻子婆さんは、そう騒ぎながら自分の仕事に戻っていく。


 一人残された明里は、ため息をついていた。


「本当に私も人の事は言えないよな……」


 家に帰ると、大邑の動画を見てみる事のした。引きこもりの部屋の生中継なんて、あんまり面白くないと思ったが、視聴者が色々とツッコミのコメントを書き込み、一種のエンタメとして成立しているようだ。


 皮肉な事にこの動画の収益があるらしく、大邑は労働意欲が全く無いらすい。おかげでさらに引きこもりが悪化中。このままではダメだとコンビニに行くチャレンジをしているようだが、何度も失敗している事も動画で告白されていた。


 好きな食べ物はマヨコーンパン。実家暮らしなので食べ物はどうにかなっているが、時々無性にあまじょっぱいパンが食べたいのだという。


 お世辞にもイケメンとは言えない大邑。話も人気動画配信者のように流暢ではないが、不器用そうで、応援したい気持ちにもなる。


 自分だって似たようなものなのに、大邑へ応援したい気持ちも芽生えていた。


「なんか協力出来る事があればいいけど……」


 翌日、明里は再びコンビニに向かっていた。もはや常連客だ。晴人にも麻子婆さんにもすっかり顔を覚えられていたが。


 コンビニの入り口の側に大邑がいるのに気づく。店の中を窺い、特にベーカリーコーナーの方をチラチラと見ていた。


「こんばんは。大邑さんですか?」


 明里が声をかけると、大邑はびくっと肩を振るわせ、一目散に逃げていく。想像以上に彼にとってコンビニに入店する事は勇気がいる事らしい。明里のような化粧っけもなく、みすぼらしいアラサー女、いわば同類のようなタイプに声をかけられてもこれって……。


 そこに晴人も現れた。箒を持ち、店の周りを掃除していた。手際もよく、あっという間に綺麗になっていく。コンビニ店員はマルチスキルが必要らしい。誰にでも出来ない仕事だと思わされた。


「いや、お客様。あんまり見ないでくださいよ」

「別に見てないけど……」


 そんなつもりはなかったが、指摘されて明里の頬は赤くなる。果たしてスッピンでボサボサ頭でここに来る事は正しいのか分からなくもなってきた。


「と、ところであの大邑さん。心配だね」

「そうだね。コンビニニ行くという大冒険も成功して貰いたいけど」


 ここで晴人は咳払いした。


「僕はあの人の事は自己責任なんて思わない。この世は欲望で歪んでいるし、個人の病気や障害、特性のせいにしてもね……」


 晴人はどこか遠い目をしていた。諦めや絶望感が含んだ目。もしかしたら晴人も大邑と似たような立場に立った事もあるかもしれない。


「まあ、大邑さんの大冒険も応援しようか。ちょうどベーカリーフェアするつもりだし、これで来てくれるかも知れない」

「ベーカリーフェア?」

「ええ。来週から店の前に屋台出してパンを売ろうかと。お客様も是非」


 晴人は営業スマイルを明里に見せていた。


「それは行ってみたいかも」


 その笑顔に惹かれたかは定かでは無いが、楽しみな話だった。


 さっそくベーカリーフェアの初日、明里もコンビニへ向かう。


 いつもより早い時間、ちょうど夕暮れ時が終わった時刻。


 店の前に屋台があり、そこでベーカリーを売っていた。客も何人かいるようだ。晴人の声出しの客引きも効果があったようだが。


 空を見上げると半分に欠けた月が見えた。星は何も見えない。一瞬、風が吹き、ベーカリーのいい匂いが明里の鼻にまで届いた時だった。


 コンビニの駐車場に大邑の姿が見えた。屋台の方を窺い、客が途切れるのを待っているようだ。その姿は相変わらず小さなリスみたいだったが、目だけは屋台にあるベーカリーに向けられ、そこだけはちょっと力強い。


 しばらく大邑はそうしていたが、一瞬、客が途切れた時だった。


 一目散に屋台に向かい、マヨコーンパンを購入していた。


 一瞬の出来事だった。明里も見逃すてしまうそうだったが、マヨコーンパンを購入した大邑は、満足気に走り去っていく。


 気づくと、屋台のベーカリーはほとんど売り切れ。晴人は屋台ののぼりも片付け始めていた。


「いらっしゃいませ。お客様も大冒険中?」


 晴人は明里を見ると、笑顔だった。いつもの営業スマイルより柔和に見えたのは気にせいだろうか。


「いえ、そうでもないけど」


 明里はそう言い、コンビニの中へ入る。これが冒険がどうかは分からない。大邑のように一歩踏み出した訳でもない。


「それでも、まあ、いいか」


 明里は店内のベーカリーコーナーへ行き、マヨコーンパンをカゴに入れていた。


 今日は純粋に大邑の小さな一歩をお祝いしたい気分だ。そのお供はマヨコーンパンがピッタリだろう。

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