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1.邂逅




 アルヴァティオンという名の王国には、一人の呪われた王弟がいた。

 名を、ビストルメイ・ツィートゥ・ナ・アルヴァティオンという。


 ことが起こったのは、彼がまだ十六歳であった王子時代だ。

 ビストルメイが夕餉前の日課である走り込みをしていたところ、みすぼらしい老婆が門番へ一夜の宿をと願い出ている場面に遭遇する。

 直後、王子は、その年齢まで生き延びてきた知恵ある乞食がわざわざ城を寝床に選ぶはずがないと言い、あっという間に彼女を捕らえて、交戦中の隣国リィンマーチの手の者である可能性が高いと、拷問にかけるよう傍の兵へ指示を出した。

 しかし、老婆の正体はもっと恐ろしい者、各地の伝承に残るイタズラ好きの美しき魔女で、彼女の怒りを買ったビストルメイは呪いの光を受け、たちまち醜い野獣の姿へと変えられてしまう。

 まもなく、身一つで天に浮かび上がった魔女は『人間に戻るには心から愛し愛されることが必要だ。だが、お前のような短慮な乱暴者にはどうせ不可能だろう』といった宣告をし、高笑いを落としながら去っていった。


 残された王子は、呆然と自身の体を眺めたあと……握りしめた両の拳を掲げて、腹の底から咆哮する。

 獣の面に浮かぶ分かりにくい表情は、どうやら絶望や怒りとは正反対の色を宿していた。


 そう、彼は喜んでいたのだ。

 なんと素晴らしい肉体を手に入れたのだ、と。


 王子は、鍛えても鍛えても望む筋肉の得られぬ己の貧弱な痩身に心底辟易していた。

 だからこそ、偶発的に手に入れた人の限界を超える獣の力に、巨躯に、厳つい見目に、理想以上の姿を前にして、歓喜に打ち震えたのだ。

 いずれ王となる賢い兄の役に立つことが、隣国との争いに勝利することが、今の彼の全てだった。


 そして、その日から、王子は妙齢の女性をことごとく遠ざけるようになる。

 けして呪いが解けてしまわぬように、けして誰も愛してしまわぬように……。


 ビストルメイの変貌に騒ぐ者も少なからずあったが、彼が各地で次々と戦果を挙げて戻れば、やがてそれは祝福と名を変え人々に受け入れられていった。





 それから、十年。


 ビストルメイは数年前に王となった兄バルドガンドの執務室に呼び出されていた。

 王弟かつ王国軍総司令官という立場に収まる彼は、戦場での度重なる活躍により、いまや英雄と呼ばれ、その野獣の姿も併せてアルヴァティオンの民衆に広く親しまれている。


 忙しなく筆を走らせ続ける兄王を、ビストルメイは軍式の敬礼体勢を保ったまま無言で見守っていた。

 しばらくすると、執務にきりをつけたバルドガンドが顔を上げ、特に挨拶や前置きもなく要件を告げてくる。


「ビストルよ、我が弟よ。

 そなたには二年以内に婚姻を結んでもらう」

「何ですって?」


 期待に立っていた尾を力なく垂らし、困惑するビストルメイ。

 解呪の条件を、当人がそれを望まぬ事実を知っていながら、何故そのような命令を下されるのかと、弟は兄へ縋るような眼を向けた。

 哀愁を漂わせる男に、王は小さく溜め息を吐き、簡便に経緯を説明し始める。

 不勉強と呆れているわけではない。

 兄はただ己に忠実な弟を憐れんでいるのだ。


「先王の時代から続く戦争は、そなたの大いなる活躍により我らの勝利に終わった。

 その事後処理、二国平定のため、(まつりごと)の一環として、英雄の婚姻を国を挙げて執り行いたいのだ」

「し、しかし、自分は……っ」

「これは王命である」


 弟ビストルメイの弱々しい抵抗を、王バルドガンドが甘さを捨てた声色で切り裂いた。

 途端、表情を、動作を、王国軍総司令官のものに変えて、機敏に跪くビストルメイ。


「ハッ! 謹んで拝命いたします!」


