誰も生きていない現実
「十五階は!」
「それどころではありません!ああ、また離反者が!」
「議員の皆様は!」
「警備員たちと共に議場に籠城しています!」
電波塔は既に、外の世界の人間たちの侵入を許している。一人や二人ではない。
食堂などは、既に戦場となっていた。
本来職員たちが落ち着いて食事を済ませるべきはずの場所で外の世界の警官と第二の女性だけの町の警官と言うか秘密警察の人間たちが銃弾を撃ち合い、命のやり取りをしている。
そしてそれは町議会も同じであり、町議会議員と言う名の権力者はわずかな人員と共に外の世界の暴虐と戦っていた。
外の世界の人間が叫ぶ「追川恵美、相川玲子、九条百恵を引き渡せばいい」と言う戯言などまともに耳に入れようとせず、それこそ最後の一人になるまで戦うつもりだった。
それなのに、形勢は全く悪くなるばかり。
離反者たちが一秒ごとに現れては自分たちに刃を向け、本丸へと近づいて来る。
あまりにも多くの離反者の登場に、本来戦いに向かないと言うかそちらの適性のびた一文ない職員と言う名の軍勢の士気は急降下していた。
パソコンの向こうの相手は、言葉で殴りかかって来る事はあっても物理的な力を持たない惰弱な存在。その惰弱な存在をあるべき姿へ持って行くために口と言うか文字を使う事は長けていたとしても、それこそ箸より重いものを持たないような生活をして来た存在に銃など持てるはずもない。と言うかそれこそが美徳であり、腕力を持つ存在は日陰者とされて来た。
そしてそれは、秘密警察さえも例外ではなかった。
次々と、面を作りながらやって来た敵軍を前にして、九条百恵が育てたはずの秘密警察は無力だった。
確かに技は華麗であり、あるいは暗殺だけならばトップクラスだったはずの人間たち。
だがどんなに不意を突こうとしても、分厚い防備を破れない。
筋肉を付ける事が絶対悪のようなこの町で、膂力が鍛えられるはずもない。
技ばかりを磨いた所で基礎体力のない彼女たちには、この戦況を乗り切る力はない。
それが何を産んだかなど、答えは余りにも簡単だった。
さらなる離反。でないとしても容疑者でもないのに自首、さもなくば逃走。
その結果—————
「九条百恵、負傷!」
なんと、九条百恵が狙撃されたと言うのだ。それも後ろから。
無論狙撃手は即射殺されたが、この町の治安のシンボルが負傷した事実は崖っぷちだった心理状態を崖下に突き落とした。
犯人は武器を与えられた女性たちの中でも、取り分け気の弱い一人の女だった。それはついさっき尾田兼子を殺した女性と同質のそれであり、兵士としては最低のそれだった。
その最低の人間による、最高の人間への離反。誰よりも正義を愛し、悪を憎んだ女への暴力。
「うわああああああ!」
「もうダメぇぇぇ!!」
秘密警察の人間たちさえも、わめき出す。
中には川島の先輩を殺した人間もいたが、その時の面影はもはやどこにもない。心が乱れてしまえば十人並の警官でしかない彼女たちは次々と負傷させられ、外の世界の人間たちと離反した身内によって捕縛される。
「ちょっと!自分が何を…」
そこまで言った所で殴り倒され、引き渡される。次々と逮捕者の山が出来上がり、結果的に敵軍の数を減らしているのだが、それ以上に味方が減りすぎていた。
座間澄江もいない。
あのレイプ事件の後心を病み、今は家で娘を抱えて引きこもっている。
酒好きで陽気で、ともすればちゃらんぽらんとも言われるような人間だったのに。
いやそのちゃらんぽらんな人間ですらそれであり、真面目だった神山は既に自殺してしまっている。
それがこの町の、何よりも大事なはずの電波塔を守る人間の能力だった。
「若宮さん…」
この部隊を指揮していた酢魯山澪。
もはや片手で数えられるほどの味方である若宮とスマホで連絡を取りながら、室村社へ抗議声明を送ったパソコンが乗っていた机を立てて隠れている。
「十五階はもはや無理でしょう。それにしても多川さん……」
「ええ。本当に情けない限りです」
多川はあと二発しか弾の残っていない銃を握りながら、酢魯山と共に隠れている。
「私はこの町にいい思いをさせてもらいました。ですからその恩を仇で返すなんてできません」
「ありがとうございます……!」
泣いていた。
酢魯山澪は、柄にもなく泣いていた。
こんなにも、自分たちを求め、恩を感じている存在がいると言うのに。
なぜ誰も、自分たちを受け入れないのか。
彼女もまた、女性としての尊厳を奪われたと言うのに。
だからこそ、オトコを正そうとしたのに。
九条を守りに行った若宮を追う、オトコの手先と、オトコの手先に寝返ったガンギマリ女共。
いくら若宮だとは言え、あの数に対応できるのか。
出来たとして、その後の見通しはあるのか。
(ごめんなさい党首様……女三界に家無しと言う時代はまだまだ続きそうです……いや、永遠に終わらないのかもしれません……来世があるなら、雌雄同体の存在にでも生まれ変わりたい………………)
酢魯山澪の銃口の行き先は、あまりにも近かった。
「ちょっと!」
そんな外の世界の連中の制止に耳を貸さない事こそ、最後の意地であると言わんばかりに、引き金を引く。
ここに、二十年以上の歴史を持っていたJF党は完全に滅んだのである。
酢魯山澪にとって四つ幸福だったのは、最後の最後まで自分が正義の味方でいられた事。
二つ目は、JF党の理念が実現した世界に浸れた事。
三つめは、この時既に若宮も、仲間たちだった存在の離反により負傷し、数分の後に自分と同じ所へ来るのを知らなかった事。
そして四つ目は、自らの弔砲に合わせるように二発の銃弾を放ち、最後の道連れを作ろうとした多川の真実を、知らないままだった事。
ただの会計畑の人間だった多川が室村社で、新商品のデザインがあまりにも煽情的すぎると腹を立てて上司に迫った事。
そんな会社に入っておいて何のつもりだと上司を含む全員から言われてなお噛み付き続けたために、「温情として」「現場を知るために」開発部に回されそうになった事。
それらの事実を暴露された多川が、ちっとも反省などしていないと言わんばかりに歯噛みしていた事。
元々その素質はあったと言えどそんな人間にVIP待遇を与えてしまった事実が、酢魯山澪の耳に入る事はなかった。




