お前たちは、強くなってはいけない。
川島や北原、野田が自分の職務に苦労する中、電波塔の十八階ではコンビニ弁当と野菜サラダの空き容器が並んでいる。この部屋の住人はほとんど地面をはいずり回る彼女らと同じ物を食べ、その上で職務に当たっている。
その顔はやたらと険しく、そのくせそれほど機嫌が悪そうにも思えない。
「施設長様、ご機嫌の方は」
「すこぶる良い」
「もう後五日ほどですが」
「梨の礫と言う事は、我々の声を真剣に受け止める気がないと言う事だ。ここまで不誠実だと世の中に知れれば簡単だろう」
口調こそ無愛想だが、声は弾んでいる。
大企業だか何だか知らないが、あんな風に自分たち女性の心を苛んで発展するのならば潰れた方がましだ。
下の階の人間が徹底的に攻撃をかけていると言うのに、まだわからないのだろうか。そのためのソフトも開発・導入しているがすぐガードされ、一向に反省する様子がない。
いったいなぜ、あそこまであんな淫乱な代物を守るのか。
飯の種だとか言うなら、それこそ他にもっと真っ当な道があるだろうにとしか思えない。
そんな別世界の存在を必死に教化する。その終わりのない仕事に成就している存在を部屋の主である九条百恵は誰よりも尊敬していた。
「とは言えこの町自ら手本を示さねばなりません」
「その事なんですが、最近つとに患者が増えています」
「ブルー・コメット・ゴッド病院ですか」
「ええ。それこそ順番待ちが出るほどに繁盛しており、閑職だったはずが今や商売繫盛真っ盛りです。院長先生やタイタンも辟易していました。あまりにも多すぎて、と…」
そんな彼女が今一番向かい合いたくない言葉は、「ブルー・コメット・ゴッド」だった。
無愛想な口調で顔色は険しかったが機嫌は悪くなかったのに、その名前を聞くだけで口調と顔色通りの機嫌になる。
事実上の「米青神病院」であり、楽園から追放される事を望む頭のおかしい連中の集合体。そんな所に入る事自体が恥であり、欲望に溺れんと欲した頭の悪い人間。繁盛してはいけない場所。
それなのに九条は無論報告者である若宮さえも、ブルー・コメット・ゴッド病院の繁栄ぶりを理解できなかった。院長の津居山さえも、この仕事に就いてから今が一番疲れたと言うセリフを何度も聞かされる。
小学校はおろか幼稚園の時から外の世界の恐ろしさ、オトコの恐ろしさについて教え込んでいるはずなのにどうしても減らない存在。その度に産婦人科に要請してその番号を消しているが一向に改善される見込みはない。ブルー・コメット・ゴッド病院の患者の大半が二十代後半から三十代半ばと言うこの町で生まれた訳ではなくひとケタから十歳前後の年齢で親と共に移住して来た世代ばかりだからだ。
その親たちが今や町議会議員を含め町内でも重職に着いているのに彼女たちが次々と町を出て行くのはなぜなのか。外の世界での幼児教育がなっていないせいなのかと九条は憤った。
実はその憤りはそれほど八つ当たりでもなく、第一の女性だけの町が出来た頃から過度に女性に配慮した教育が行われなくなり、外の世界の教育はむしろ以前より男性的になった。その分しわ寄せが来た訳ではあるが、同じ教育を施されて同じ結果になるのならば誰も苦労などしない。同じような過程をたどって来たはずの岸が議員になったように、同じ世代でも運命はああも変わってしまうのが世界だった。
「そうですね。それで若宮さん……彼女は無念でしたね」
「ええ。外山さんですか……」
「彼女の最期に立ち会った身としてどう思います?」
「本当に辛そうでした。自分ではどうにもならないとだけ呟き、後を頼むと言い残して飛び降りて」
外山の自殺が、いつの間にか飛び降りになっている。服毒自殺だと報告を受けたはずなのに、いつの間にか飛び降りになっている。
実はどちらも間違いではない。外山は毒を飲んだ後、ビルの七階から飛び降り自殺した事になっている。実際に外山の体からは致死量の毒物が検出され、飛び降りたとされる痕跡も存在していた。苦しみの余り、確実に死ぬために二段構えの方法を取ったと言う事になっていた。
「彼女はわかっていた。それなのにわかっていないふりをして、この町の意志を伝えようとした。しかし外の世界の人間に言わせればそれこそええかっこしい、それ以上に気にしい。いや、チンピラと言うかマフィア」
「脅して言う事を聞かせる存在に過ぎないと言う、あまりにも礼儀知らずの言い草」
「他者の善意を無視、いや拒絶する輩など生涯苦しめば良い……どこかで匙を投げれば楽かもしれません。しかしそれを放置しない私たちの思いはきっと届くはずです。
外山さんたちにも、きっと。この平和で安全な町のために生きてくれた彼女の事を、私たちは絶対に忘れてはなりません」
—————お前たちは、強くなってはいけない。
お前たちが強くなれば無力な人々から恐れられ、迫害される。
お前たちは弱いからこそ、万人に安心を与える。
お前たちにはどうしても強さが付きまとう。働くために身に付いてしまった強さこそ、この町における業。
もし感謝を怠る者あらばそれは強者に堕する存在である故、軽んじて問題なし。
その信念あればこそ、外の世界の町や第一の女性だけの町のように腕力が支配する世界にはならない。弱き存在が力を握る事により痛みを知り、傷つける事を恐れ寛容になる。それこそ理想の政治であり、誰も争う事が出来なくなる。力なき者が権力と知で力ある者を抑える。
それこそ、理想の女性のための町ではないか。
そしてその悪は決して腕力だけではない。
この世のありとあらゆる悪を封じ込める。
そのための戦いを、今やっている。
外山がそれを理解していたとどうしても思えない事が、百恵も若宮も実に悔しかった。
——————————この平和で安全な町のために、何が必要か、わかっていなかった事が。