 彼は兄の弟であるより先に、バルドガンド王の一番の信奉者(しんぽうしゃ)であった。

 ビストルメイは幼い頃から現在に至るまでずっと、己の兄以上に国を治める者に、国王の座に相応しい人間は世に存在しないと妄信している。

 ゆえに、弟としてならばまだ兄に甘えることもあるが、王の言葉ならばただ愚直に従うのみと決めていた。


「……せめて、婚姻の相手は自らで選ぶが良い。

 誰であろうと、()が必ず後ろ盾となろう」

「兄上……っ」


 解呪を望まぬならソレが可能な相手を用意しろと、そんな兄の優しさを汲み取ったビストルメイが感激に瞳を潤ませる。


「ご温情、痛み入ります」

「うむ」


 深々と(こうべ)を垂れる弟へ、王は抑揚に頷いて返した。

 人であった頃から変わらぬ豪奢(ごうしゃ)な黄金色のタテガミが、野獣の透き通るターコイズブルーの虹彩を覆い隠している。


「話は以上だ。下がってよい」

「ハッ。御前失礼いたします」


 バルドガンドが退室を促せば、間もなく、背を見せ颯爽と歩き去る王国軍総司令官が、重厚な扉の向こう側へと姿を消した。


 それから数秒後、兄王はゆっくりと瞼を閉じて、小さく小さく独り()ちる。


「……ああ、ビストル。

 外道の呪縛に悦んで身を捧げる、愚昧な我が弟よ。

 おそらく唯一となるであろう此度の解放の機会、けして逃してくれるなよ」


 弟の考えと裏腹に、兄は彼の呪いが解けるよう強く願っていた。


 ビストルメイの兄に対する狂信は、絶対の味方を得たがったバルドガンドが幼き頃より刷り込み育ててきたものだ。

 己の犯した所業への悔恨を常に身の内に抱える兄王は、そんな無垢で哀れな弟に、今さらながら愛し愛されることを知り、自身の幸福を求めて欲しいと想っている。


 弟本人は自らを粗暴で合理主義な人間だと認識しているが、兄は彼が本当は情に厚く愛したがりな人間であることを知っていた。

 バルドガンドという男が、長きに渡る戦争が、本来の彼を歪ませたのだ。

 その結果が、象徴が、あの野獣の姿だと王は捉えている。


 無論、命令の正しい意図を伝えたところで、望んで呪われているビストルメイが容易に受け入れるはずもない。

 だからこそ、バルドガンドは迂遠(うえん)に過ぎる方法を取った。

 守るべき者が出来れば、争いが終わった今であれば、きっとそれを愛さずにはいられぬだろうと。


 心のどこかに従順な弟の、無二の信者の消失を怖れる己がいることを自覚しながら……。



「俺に政治は分からん。兄上がそうせよとおっしゃるなら従うまでだ。

 呪いが解けることは恐ろしいが、そうならぬための最大限の温情はいただいた。

 ならば今すべきは、早急に相応しき令嬢を見繕うことだ」


 当然、愚直な弟は兄王の複雑な胸懐(きょうかい)には気付けない。

 軍部にある己の執務室に戻ったビストルメイは、王宮内の各部署から複数の信頼する部下を集めて、情緒の欠片もない嫁探しを命じていた。


「事情が事情だ、とりあえず、国内で探すことは絶対として……。

 仮にも王族という立場を考えれば、欲深く知性のない女は論外。

 後先考えぬ愚行で兄上の治世を乱されては目も当てられんからな。

 気位の高い女も難しいだろう。

 ただでさえ戦場帰りで傷に事欠かん粗暴な野獣の相手、しかも、白い結婚を突き付けられ、まともに顧みられもせん立場とあっては、な。

 容姿の悪さは気にしないが、それゆえに根暗で卑屈に育った女もダメだ。

 他者に痛めつけられ潰れた人間に必要なのは治療院で専門家のケアを受けさせることであり、まかり間違って俺のような男の妻になど据えれば、無駄に早死にしかねんぞ。

 あまり美し過ぎてもいかん。

 誤って一目惚れなどしてしまっては、せっかくの呪いが台無しだ。

 従順すぎて、何を考えているのか分からないような輩も困る。

