【短編版】夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
――夫の色のドレスは、淡いピンクの髪に空色の瞳をした私には似合わない。
今まで濃い緑色や焦げ茶色のドレスを身につけていた私が、淡いピンク色のドレスを着て階段を降りてきたとき、夫であるアシェル様は唖然としたように目を見開いた。
いつものように差し伸べられた手を取れば、アシェル様は私のことを優雅な仕草でエスコートしてくれる。
いつもなら十二歳年上の旦那様であるアシェル様の気品に頬を染めてしまうところだけど、今日の私は見惚れたりしないのだ。
「フィリア……その色のドレス、とてもよく似合う。まるで朝露に濡れた薔薇のようだ」
私の気も知らないで、アシェル様は今日も麗しい笑みを浮かべて私を見つめてきた。
「――ありがとうございます」
スンッ、という音が聞こえてしまいそうなほど私の声は無機質だったに違いない。
どうして今まで気がつかなかったのか、アシェル様が私を褒める言葉はいつも大げさで、まるで古典恋愛の書物からそのまま拾ってきたように感情がこもっていなかったというのに。
今までの私は、アシェル様が久しぶりに帰ってくれば子犬のように駆け寄り、夜会に誘われれば幼子のように喜び、食事をすれば一生懸命会えなかった間の出来事を話しかけてきた。
周囲には私がアシェル様のことが大好きだって丸わかりだっただろう。
アシェル様はそんな私に微笑みかけてくれたけれど、たぶんそれは最低限の礼儀でしかなく、好きなのは私ばかりだったに違いない。だって、彼の色のドレスをいつも身にまとっていた私が、急に他の色のドレスを着たのにそのことを気にする素振りも見せないのだから。
これではっきりした、彼には愛人がいる。しかもその女性は、彼の色合いのドレスを完璧に着こなすのだ。
* * *
ことの始まりは、先日行われた夜会だった。
濃いグリーンのドレスを着た私の前に、同じ色のドレスを着た女性が歩み寄ってきた。
「まあ……ベルアメール伯爵夫人は、夫婦円満をアピールしていらっしゃるのかしら? 夫人にはその色は似合わないというのにお気の毒」
私と同じ濃い緑色のドレスを着て私の目の前に立ちそう口にした女性は、夫の愛人であるという噂が流れるユーフィア・ランディス子爵令嬢だ。
彼女は黒髪に金色の瞳で、濃い緑色のドレスを妖艶なその魅力で完璧に着こなしていた。
まるで、彼女こそがアシェル様に相応しいのだと周囲に知らしめるように。
けれど、生まれ持った色は何人たりとも変えることができない。
チラリと視線を送れば、私が愛人に詰め寄られていることに気がつきもせず、国王陛下と歓談をしているアシェル様の姿が見える。
宰相である彼は、何よりも仕事を大事にしていて妻である私を顧みることはない。
それどころか最近では、目の前のランディス子爵令嬢と愛人関係にあるという噂まで流れている始末だ。
(彼の瞳の色のドレスを身にまとって夜会に現れたのですもの……噂は事実のようね)
アシェル様は最近仕事が忙しいと言って、屋敷に戻ってくる頻度が少なくなっていた。
屋敷に戻ればいつものように優しかったから、噂はあくまで噂でしかないと思っていたけれど、もしかすると仕事が忙しいという言葉すら愛人と会う時間を作るための口実だったのかもしれない。
会場の視線がチラチラと私とランディス子爵令嬢に向けられている。
明日以降、社交界では面白おかしく噂されるのだろう。
『似合いもしない夫の瞳の色のドレスを着た惨めなベルアメール伯爵夫人とその瞳の色のドレスを着こなした愛人ユーフィア嬢』
(噂の内容は、そんなところかしら……)
アシェル様がこちらを気にする様子はない。
私は軽く首をかしげると頬に手を当てて口を開いた。
「事実かも知れませんね。それでは、気分が悪いので先に帰ると夫に告げていただけますか?」
「は……!? そんなこと何で私に頼むのよ!」
「夫と親しいのでしょう……? 私がいなくなって二人きりになった時に伝えてくださいませ」
「……!」
ランディス子爵令嬢はまだ何か言いたげにしていたけれど、疲れ切ってしまった私は会場を去ることにした。
夫に好かれるように努力するのは、もうやめようと心に決めて……。
* * *
私と夫であるアシェル様は家同士の繋がりのために結婚した。
派閥の関係や家の利益のために結婚する、それは貴族界ではごく当たり前のことだ。
それでも、結婚したなら夫婦として仲良くできたら良い……そう思っていた。
けれど結婚して一年、徐々にそんなことは思えなくなっていた。
伯爵であり宰相を務めるアシェル様はとてもお忙しく、この一年ほとんど家に帰ってくることがなかったのだ。
それでも、帰ってくれば私に優しくしてくれたから時間が経てば夫婦らしくなっていくのだろう、そう思っていた。
(でも、未だに私たちは白い結婚のまま……やっぱり、十二歳も年齢が離れた私のことは女性として見られないのかも)
アシェル様はなぜか私に手を出してこない。それでもいつかと待っていたけれど、そもそも私には手を出さずに愛人を作るほど嫌われていたわけだ。
そんな私の心中に気がつくこともなくアシェル様が微笑みかけてくる。
「そろそろ行こうか……夜会に遅れてしまう」
