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3.危機




 国を挙げた婚姻の儀式まで、残り数ヶ月に迫った頃。

 伯爵令嬢ティビュアナを一つの危機が襲った。


 敗戦国リィンマーチより侵入した二人組の男たちが、彼女の乗る馬車に襲い掛かってきたのだ。


 大男が先陣を切りばっさばっさと護衛の兵たちをなぎ倒し、その取りこぼしや息のある者を小男が素早く処理していく。

 時折上がる怒号を聞き分ければ、野獣に強く恨みを持つ彼らが此度の結婚話を聞きつけて、その花嫁を殺せば英雄の名も地に落ちるだろうと、復讐心のみで敵国深くまで押し入って来たらしい。

 野獣本人には戦場でこれでもかと力の差を思い知らされていたが、しつこい執念を抱いて間接的にでも雪辱を果たす方法を探していたようだ。

 アルヴァの害獣さえいなければ自分が最強だ何だと吠えている大男は、確かに王弟から預けられた数人の騎士すらものの数とせず、圧倒的な戦闘力を見せつけている。


 彼らの魔の手はそう時を待たずして自身にまで届くだろうと、努めて冷静に判断したティビュアナは、いつか王弟に預けられ、肌身離さず携帯していた魔文を取り出し現状を記して、魔封石を起動させた。

 己のために失われていく命を前に、すぐにでも下車して「もう止めろ」と「殺すな」と、泣き喚きたい感情に蓋をして。

 同乗している年若い侍女は突然の凶行に怯え震えるばかりで、すぐ傍らの令嬢が何をしているかも目に入っていない様子だ。


「バカ共はやれ配給だの減税だのと分かりやすい施しで簡単に喜んで尻尾振ってやがるが、オレは賢いから騙されねえぞ!

 害獣なんか飼ってるアルヴァがまともな国であるものかよ!」

「そうだそうだ、ガッドスンのアニキの言う通りだ!

 リィンの王族だってバカばっかりだったんだぞぉ!」

「おい、ドゥフゥ! 悪口はアルヴァだけにしとけぇ!」


 力は強いが頭はあまり賢くなさそうな黒髪の襲撃者たちは、戦いながらボロボロと情報を垂れ流し続けている。

 それでも、実力だけは確かな彼らの凶刃(きょうじん)は、もう間もなく彼女の喉元近くまでたどり着こうとしていた。


 情報こそ送ったものの、王城との距離を考えれば援軍は望めない。

 名前や容姿の特徴が判明しているので明晩(みょうばん)にでも犯人二人は捕まるだろうが、神の奇跡でも起こらない限り、もはやティビュアナが助かる道はないように思えた。


「……馬車から降りましょう」

「ティビュアナ様!?」


 伯爵令嬢からの提案に、縮こまっていた侍女が悲鳴のような声を上げる。


「このまま中にこもっていたのでは、隙を突いて逃げ出すことも出来ないわ。

 ただ殺されるのを待つより、少しでも足掻ける可能性があるのなら賭けてみたいの」

「そ、それは……」


 彼女の言葉に、僅かながら侍女の怯えが弱まった。

 しかし、思考は回復しても、感情が主人の提案を呑み込めないでいる。

 ティビュアナと同じ年頃の、若くて美しい侍女。

 本来、一般的な反応として正しいのは彼女の方で、たとえ虚勢でも平静を保っていられる自分が異質なのだと、転生者である伯爵令嬢は理解していた。

 ならば、せめて異常な己に巻き込むまいと、ティビュアナは震える侍女の肩をそっと撫でて、慈愛溢れる微笑みを向ける。


「……モーリア。怖ければここに隠れていても構いません。

 彼らの目的は私だから、あなた一人なら見逃されるかもしれない」


 仮にも要人の乗る馬車だ。

 中には人ひとりがギリギリ収まる程度の、いざという場面に活用する隠しスペースが存在する。

 王弟の婚約者がいないとなれば床板を剥がしてでも探し出されるだろうが、逆を言えば、彼女が殺されさえすれば、わざわざ馬車を細かく調べるよりも一刻も早く現場を立ち去る方向に意識が変わるはずだ。

