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鴉の夢

『夢』by鴉

【What a Wonderful World】


 微量ながら酸を含む雨が大地に降り注ぐ。

 倒壊したビル群の瓦礫は、まるで地を破り芽を出した灰色のオブジェ。

 曇天、雨雲、崩れたコンクリート――多少の濃淡はあるものの灰色一色の景色は、なぜか赤く染まっていく。

 後頭部に鈍痛を感じた。損傷した毛細血管の出血が眼球へ巡り、僕の視界を緋色に染めているのだと、働かない脳でぼんやり考える。

 真っ赤な風景は徐々にその範囲を広げていく。そんな中、僕は意識を手放しそうになっていた。

 さっきまでは辛かった濡れたアスファルトの冷たささえ、今はもう感じない。

 体中を苛む激痛は、体温の低下とともに痛みを超えた無痛へと変わっていく。

 硬く凍える地面すら、今は安らかな眠りを誘うベッド。ゆっくり(まぶた)を閉じ、眠ってしまいたかった。


 霞んでいく風景の中、小型のノートパソコンを左手に乗せ、右手のみでひたすらキーを叩く紺の背広を着た男が見える。有機物の癖に無機物みたいな男の顔には、一切の感情が見えない。

 ディスプレイに映る文字列は容易に想像できた。

 この記録をつけているのだと。それは無機質、無感情を伴奏に、彼が規則正しく事務的に奏でるキーを叩く音が教えてくれている ただ記録するだけの彼らは、適当な間隔で区画ごとにいた。


 雨の中、傘もささず、そんな精密機械を扱っていて大丈夫なのか?

 ――――そんなどうでもいい思考を最後に、僕の意識はフェイドアウト――――




【Real World】

 

 白い壁紙を貼った僕の部屋。少し開けた窓から忍びこむ弱い風が、ごわごわした安物のレースのカーテンを揺らす。汗ばんだ肌には生温い空気の動きさえ心地いい。頬が纏う熱気を拭い去ってくれる。


 夢の中の僕は逃げ惑っていた。

 より強い敵に“餌”を奪われまいと、這いずる黒衣の僕は“鴉”。

 飛び立つ事すら叶わず、折れた羽を引きずり、地を這うしかない存在。

 夢で死んでも、また悪夢は繰り返される。ゲームで死亡してもセーブポイントからやり直せるように、繰り返される“鴉”同士の殺し合い。

 黒衣を着た“鴉”と呼ばれる人々は他にもいた。奴らは全て敵でしかない。

 悪意には悪意を持って立ち向かう。それが許されるアノ世界。

 “鴉”と“記録者”のみで構築されている、他は灰色一色の世界。

 “記録者”は“鴉”達に襲われない。視認する事はできるが、皆“記録者”を狩ろうとはしない。それがアノ世界のルールらしい。“記録者”は敵でもないが、味方でもない、不可侵の存在。

 “鴉”達はそれを知っている。アノ世界に行った時から、なぜか僕もソレを理解していた。

 アノ世界が何なのか知らない。僕が見るただの悪夢なだけなのかも知れない。

 少しでも油断すれば誰かに足元を掬われる。現実とアノ世界のどこが違う?