 良くも悪くも機微に鈍い俺の手には余る存在だろう。

 利に敏い者についても、常に裏切りを警戒する必要性があり面倒なので却下とする。

 それと、野獣を嫌っている者、逆に好いている者も候補には入れるな。

 迎えれば、いずれ必ずどこかで問題が発生する。

 あぁ、当たり前だが、意中の相手がいる女も止めておけよ。

 あとは、身分が低すぎる者も外せ。

 作法だのしきたりだのを一から丁寧に教え込む時間はない。

 だから、そうだな……俺を敬愛も嫌悪もしておらず、見目にも言動にも動じない太い神経をした、地味な中流階級以上の女、という条件を目途に探して来い」


 大概の無茶振りである。

 しかし、彼の部下は優秀であったようで、半月も経つ頃には、王弟の元へ条件に合致すると思われる一人の伯爵令嬢の報告書が上がって来た。


「人類の母? 歩く懺悔室?

 これはまた珍妙な呼称をつけられた女がいたものだな。

 まぁ、お前たちが強く推すのであれば間違いないだろう。

 打診してみろ」


 嫁候補の情報を前に、ビストルメイの反応はあっさりしたものである。

 それは部下を信頼してのことでもあるし、書類上の文字をいくら追ったところで所詮「分かったつもり」以上にはなれないものだと理解してのことでもあった。

 そもそも、いくら英雄と呼ばれようと、王の弟であろうと、野獣の姿を恐れ断られる可能性も十二分に考えられたので、この時点ではまだ相手への興味も薄かったのだ。



 果たして伯爵家の返答は……前向きに検討する、というものだった。

 使者として向かった男の話によれば、家の者は強く反対していたが、当の本人が国の英雄に力添えできるならば光栄な話であると、冷静に両親を説得したらしい。

 随分と急な話であることから、自分でなければならない何らかの裏事情がありそうだと看破した上で、お国の役に立てるならと令嬢は身を差し出す覚悟で頷いたのだ。


 後日、野獣は伯爵家を訪問した。

 ビストルメイの血筋と見目に圧倒される当主夫妻と軽く挨拶を交わした後、通常の見合いの手順を踏襲し、令嬢本人と二人、エスコートの形で庭を散策する。

 紅茶色の髪と目をした彼女、ティビュアナは優しげながら凡庸な顔付きをしていたが、厳つい巨躯(きょく)を前にしても一切怯まぬ非凡な胆力を持ち合わせているようだった。



「……要は、俺が貴女(あなた)を妻として愛することは万一にも有り得ないと、そういうことだ。

 無論、恋情を抱かぬからといって、その立場を(ないがし)ろにするつもりもないが」


 女に不慣れな王弟は、初対面の令嬢相手にその心を解きほぐす間もなく要件を突きつけていく。

 実際、かなり非道な仕打ちだが、しかし、ティビュアナは怒りも悲しみも恐れもせず、ただ気の抜けるような笑みで全てを受け入れた。


「左様でございますか。

 兄君たる国王陛下のため、そして、何よりご自身のために呪いが解けては困ると。

 けれど、英雄たる殿下は国策の一環として早急に婚姻を結ばねばならないのですね」

「相違ない」

「委細承知しました。(わたくし)は一向に構いません」

「そうか。助かるぞ」

「とんでもないことでございます。

 私なぞでよろしければ、如何様(いかよう)にもお使い下さいませ」


 令嬢の態度に違和感はあったが、野獣王弟は話が早いのは良いことだと、その思考を頭の片隅へと押しやり、頷いて返す。

 同時に、己のこういった浅慮な性質がどう足掻いても王に向かぬのだと内心で自嘲した。

 過去、人であった頃には、兄に劣る彼を王とし実権を握らんと画策する貴族もいたものである。

 が、呪われた身となってからは、たとえ表面上でも獣を王と頂くことを嫌ったのか、ぱたりと怪しい動きが絶え、彼らの行動をろくに(ぎょ)せず歯痒い思いをしていたビストルメイとしては、大層安堵を覚えたものだった。