 そう考えて新たな案を与えれば、侍女は大きく首を横に振って、それを強く拒否してきた。


「えっ、いや、嫌ですっ。ティビュアナ様お一人でなんて行かせられませんっ。

 私だけ残るぐらいなら、い、一緒に、一緒に行かせてください!」

「モーリア」


 彼女の肩に伸ばしていた手を引き留めるように掴まれて、伯爵令嬢は困ったように笑う。


「では、申し訳ないけれど……十秒待つわ。覚悟だけは決めておいてちょうだい」

「うっ、ううぅぅーーー」


 慕われているのは知っていた。

 自分の姉だったらと、冗談めかして言われたこともあった。

 この若さで、極限の状態で、主人を一人で死なせまいとする責任感と優しさも有している。


 だから、ティビュアナは決めた。

 何としてでも、この娘だけは逃げられるように全力を尽くそう、と。


「出ます」


 宣言と共に、彼女は馬車の扉に手をかける。

 隙間が広がるにつれて流れ込む悲鳴と血生臭さに顔を顰めそうになりながら、それでも躊躇(ためら)わずに地獄への門を開ききった。


 いよいよ兵たちを倒し尽くそうとする悪漢二人の前に、ティビュアナが颯爽と豪奢(ごうしゃ)なドレスを滑り込ませる。

 まるでパーティー会場でも歩いているかのような軽快さで。


「ティビュアナ様!?」

「いけません、お戻りください!」


 護衛対象の不用意な行いに、すでに片手で足りる数となってしまった満身創痍の兵士騎士らが必死で叫んだ。


「なんだぁ!? 獲物が自ら狩られに出てきやがったぞ、アニキ!」

「ビビりすぎて、頭でもおかしくなったんじゃねぇか?」

「なるほど! さっすがアニキだぜ!」


 場違いな光景に一瞬動きを止めていた大男と小男が、見当違いな考察を交わしている。

 そんな襲撃者二人へ向かい、伯爵令嬢は凛と通る声を響かせた。


「それ以上の狼藉はお止めなさい」


 いつも慈しみに満ちた微笑みを湛えているティビュアナが、その表情を消し、毅然とした態度で男たちと相対している。

 まるで見たことのない別人のような彼女の姿に、兵たちは揃って動揺し、息を呑んだ。


「ローゼキってなんだ?」

「知らね」


 無論、初対面の男二人は特に驚くこともなく、マイペースにバカを晒している。


「この(わたくし)こそがビストルメイ・ツィートゥ・ナ・アルヴァティオン王弟殿下の婚約者、ティビュアナ・ベイルです」

「ああ? あの害獣、そんな立派な名前があったのかよ」

「おえーっ、偉そうで嫌いだーっ」


 偉そう、ではなく実際に偉いのだが、彼らからすればビストルメイも、ただただ憎い獣でしかない。

 二人組の低能極まるコメントを右から左に流して、令嬢は続けて自らの主張を語る。


「あなたたちの目的は私一人なのでしょう。

 ならば、無益な殺生に時を(つい)やさず、今すぐ私の首を掻き切り、即刻この場を去りなさい」

「ティビュアナ様!?」


 悲鳴が複数上がった。

 彼女を守るために命を賭して戦っていた兵たちからすれば、ある種の裏切りに他ならない。

 信じられないような思いで、彼らはティビュアナに視線を集中させる。


 まぁ、創作の物語によくよく散見される取引だ。

 必要な命を差し出すから、他は見逃せという。

 当然ながら、ティビュアナも本気でそれが叶うと思っているわけではない。

 ただ、少しでも敵の凶行が遅延するよう、己の口で時を稼いでいるだけだ。


「ああ? 何言ってやがんだコイツ」

「やっぱアニキが言ったとおり、頭がコレになってんだよ」


 小男が己の頭上で人差し指をクルクルと回転させた。


「バカめ。自分だけ殺せと言われて、ホイホイその通りにするワケねぇだろ。

 こっちは顔を見られてんだぞ。全員ブッ殺さねえと、犯人だ何だと追われっちまうだろうが」

「そうだそうだ、皆殺しだぁ!