 嫌いな教師は出会って即効殺した。

 いつも嫌がらせをしてくる同級生も、迷わず殺し“餌”を奪った。

 普段から気にかけてくれ、何かと助けてくれる先輩を見つけた時は、気づかれる前に逃げた。彼を殺す気にはなれなかったからだ。

 知人を殺した次の日、僕のように覚えていたらと心配になったが、いつも通り皆は変わらなかった。

 いつも通り、嫌な奴は嫌な奴で、良い人は良い人のまま。




【Crazy for You】


 その日も僕は逃げ廻っていた。

 なぜ、そんな気になったのか分からない。

 彼女を初めて見た瞬間、心臓の鼓動が早くなった。

 そして気がつけば、足元に倒れている一人の男。

 ――ただ、彼女を助ける事しか考えられなかった。


 瓦礫に身を隠しても、この黒衣は目立つ。廃墟となった崩れかけたビルに潜み、僕は他の“鴉”をやりすごしていた。

 騒がしい人の声に、見つかったかと思い、物陰からそっと様子を伺う。

 追われていたのは別の“鴉”。

 どこかでひっかけたのか、破れた黒いドレスの裾から白く細い足が覗いていた。白すぎるその肌に血が滲んだ赤い線。長い黒髪は乱れ、汗ばむ額や頬に幾筋か貼りついている。うっすらと紅い唇からは荒い息が漏れ、怯えた黒い瞳は潤んでいた。華奢な“鴉”――僕と同じくらいの年齢だろうか、小柄で細く体力も無さそうだ。

 弱者は強者に狩られるためにいる。仕方ないんだ、仕方ない事なんだ。

 心臓は、そんな理性に反して早鐘を打つ。 

 追うのは大柄な男の“鴉”。容易く倒せる獲物を見つけたせいか、その目は歪んだ狂喜に満ちている。

 途中から音だけで判断していた僕の隠れる壁の裏側で、追われていた彼女は足がもつれてしまったようだ。地に人が倒れる鈍い音が聞こえた。男はゆっくりと歩を進め、そちらへと近づいていく。

 見つからないよう充分に注意しながら見ると、男は瓦礫から岩のようなコンクリートの塊を選び、頭上に振り上げていた。

 そのままアイツがアレを落とせば彼女は……そんなのは見たくない!

 男がこちらに背を向けている間に、後ろから忍びよる。そして僕は持っていた鉄パイプで、男の頭を殴りつけた。低く呻いて男は倒れ、止めを刺すためにまた僕は殴る。

 鈍い感触が鉄パイプを通して、僕の腕へ、それが脳へ情報として伝達され、気分が悪くなる。

 何も考えない、考えたくない。早く終わりたい、終わらないこの悪夢。

 だが今日は違う。

 自分のためじゃない。彼女を助けたかった。 

「大丈夫?」

 無我夢中で殴っていた男が動かなくなって、初めて僕は彼女に声をかけた。

 新手の敵が現れたと思って怯えていた彼女はゆっくりと頷く。その目はまだ状況を理解できないみたいだった。

 いや、僕だって分からない。他の“鴉”は全て敵のはずなのに。なぜ、彼女だけ助けようとしたのか。

「……あ、り、が、とう。どうして、私を助けてくれたの?」

 戸惑い、息を切らしながら僕に礼を言う彼女に右手を差し伸べ、立ち上がらせる。彼女の問いに対する僕の答えは出てこない。

 ただ、熱を持った白く華奢な手に触れると、僕の鼓動はより早くなった。




【Swallowtail Butterfly】


 まだ僕の手には、鉄パイプから伝わってきた男を殴った感触が残っている。 

 鈍い肉の塊に遮られた骨を砕く感触も……。楽しんでいる“鴉”もいる。いや、たぶん、ほとんどの“鴉”は楽しんでいる。狩る者として、自分より弱い者を見つけると嬉々として追い回す。

 僕だってコチラで憎んでいる奴らを殺す時には、少しだけ胸がすっとした。

 彼らも同じなのか? 

 嫌いでもない相手に危害を加えるのは辛い。いつも僕は心の中でごめんねと、呟いている。

 こんな事したくない、したくないんだと相手に――いや、自分に言い聞かせている。そうしないと何か分からない恐ろしいものに、僕自身が飲み込まれてしまうような気がするからだ。


 でも、今日のは違う。ただ彼女の事を守りたかった。

 もう一つ右手に残る感触を逃さないように、僕はそっと拳を握る。あの時触れた彼女の手は温かく、柔らかかった。

 彼女も気がつけば、アノ世界にいたらしい。コチラで目が覚める前に少しだけ、僕達は二人きりで話が出来た。

『皆、黒い服を着ていて、私を見ると急に追いかけてきたの。怖かった……』と。

 そしてやっぱり他の“鴉”を倒して“餌”を奪わなければならない事も理解したらしい。でも弱い彼女では勝てない。なるべく逃げて隠れて他の“鴉”を避けていたと僕に話してくれた。

 