「ただ……」

「どうした?」


 ふと、令嬢が笑みを止めて、何かを言い淀んだ。

 野獣は自身の姿の威圧感を認め、努めて穏やかに続きを促す。


「未だ婚約者ですらない小娘に、誠意としてご説明をいただいた代わり、と申し上げるには足りませんが、私も一つ、これまで誰にも、両親すら与り知らぬ私の秘密を殿下に打ち明けたく……」


 すると、ティビュアナが唐突に奇妙なことを口にした。

 全く想定外の告白を受けて、獣の長い鼻面に薄く皺が寄る。


「秘密? 派閥も老若男女も問わず多くの交友者、信者を抱えている以上に?

 王家の調査網にすら掛からぬ何かが貴女にあると?」


 王弟が怪訝な表情で分厚い瞼を瞬かせれば、令嬢はゆっくり眉尻を下げ、やわらかく苦笑した。


「はい。信じるも疑うも、どうぞご随意に。

 そして、真実をお知りになったことで婚約を躊躇(ためら)われるようでしたら、即時破談にしていただいても結構です。

 元より、しがない伯爵家の娘には過ぎた御縁にございましょう。

 その際、ここで伺った内容について口外せぬと、第三位制約を交わしてもようございます」

「……いや、まずは聞こう」


 彼女の引いた予防線で更に様々な疑問が脳をよぎったが、ビストルメイはソレらを敢えて遮断して、本題の説明を求める。

 おそらく、そうするのが最も早いと判断したからだ。


 彼の冷静な様子に、令嬢も再び楚々とした笑みを(たずさ)え、滑らかに唇を震わせた。


「ありがとう存じます。

 実は、(わたくし)、前世の記憶がございまして……それも、(よわい)八十を超える程に長く生き、子や孫に看取られながら寿命を迎えた一人の女としての記憶でございます」


 結論から語り、反応を窺うためか一度声を切ったティビュアナへ、真顔の野獣が端的に詳細を催促する。


「続けろ」


 乞われた彼女は小さく頷いてから、僅かに視線を落として彼の求める答えを紡いだ。


(わたくし)がベイル家の娘ティビュアナとして生を受け、五年ほどが経った頃でしょうか。

 ある日ふと転んだ拍子にそれを思い出し……そして、あっという間にティビューの幼い思考は過去の記憶という大海に飲み込まれてしまいました。

 (むご)たらしいことです……一晩で老成したティビューも、そんな娘の変わりように混乱する両親も。

 私はあくまでティビュアナで、死した老婆ではない。その事実に間違いはございません。

 けれど、過去の記憶は、今後重ねていくはずであった数々の経験を彼女に与えた、まるで己がことのような生々しい感情を彼女に植え付けた……彼女が、いえ、私が何も知らぬ幼子のままで居続けることは、もはや不可能でした」