 極悪なアルヴァ人なんか、何人死んだってザマァとしか思わねえぜ!」

「おう。いいこと言うじゃねぇか、ドゥフゥ」


 汚い嘲笑が場を満たす。

 瀕死状態の騎士や兵士が睨みつけてくるのを、彼らは、さも熱烈な賛辞であるかのように、ひたすら愉快そうに浴びていた。


「ていうか、お前ニセモンだろ」

「え?」

「へ? どういうことだ、アニキ!?」


 そこで突然、大男が伯爵令嬢を指さし、的外れの見解を述べる。

 想像だにせぬ指摘を受け、ティビュアナの思考が刹那止まった。


 彼女の反応を当てられて驚いたとでも解釈したのか、得意げに胸を張った大男が更に続ける。


「確かにオメェは上等なドレスを着てるがよ、オレは賢いから騙されねえぞ。

 仮にも王族名乗ってる獣の嫁になろうって女が、こんな地味な(ツラ)してるワケがねえ。

 後ろの女と服を取り替えて、本物って嘘ついてんだろ?」

「おおお!? さっすがガッドスンのアニキ!

 あの女、なんかスゲェ綺麗に動くし妙に迫力もあるから、オレすっかり本物だって騙されてたよ!」

「へっ、オメェとはココが違うのよココが」

「そっか、アニキは視力がいいもんなっ」


 いくつも死体の転がる凄惨(せいさん)な現場の中心で、まるでコントのようなやり取りを繰り広げている二人組。

 とても命の奪い合いをしている最中(さなか)とは思えないこの軽薄さが、令嬢にはむしろ恐ろしかった。


「入れ替わったってなーんも意味ねぇってのに、コレだから女ってのはよぉ」

「ま、ま。そんじゃ、アニキ。そろそろ……」

「ああ、殺すかあ」


 特に纏う雰囲気を変えることもなく、男たちが雑に足を踏み出す。


「させん!」

「ティビュアナ様! 我らの後ろに!」


 瞬間、意識ある兵たちが機敏に反応し、彼女の前に立ち塞がった。

 会話の合間に呼吸を整え回復を図った者もいれば、血を失い体力を消耗した者もいる。

 だが、それぞれ気力だけは充分だった。


 彼らを止めることはせず、ティビュアナは数歩だけ後方に下がって、潜めた声で侍女に告げる。


「聞きなさい、モーリア。

 このままでは(わたくし)もあなたも殺されてしまう。

 兵士たちが皆倒れたら、その不意を突く形で私が狼藉者に飛びかかって何とか時間を稼ぐから、あなただけでも逃げるのよ」

「えっ、まさか、お、囮になるなら私がっ」


 仕える主人からとんでもない話を聞かされて、彼女は明白に動揺した。

 だが、令嬢は侍女の口ごたえを許さず、鋭い目つきで更に言葉を重ねる。


「ダメよ、死ぬなら十分生きた私から……いえ、このドレスではろくに走れもしないし、護身術を習った私が向かっていった方がまだ成就の確率も高いはず。

 全滅だけは、真実が永遠に失われてしまうのは避けたいの。

 だから、あなたは逃げて、そして、ここで起こったことを余さず殿下にお伝えしてちょうだい。

 モーリア、これはお願いじゃないの……命令よ」

「ティビュアナ様っ」


 (あるじ)の本気を感じ取り、ごくりと唾を飲み込む侍女。


 前半はともかく、後半の理由は真っ赤な嘘だ。

 現場の詳細については、とうにティビュアナが魔文を飛ばしている。

 ただ逃げるのでは納得もすまいし、その後の罪悪感も強くなろうと考え、使命を、責任を負わせることで、仕方のない状況だったと転嫁するための理由を与えているのだ。


 横目に確認すれば、残り最後となった騎士が大男と刃を交えていた。


「もう迷っている暇はないわ! 行きなさい!」


 鋭く叫びながら、伯爵令嬢は侍女の背を強く押す。


「っわあああああーーーーッ!」


 瞳を涙で潤ませながらも言いつけ通りに走り出した彼女に安堵を覚えつつ、すぐに視線を切ったティビュアナは、次いで、ドレスに忍ばせた自決用ナイフを素早く手にし、スカート部分に切れ目を入れた。