 喉の渇きを感じて、僕は窓辺に置いてあったミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばす。もう水は温くなっていたけど、眠っている間に体が失った水分を補給できた。潤いとともに少しずつ覚醒する意識は、役に立たない記憶を呼び覚ますだけ。いつもそうだ。

 うたたねしていた男が蝶になる夢、たぶん国語の授業で習ったんだっけ。

 昼寝していると蝶が男の顔に止まり、飛び立ち、また戻ってきて男はそこで目が覚める。そんな話だったような気がする。

 蝶は花とともに一生を終え、そこで目覚めた彼は考えるんだよな。

 ――――自分が蝶になった夢を見たのか、現在(いま)の自分こそ蝶が見ている夢なのか。

 僕にも分からない。

 “鴉”が僕の夢なのか、僕が“鴉”の夢なのか。

 本当の僕は今もアノ世界で、灰色の中で雨に打たれて倒れている“鴉”なのかも知れない。

 アノ世界での夢は、コノ世界にも何か影響があるのだろうか?

 北京で羽ばたく一匹の蝶がニューヨークでトルネードを起こすように、アマゾンで舞う一匹の蝶がシカゴに大雨を降らせるように。遠く離れた場所で、一匹の蝶が羽ばたきが起こした風が、嵐になっていくように。

 普段なら無視してしまえるような小さな事が、他の場所では大きなものになってしまう。

 バタフライ効果(エフェクト)、カオス理論の一種だったかな。

 夢でしかないアノ世界というあやふやな事象は、現実であるコノ世界にも何か大きな波紋を投げかけるのだろうか。

 形にはならない、底知れないモノの存在を感じて僕の背筋は寒くなる。

「くだらない……」

 僕は頭を振って、そんな考えごと振り払おうとする。毒されているんだ、ただの悪夢なんだ、アレは。ちょっと知っている人も出る、それだって僕がその人に対して何か思う事があるから、出演しているだけの……そう、ただそれだけの悪夢。どれだけ繰り返し見るからって、そこに意味なんて無いに決まっている。

 意味なんてあってたまるものか。 




【Killing Me Softly with her Song】 


 彼女は走って逃げる。

 兎狩りをする猟犬のように、追う“鴉”は歯を剥き出し凶暴に嗤っていた。最期の瞬間(とき)まで、奴は暗い悦びに浸っていたに違いない。

 かち割ってやった頭蓋から飛び散る鮮血、脳漿が、辺りの瓦礫や彼女の頬を赤く汚す。

 この光景に怯えてるの? それとも僕を見て怯えてるの?

 大きく見開いた黒い瞳に映った僕の姿は……。


 彼女と僕は効率良く“餌”を奪うために、組んで狩りをする事にした。

 どちらもあまり強くない僕達は、彼女が(おとり)になって、僕が潜んでいる場所にの“鴉”を(おび)き寄せる。油断した奴らを狩る事は簡単な事だった。

 今日も罠を仕掛け、弱い彼女を狩る事のみに夢中になっていた一人の“鴉”を誘い込む。崩れかけたビルとビルの間、路地になりそこなった行き止まりの道。

 兇悪な愉悦を浮かべる奴を見ると、胸がむかむかした。弱い彼女を狩れるのがそんなに楽しいのか?

 でも、お前は狩る者ではなく、狩られる者なんだよ。

 ――――この僕にな。

 追い詰められたフリをする彼女に、ナイフを振りかざした奴に向かって、僕は鉄パイプを振り下ろす。腐った脳味噌をぶちまけ、痙攣しながら絶命する奴を、それでも僕は殴り続けた。確実に止めを刺さないと、僕達が危ない。

 前に倒れた“鴉”から“餌”を奪おうと、コートのポケットに手を入れたら、その手を掴まれた事がある。彼女が咄嗟(とっさ)にそいつを殴らなかったら、僕はナイフで刺されるところだった。でも出来るなら彼女には、人殺しなんてさせたくないんだ。白く綺麗なその手を汚して欲しくない。

 肩で息をつきながら、僕は彼女の方を見た。口を手で押さえ震えている彼女の瞳には、鬼のような形相をした僕。頬に付いた血しぶきを黒いコートの袖口で拭いながら、僕は彼女の視線から逃れるように顔を背ける。

 しばらくの沈黙の(のち)、温かいものが僕の手に触れた。

「ごめんね、いつも、あなたばっかりに、嫌、な事、さ、せてる……」

 しゃくりあげながら僕の手を握りしめ、自分の頬に当てる彼女の手。零れる熱い涙が、僕の手に付いた血を洗い流してくれているようだった。

 たとえ、こんな世界でも、君は僕と同じ気持ちでいてくれるって思ってもいい?

