「大量追放希望」
「ふざけるんじゃないわよ!タイラン、一体何人並んでるの!」
「五十人です、ああまだ増えてます」
「何なの一体…………って言うかコーヒーまだ!?」
津居山恵美は、頭を抱え込みたかった。
本来この上なく暇な仕事だったはずなのに、ここ最近はおかしいほどに多忙だった。
そして、コーヒーは未だにできない。水道を目一杯捻っても水はか細く、本来なら十秒も要らないはずなのに三十秒かかってもコップ一杯にならない。津居山にとって朝のコーヒーが吞めないのは、かなりの一大事である。
一応それを見越してあらかじめ水を溜めてはいたが、最近では多忙のイライラと相まってコーヒーを飲む量が増えているので結局水は足らなくなる。無論豆とてただではなく、津居山自ら自腹を切って必要経費とか言う言葉すらかなぐり捨てて買いあさっている。
と言うか、最近では買い漁ろうにも買い漁れないほどになっており、直売店と言うか贔屓の店さえも豆の出荷を送らせねばならない状態だと言う。正確に言えば豆そのものは収穫されているが店に届かないと言う状態で、溜めていたコーヒー豆ももってあと三日とか言う状態だと気付いた時には津居山をしてくらくらした。
どいつもこいつも仕事をサボって何のつもりだ。
他に行くところがあるだろう、すべき事があるだろう。
確かにレイプ事件は大ショックだが、そんな事が二度も起こってたまるものか。外の世界ではそれこそ日常茶飯事と言う単位で起きているのに一体何のつもりだ。
わざわざ楽園追放を望むなど頭がおかしいと言うのはわかっているが、それにしても異常者が多すぎると言うか増えすぎている。
「どうする?」
「どうすると言われましても」
「とっとと放り出してもいいんじゃないかって。放り出されたいんでしょ?あの連中って。まあゴミのせいだから同情の余地は山とあるけど」
「ゴミに謝って下さいよ」
下世話な冗談で現実逃避を図る間にも、五十人は六十人になり、七十人になって行く。
どうして逃げ出そうとするのだろうか。
しかも、よりにもよってこの町を支える公務員たちがだ。
入院希望者のデータは当然ながら院長にも入って来るが、そのデータに改めて絶望を覚える。当然職業差別などする気もないが、それでもこれまでとは全く違う客層ばかり来ているとなると不安にしかならない。
普段ここにやって来るのはしかのみ公務員とか無職とかこの町にて本当に冷遇されているか、希望を全く持てないかのどちらか。
まれに外の世界でもっと腕を磨きたいとか言う酔狂な安定職の人間もいるが、それこそ一番随分な言い方をすれば町の中でも最下層の存在だった。
だが今は違う。
道路整備とか水道工事とかだけではなく、教師や電灯工事の担当者まで逃げ出そうとしている。
彼女らの仕事は公務員としてはかなり優遇されており、それこそわざわざ外の世界へと逃げ出す理由などないはずだ。
他にもトラックドライバーや料理人など、ありとあらゆる職種の人間が追放を求めている。
ありえない。ありえない。
何が悪い。あの甲斐とか言う輩のせいか。
どうせそいつは死刑になるだろうが、まったくとんでもない爆弾を爆発させたものだ。それこそ単純に殺すだけではなく考え得る限りなるべく過酷な刑を与え、生まれた事を後悔させたいぐらいだった。その事が知識としてわかっているはずなのに、なぜ逃げ出そうとするのか。
言うまでもなくベッドは埋まり切っていて三日間検査を受けるために入院→追放許可→追放と言う正規ルートをたどる事は出来ない。現在入院している患者を含めると七十人捌くのに五日はかかるし、その間患者が増えないと言う約束など誰にもできやしない。
「……ああ、私達の仕事は誰のためにあるんだっけ」
必死に言葉を取り繕ってはみるが、苛立ちは全く収まらない。
確かに「患者」様のために病院はある。だが患者は患者でもモンスターペイシェント様を相手にするほどには心も器も広くない。それこそ本人の希望通りとっとと追い出したいぐらいだ。
—————そう、とっとと追い出せばいいではないか。
「ねえ、私、いい院長になりたいの」
「そりゃそうですけど」
「これ以上、あなたたちも限界に近いんじゃない?」
「それって…」
「だから、私が患者さんと面談して、例の映像も見せるの。それで二日、いや一日で決めるの。ねえ、いいアイデアでしょ?」
津居山はここ数ヶ月で、一番いい笑顔をしていた。
津居山からしてみれば、一石二鳥のアイディアだった。
自分たちの役目は果たせるし希望者の願い事は叶えられるし、どちらにもいい事ではないか。
(どこの誰のせいでこうなってると思ってるのよ……もうどうなろうが私は痛くもかゆくもないし……)
元々この病院を作ったのは、この町を出て行くに当たって本当にいいのか、外の世界の恐ろしさを伝える最後の恩情ではないか。
そんなに必死になって袖を引いているなのにどいつもこいつも、全く恩を知ろうとしない。
そんな奴の事など、もう知った事か。
ようやく出来上がったコーヒーを口にしながら、津居山は笑っていた。




