耐えがたき存在の軽さ
「非常事態ですからね、仕方がないでしょう」
酢魯山澪はうなずきながら、電話を切る。
その顔色に、変化の文字はない。
ただ黙って傍らの女性に目をやり、無言でうなずくだけだった。
「死傷者は」
「ゼロです。銃声に驚く程度の手合いですから」
威嚇射撃一発でひるむような人間が、一体何のつもりなのか。
新たなる同志たちに向かって嫉妬に駆られむやみやたらに吠えるなど、とても理性的な人間のする事ではない。
そんな存在を即時逮捕していないのはガードマンにそんな権限がないからではない事を、酢魯山澪も相川玲子も知っている。
「彼女たちにはまたわかってもらわねばなりません。かような軽挙妄動こそ、オトコたちがもっとも歓迎するそれであると」
「ええ。まあ此度の事で懲りたでしょうが」
「とは言えそれなりの処置は施さねばなりません」
別に慌てる必要もない。この町の住民らしくすればいいだけ。
「しかし彼女らはなぜ……」
「自分たちが日陰者である事が、この町の幸福だとわかっていなかった……実に悲しい事です」
誠々党副党首酢魯山澪の言葉は、真女性党党首追川恵美の言葉とびた一文違わない。それこそこの町における憲法のレベルのそれであり、絶対的な法規だった。
「暴力をどうやって排すれば、いや廃すればいいのか……女性が真に安心して暮らせる世のために、二十年以上私たちは知恵を絞って来たはずです。それなのに未だに彼女たちはそれをわかろうとしない……今は過渡期だと町長はおっしゃっていますが」
「外の世界の爪痕は未だに……と言う事でしょうか」
彼女たち襲撃未遂犯もまた、あの森川と同じく二十代後半から三十代半ば。志高き女性たちによりひとケタ年齢でこの町にやって来た存在。既に彼女の親たちは現在でも重職に就いていたりその上でこの世を去ったりしているが、不思議な事に彼女らの中に親たちの地位を継ぐような人間がいない。彼女らは皆一様に教育に対して不真面目であり、上になればなるほど重篤になる。そんな彼女らが就くのは大半がいわゆるしかのみ公務員か非正規雇用であり、当然富貴とは縁遠い。
さらに言えば、その世代には追放者も多い。早いのになると追放可能年齢である十五歳の段階から申請を行い親の反対を押し切ってしまったのもおり、二十代にならない内にいなくなった人間も少なくない。今頃オトコ相手に体を売りまくっているかと思うと実に悔しい話であり、同時に悲しい話である。
いくら出産が何歳でもできるとは言え、この勤労世代の中心がいなくなるのは社会的に不安定になる。彼女らの希望だったはずの岸があんな事になってしまった以上、同世代の人間たちは余計に不安になっているだろう。
「なればこそ…」
「ええ。此度の訴訟を勝利し、何としても我々の正義を示さねばなりません。そのためには…」
「検査ですか」
なればこそ、彼女たちを使うしかない。引田水花の病院にて検査を受けさせ、彼女たちを「マイ・フレンズ」によるPTSD患者に仕立てる。そうすれば訴訟に勝てる見込みはさらに大きくなる。時間もまだ二日ある。
「丹治さんはおっしゃっていました、此度の訴訟で外の世界の同志からまたお金が入って来るって」
「そうですか。あるいはその資金で労働者をかき集める事も考えなくてはいけませんね」
「外の世界にはオトコから逃れられない女性たちもたくさんいますからね。彼女たちに職を与えねばなりません。腕力も使いようです。町長も党首も、皆その意見で一致しています。業腹極まりますがね」
結局、安全のためには力を振るう人間は欠かせないのか。外の世界から自主的にやって来るような人間たちだけではもはや限界であり、それこそ求人をかけてかき集めるしかないのか。
無論、女性を。
この世で最も崇高なる活動のはずなのに、なぜ皆真剣に取り組まないのか。
民意によってえらばれた存在であるはずの酢魯山には、てんでその意味が分からなかった。
※※※※※※
「検査?」
甲斐は目を三角錐のようにしていた。
彼女の同僚や近しい業種の人間が、いっぺんに病院で検査を受けると言うのだ。
「それじゃ人間が足りませんけど」
「足りなくても何でもやるのです。無論できる範囲でで構いませんが」
一応上司の佐藤は残っていたが、さらにその上の人間からぶつけられた味もそっけもない言い草。
岸とか言うお偉いさんを元の上司が殺したせいで自分たちが鼻つまみ者的な扱いを受けている事は知っていたが、それでもなぜここまでされねばならぬのか。
自分たちの仲間が、何をやったか。そんな事は知っている。
ただ、少しばかり調子に乗っている存在をしつけてやろうとしただけじゃないか。
こちらの世界でも、何にも変わらない。
自分は若さばかりを振りかざしてちっとも腕の伴っていない存在を、少しばかりしつけようとしただけなのに。
その結果、すっかり息子はその若さに捕まり自分を産み出した存在を蔑ろにした。あろうことか夫さえもいい年して若い女に魅了され、自分だけが追い出された。
—————そして今、また同じ事が起ころうとしている。
(結局世の中どこでも同じよ!)
自分の地位を振りかざしていばりくさる存在が跳梁跋扈し、自分たち弱者は虐げられる。正しいはずなのに。苦労をして来たはずなのに。
何が外の世界の搾取をとがめるためだ。室村社とか言う存在をぶっ叩いて金を出させようなど、一体何のつもりだろうか。
単に金持ちだからじゃないか。実際室村社の製品には息子が世話になって来たとか言うのはどうでもいいとしても、それから金を搾取しようなど。
—————ああそうだ。お偉いさんたちがそれをやってるんだから、私だって富裕層から少しばかりもぎ取ってもいいじゃないか。
仕事が終わり、ただ寝るためだけに体を引きずる佐藤。
そしてその後ろを無警戒に歩く、女。
そう、あれこそ私たちが倒すべき存在。
上司の背中を見送りながら、本来目立たない程度に赤い顔をした、あの女と同い年ぐらいの女性をにらみつける甲斐の目は、この上なく輝いていた。