 君を守りたいからって奴らを殺し続ける僕に、これからも泣いてくれる?

 もし、この願いが叶うなら、僕はどれだけこの手を血で汚してもいい。




【the End of the World】


 アノ世界の夢を見て目覚めたのに、その朝は綺麗で切ないものが僕の胸を締め付ける。

 いつもは嫌な気分で起きる朝が、彼女の涙が汚いものを全て拭い去ってくれた。幸せなのに胸が苦しい。

 会いたくって仕方が無いんだ、アノ世界は嫌なのに、君に会えるならそれでもいいと思ってしまうんだ。

 重い頭で、学校へ行く支度をする。制服に着替え――黒い学生服――“鴉”と同じ黒い服。

 でも、コノ世界に君はいない。どこを探しても君はいない。


「なんで、ここにいるんだよ?」

 通学路の途中で信じられないものを見て、僕は思わず呟く。紺の背広、左手にはアノ端末、右手で……片手でピアノを弾くように、文字を打ち込んでいる男を見つけてしまったからだ。

 あれは“記録者”だ、間違いない。あんな無表情でいる人間なんか存在する訳がない。無感情で無機質で、目の前で人が――“鴉”が死んでも、何も映していない濁った瞳で見ている奴ら。 

 どうしてコノ世界にいるんだよ?

 “記録者”は僕の方を真っ直ぐに見ていた。黒い、闇より深い闇のような目で。

 やめろよ、一体何を記録しているんだよ?

 横断歩道の向こう側に奴はいた。信号は点滅し、赤に変わろうとしている。

 今ならまだ間に合う。何とか捕まえて聞きだすんだ。アノ世界は何なのか、彼女はコノ世界にいる人なのか。


 鼓膜に突き刺さるクラクションの音。衝撃を感じた時には、もう僕は地面に倒れていた。

「え……?」

 体があちこち痛くて動かない。赤く染まっていく視界に映るのは“記録者”の姿ではなく、立ちすくむ彼女の姿だった。大きな黒い瞳、あの時のように頬を汚す血飛沫(ちしぶき)

 ごめんね、怯えないでと、伝えたいのに声が出ない。

 彼女はセーラー服を着ていた。彼女がそっと右手で、自分の頬に触れるのも見えた。僕のせいで汚れた手を見て、彼女は目を見開いて動けないでいる。 

 そしてその瞳で、僕を見ていた。知らない人を見る瞳で。

 

 幕が下りるように、辺りが暗くなっていく。

 コノ世界の彼女は知らない人。

 アノ世界で死んだなら、彼女は僕を抱きしめて、涙を流してくれたのかも知れない。

 コノ世界では、そんな小さな希望すらない。僕達は面識すらないただの他人。

 アノ世界と、コノ世界、いったいどっちが真実(ほんとう)だった?

 答えてくれる者はいない。もう答えを聞く事も出来ない。

 ただ悲しくて、瞼を閉じる僕の目から一筋の涙が零れて頬を伝う。それは僕が最期に感じる熱。




 ――――“記録者”は、小型のノートパソコンに似た端末を操作していた。

 “記録者”の指がキーを叩くにつれ、端末のディスプレイには文字列が浮かび上がっていく。

『夢の記憶を失わない“鴉”。改善不可能なバグのため、現実世界にて消去終了』

 

 鴉かっこいいですよねーwボーカルがドランクドラ○ンの鈴木氏に似てて……ゲフンゲフン。

 ところで鶴ってバンドもありますよね(´▽`)

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