「ええ、そうですね。今日も壁の花でいますからご安心ください」
「……確かにそうしてくれれば安心だが。しかし、最近ますます可愛くなったしこの色のドレスを着たら周囲の目を釘付けにしてしまうだろう……」
アシェル様は私が壁の花であると言うことを否定してくれず、ゴニョゴニョと何か呟いた。
「……はあ、やっと君が十八になるというのに」
「また、子ども扱いをして……」
「ところで、先日体調不良で先に帰っただろう……本当に体調は大丈夫なのか? もし何かあれば必ず声をかけるように」
「ありがとうございます」
そうは言っても、アシェル様が話をしている相手は王族であることが多い。
まさか、それを中断させるわけにはいかないだろう。
(それに前回は、本当は体調不良じゃないもの……。帰ってきてから、アシェル様がベッドから出してくれないものだから困ってしまったわ)
アシェル様と私は十二も年が離れている。貴族の派閥の力関係を調整するための王命での結婚ではあったが、アシェル様に憧れていた一年前の私は舞い上がって喜んだものだ。
「俺の気も知らないで。確かに忙しかったのは事実だが、今日は君の十八歳の誕生日だ。王族主催の夜会が開催されなければどんな手を使っても休暇をもぎ取り屋敷で過ごしたものを」
アシェル様は、そう言って私の手を引いた。
* * *
会場に着くと、なぜか周囲からの注目を浴びた。
「……何だかいつも以上に見られているような」
「それはそうだろうな」
アシェル様がため息交じりにそう言った。
「あっ……なるほど、噂話のせいですね!」
「君は何を……」
アシェル様が怪訝な表情を浮かべる。
そして私は一人納得した。
(……アシェル様とランディス子爵令嬢との噂話が拡がっているに違いないわ)
そう考えて一人納得する私。それを見ていたアシェル様が、ますます怪訝な表情になっていくことに私は気がつかない。
王家主催の夜会には、王都周辺の貴族のほとんどが揃っていた。
「すまない、どうしても今日中に決めてしまいたい案件が……」
「いつものことですので」
「すぐに戻る」
アシェル様は義務だとでも言うように、私と一曲だけ踊ると、国王陛下の元へ行ってしまった。
すぐに戻ると言っても、すぐ戻ってきたことはない。今夜も次々訪れる貴族たちに囲まれ、あっという間にアシェル様の姿は見えなくなってしまった。
私は今日も、一人きり取り残される。
「はあ……誕生日なのに」
諦めて壁の花でいようと思っていたところ、今日もランディス子爵令嬢が私の前に現れた。
「あら……とうとう似合わない色をまとうのはやめたのですか?」
「そうかもしれません。誕生日なのに放置されて、もう諦めました」
「えっ……誕生日!?」
アシェル様の髪色と同じ茶色で露出の高いドレスを身につけたランディス子爵令嬢が明らかに慌てた。
「あの……噂話のせいで喧嘩してしまったとか!?」
「そうですね。アシェル様とランディス子爵令嬢はとてもお似合いだと思います……ひゃん!?」
そのとき、急に足元から地面が消えた……いや、高く抱き上げられていた。
「へえ……それはどういうことかな?」
「アシェル様!?」
「まったく……ランディス子爵令嬢と会話したことはあるが、彼女は王城の秘書官、あくまで仕事に関してだけだ」
「……えっ?」
「はあ……ランディス子爵令嬢も、我が妻を揶揄うのはやめてもらえまいか。妻はとても純粋で、人のことを信じやすく、優しく天使のような人なのだから」
「王城内で、妻に嫌われているのでは、とか妻が可愛すぎる、とか彼女の兄たちに結婚の許しを得るためとはいえ十八まで待つと約束するんじゃなかった、とかため息交じりにブツブツうるさいから少しは気にしてもらえるように協力してあげたのよ!!」
「頼んでいない……それよりもっと真面目に仕事をしてくれ!!」
「そこまで愛しているなら、誕生日くらい休みをもぎ取りなさいよ!!」
ランディス子爵令嬢がフンッとそっぽを向いてから去っていく。
(えっ、どういうこと!?)
高いかかとの靴を履いているとは思えないほど、ランディス子爵令嬢の足は速い。
「さて、いったいどういうことだ」
「だって……噂の美女がアシェル様の色をしたドレスを着ていたから」
「なるほど……約束通り十八まで待とうと思ったことが間違いか。それとも、いくらなんでも忙しくしすぎたか」
「子ども扱い……!」
「そうだ、それが君のためだったと思うが、今日からは大人扱いをするとしよう。仕事をがんばったのもひとえに君が待っていると思えばこそ。しかし、やはり忙しすぎたな。どちらにしても我慢の限界だ」
濃い緑の瞳が意地悪げに弧を描いた。
ベルアメール伯爵夫妻は珍しく早めに夜会を去って行った。
王城の書類業務をワンオペしていた宰相アシェル・ベルアメール伯爵は、国王陛下に直談判し夜会の翌日から長期休暇を無理矢理もぎ取った。王城内はかなり混乱し、それと同時に働く者たちの処遇改善が真剣に検討されたという。
そしてしばらくの間、ベルアメール伯爵夫人を社交の場で見たものはいない……。
それはまことしやかにささやかれる、先日の夜会に関する噂であり、恐らく事実でもある。
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作者のやる気に直結します!!