議会の議題
「では、議論を始めます」
津居山院長が自殺した次の日。
その日の町議会は、特にどうと言う事もなく始まった。
酢魯山澪議長の合図とともに、議員たちが立ち上がる。
深々と頭を下げ、これからの論戦に臨むべく気合を入れる。
「さて、皆様ご存じの通りついに室村社は我々の提案を拒否し全面対決の姿勢を取った訳です。
これもまた皆様ご存知でしょうが、我々は決して室村社の活動を阻害する訳ではなく、万人幸福のためにあるべき姿を取った方が良いと進言しているだけに過ぎませんでした。
しかしその件に対し室村社の上層部と追川町長が交渉を行いましたがにべもなく拒絶され、挙句の果てにこの町はカルト宗教であると言う暴言を吐かれてしまいました。
それでも我々は最後通牒として、煽情的コンテンツの筆頭である「マイ・フレンズ」及び「カントリーガールズ」の配信停止またはこちらが用意したデザインへの変更を求めました。あくまでも平和的に、室村社と言う存在が世界全てを幸福にするために動くにはどうすべきか。その旨を提案しただけなのです。にも関わらず室村社の馬崎真一と言う輩はこの町の住人をカルト宗教呼ばわりし、男根のご機嫌取りの物体に少しでも触れる物ならば容赦しないと言い出したのです。その洗脳力たるやすさまじく、傍らにいた女性にさえもカルトであると言わせたのです」
まず口を開いたのは、酢魯山澪。議長ではなく、議員としての発言。
改めて聞かされる、室村社の非道と言うか無法な言い草。
議員たちの顔が紅潮し、中には立ちくらみどころか嘔吐までする議員もいた。
「もはや彼らは病膏肓に入っていると言わざるを得ません。そのような癌細胞を放置しては外の世界はさらに荒れ、女性が健全に住める世界ではなくなります。まだ確認は取れていませんが、我々がこの町を作らせてから二十幾年の間に演出はさらに過激化し、性器の露出や排泄などの行為も当たり前のように描写されているとの事。無論暴力行為もまたしかりであり、さらに殺人行為さえも真っ昼間から垂れ流しにされているとか!
そしてこれこそ最大限に嘆かわしい話ですが、我々がいなくなったおかげで、おかげでそのような演出が堂々と楽しめるようになったと言う声が極めて大きいのです!これは電波塔の職員から多数上がっているので間違いはありません!」
完全な邪魔者扱い。
第一の女性だけの町が出来てからまではそれほど過激化せず横ばい気味だったと言う演出がこの二十年で一挙に退行し、それこそ「第一次大戦」以前の水準にまで至ってしまったと言う現実。
事あるごとに騒ぎまくっていた連中がいなくなり、ようやく自由にできるようになったと言わんばかりに。
「このままでは!外の世界の連中は気に入らぬ女を放り出すためにのみ!第三の女性だけの町を作る可能性があります!その先にあるのは世界の分断!平和の二文字から最も遠い世界の到来!そのような事をさせないためにも!我々は戦わねばならぬのです!」
そして、最悪の中の最悪と言うべき形での第三の女性だけの町の創立。
文字通りの姥捨て山。
ただただ厄介払いのためだけの隔離施設。
と言うか、刑務所。
「そもそもが!なぜこんな町を作らねばならなかったのか!それは全てオトコたちの責務と言う物!第一の女性だけの町とて目的は同じはずだったのにそれを忘れ保身にのみきゅうきゅうとしている!もはや、この世界は壊れかかっている!世界の崩壊を阻止し、秩序を取り戻すのが私たちの役目!そのために!この訴訟は絶対に勝たねばならないのです!」
スタンディングオベーションが発生する。真女性党も誠心誠意党もなく、町議会中が拍手喝采と万歳三唱の声に包まれる。
外山と津居山の遺影が見下ろす中、議員たちは戦いに向けてまた決意を新たにする。
もっとも肝心な事については弁護士の老川八重子任せであり、八重子本人を含めその事を誰も気にしていない。
「ですが!さらに嘆かわしい事として!ここ最近あまりにも人口減少が進む危機が迫っているのです!」
彼女たちには、もっと重大な問題があったからだ。
「ブルー・コメット・ゴッド病院の入院希望者数の数をご覧ください!」
酢魯山によりスクリーンに映る、ブルー・コメット・ゴッド病院の入院希望者の数。
この町が出来た時に一度十人前後の時はあったが、それからしばらくは一日平均三~四人であった。一時は一人以下の時期もあり、その頃にはブルー・コメット・ゴッド病院は閑地、暇も金も多い理想の職場と言われていた。
それがあのレイプ事件から入院希望者の数が三ケタを割る事はなく、この三日間連続で増えてついに昨日は一八〇人にまで達している。
いや、数年前から毎営業日に付き十五~二十人単位の希望者がおり、津居山以下ブルー・コメット・ゴッド病院の従業員たちはかなり疲弊していた。五十床しかないブルー・コメット・ゴッド病院では患者を三日間入院させるとそれこそギリギリであり、平日、特に水曜日や木曜日はそれこそ「予約待ち」ギリギリになる事もしばしばだった。
この町を出るにはブルー・コメット・ゴッド病院に入院し「追放」を許可されるしかない。もっともNGが出るケースは少なく患者自ら辞退すると言うケースが大半ではあり、わずかながらその病院で生涯を終える患者もいた。
一日平均二十人となると一年で七千人超の社会減であり、無視できない数である。
そして今や一日一八〇人、つまり年間三万人以上、一年換算だと一万人近い社会減となる。
これは、昨年の社会増よりも二千人以上多い数字である。