「あっ、本物の方が!」

「逃がすな!」


 勢いよく大剣を振り付着したばかりの新鮮な血液を地に散らしながら、男たちが遠ざかる侍女を追おうと体の向きを変える。

 彼らの意識が自分から逸れたその瞬間を狙って、令嬢は腹前にナイフを抱え持ち、大男を狙って全速力で駆けた。


「なにっ!?」


 が、届かない。

 二十近くいたはずの護衛を、小男のサポートがあったとはいえ、ほとんど一人で全滅させた大男である。

 少々不意を突かれたところで、素人同然の貴族女の攻撃ごとき(さば)けぬはずもなかったのだ。


「替え玉は寝てろ!」

「ぁぐッ」


 苛立ちの乗った太く硬い腕が、ティビュアナの体を殴りつける。

 あまりの衝撃に一瞬気を失いかけた彼女だが、直後、地面に勢いよく倒れた痛みで覚醒した。


「本命を始末したら、すぐにテメェもあの世に送ってやる!」


 物騒な予告を落として、身をひるがえす大男。

 妙な不文律でもあるのか、この間、小男はただ焦った様子で逃げる獲物とアニキとへ交互に視線をやるばかりであった。


「やめ、なさい」

「っな!? 離しやがれ!」


 全身の痛みに悶えながらも、ティビュアナは襲撃者の片足へと我武者羅(がむしゃら)にしがみつく。


「アニキ、早く! 嫁が遠くに行っちまうよ!」

「分かってる!」


 急かされたガッドスンが乱暴に令嬢を蹴り飛ばし、彼女が痛々しく地を三度ほど転がった……その時である。


 グルァオオオオオオおおおおおおッ!


 凶悪な獣の咆哮が辺り一帯に響き渡った。

 そう、男たちが戦場で幾度と耳にし、恐怖を刻まれた、獣の咆哮が……。


「害獣野郎!? バカな、どっから情報が漏れた!?」

「ヤ、ヤバイよアニキ! に、に、逃げ……っグゲェ!?」

「ヘブゥッ!」


 黄金の影が風と共に横切れば、襲撃者たちが白目を()いて宙を舞う。

 彼らが無様に地に叩きつけられる頃、もうもうと立ち昇る土煙を切り裂いて、(たけ)き獣が姿を現した。


 英雄王弟ビストルメイ・ツィートゥ・ナ・アルヴァティオン、その人だ。


 彼は横目に男たちが気絶しているのを確認すると、それらを放置して、婚約者の元へと一直線に駆け寄っていく。

 魔文による連絡を受け取った王弟は、即座に部下へと最低限必要な指示を与えて、己は単身城を飛び出し、馬すら置き去る四つ足で現場に急行したのだ。

 道中発見した侍女は、ティビュアナの現状だけを聴取して、あとは追って出立しているはずの騎士たちを頼れと告げ、別れた。


「ティビュアナ!」

「……殿、下……来てくださっ……ゴホッ」


 霞む目に誰より待ちわびた男を映した伯爵令嬢が、その喜びを声に表そうとして失敗し、僅かに赤色の交じる咳を散らす。

 ドレスも、髪も、肌も、何もかもボロボロにした彼女を肩から外したマントで(くる)みながら、野獣は激しい怒号を浴びせかけた。


「っこの馬鹿者! 命を粗末にするなと言ったろうが!

 貴女は少々知識が豊富なだけの、せいぜい十八年しか生きていない小娘だぞ!

 老後の余興ではないのだ! 無駄に己を蔑ろにするな!」


 彼の叱責に反応して、ティビュアナが生気の薄い苦笑いを零す。

 吠える獣の海碧の瞳が淡く濡れている事実にも、もう今の彼女には気付けない。


「あぁ……そう、そうでした、わねぇ。

 (わたくし)は、ティビュー、ですもの、ね……すぐ、忘れて、しまっ……」


 途切れ途切れの小さな呟きが、終わりも迎えず消えていく。

 同時に瞼も閉じられて、ただ青白い顔だけがそこに残った。


「ティビュアナ!」


 届かぬ叫びが虚空に響く。

 彼らの背後では、未だ鎮まり切らぬ土煙が風と踊っていた。





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