 徐々に沈痛な面持(おもも)ちへと変わってしまった令嬢に、ここで初めてビストルメイが嘴を挟む。


「家族関係は良好であると報告を受けているが?」


 王弟からの質問を受け、諦念を含む笑顔でティビュアナが首を縦に振った。


「はい。ありがたいことに。彼らは善良で、奇特な両親でしたわ。

 私は彼らに、子として純粋に彼らを慕う感情と、先達として未来ある若者を愛おしく慈しむ気持ちを同時に抱いております」

「ふむ……成程、な」


 令嬢をエスコートしているのとは逆の腕を動かし、指の肉球で己の顎を撫でさするビストルメイ。


「王族で野獣、更に英雄の称号を持つ俺を前にいささかの緊張も見せぬ妙に落ち着いた態度にも、やたら達観したような笑みにも得心がいった」


 牙の隙間から零れ落ちた呟きに驚いて、ティビュアナは丸くした目を反射的に頭上へ向けた。


「……っ殿下、私の荒唐無稽(こうとうむけい)な話を信じていらっしゃるのですか?」


 返ってきたのは、流れからして当然、肯定である。


「概ねはな。

 貴女は年若い女性でありながら、死を受け入れた人間特有の気配を纏っている。

 これといって目立った経歴もない、ただの十八の令嬢が、だ。

 納得もしよう」


 それは、幾度となく戦場を駆けた野獣だからこそ察せた事実だった。

 命の危機に瀕した経験もない、ただ平穏に暮らしているだけの人間には、けっして纏えない空気。

 そんなものを自然と漂わせる令嬢が、普通の枠に収まる存在であろうはずもない。


「死を……」


 意を飲み込み切れぬティビュアナが、不安げな表情を浮かべている。

 彼女が解釈に迷っていることを看破して、王弟は急遽セリフを継ぎ足した。


「あぁ、いや、自殺志願者だと言っているのではないぞ。

 様々な事情で、己が死にゆこうとも構わないと覚悟を決めた者……そう、国のため、仲間のため、家族のために、自ら手を挙げ笑って貧乏くじを引きたがる者たちのことだ。

 戦場ではそういった兵から先に散っていく、命ある誰よりも多くの武功を立てながら、な」

「左様でございましたか」


 遠い目で空を見上げる野獣へ、令嬢が憐憫(れんびん)の眼差しを向ける。

 八十を生きた前世の老婆でも、戦場ほど凄惨(せいさん)な地に立った記憶は持ち合わせていない。

 ティビュアナは儚くなった多くの命を(いた)み、それらを直に見送ってきたであろう英雄を哀れに思った。

 が、下方からの視線に気付いた王弟は、静かだが少々圧のある声で、彼女の勘違いを正す。


「同情はしてくれるなよ。彼らの献身と功績の上に俺は生きているのだ」


 彼の忠告でハッと体を揺らした令嬢は、間もなく、神妙な顔で深々と背を折り曲げた。

 彼女の抱いた感情は、誇り高き戦士たちに対する侮辱であると、そう諭されたのだ。


「……大変な失礼をいたしました」

「差し許す」


 ティビュアナの謝罪をビストルメイが間を置かず受け入れる。

 元より彼は怒りなどは抱いておらず、意識の修正がなされればソレで満足だった。


 内に、姿勢を正した令嬢は、ばつの悪そうな笑みで風に揺れる庭園の草花を眺め、そのままポツリと小さな呟きを漏らす。


「いけませんね、年寄りは。

 取り巻く事情も国籍もなく、ただただ命の尊さに思いを馳せてしまう……」


 あるいは他に聞かせるつもりのなかったやもしれぬ彼女の言葉は、しかし、獣の鋭い聴覚に一字一句逃さず捕らえられた。


「いや。人を育むのが女の仕事だ、外敵の排除を主な役割とする男とは思考が異なって当然だろう」


 ティビュアナが己を老人と扱ったのに対し、王弟がそれは性差であると遠回しに否定する。

 王侯貴族らしい男尊女卑の思想のようだが、どういったわけか、彼女の心には出自不明の僅かな喜びが飛来していた。


 不可思議な事象にティビュアナが首を傾げたくなっていると、ふと、野獣が巨体の角度をズラし、凪いだ二対の瞳で彼女を見つめてくる。


「殿下?」

「貴女の特性を理解した上で、敢えて言わせてもらうが……けして己の命を粗末にするなよ」


 王弟からの突然の釘刺しに、令嬢は目を瞬かせた。


 更に続けて、力強い眼差しを、真摯な声を、たった一人ティビュアナに向け、国の英雄たる益荒男(ますらお)が告げる。


「誰のためでも、何があっても前には出るな。

 矢面(やおもて)には常に俺が立つ」


 ビストルメイは案じていた。

 彼女という人間は、たとえ一度すれ違った赤の他人のためでさえ、容易に自らを犠牲とする選択が取れるであろうと、その事実を彼は本能と経験により理解し、ならば強者たる己が守らなければと考えた。

 だからこそ、不測の事態が発生しても対処が可能なように、こうして先に動くことを禁じたのだが……。


 間もなく、知らず内に止まっていた息を吐き出したらしい令嬢が、僅かに焦燥を含む声を控えめな音量で響かせる。


「もうっ、殿下」

「どうした」

「あまり格好良いことをおっしゃらないで下さいませ。

 思考は老成していても、体は若いのですから、うっかり胸が高鳴ることだってあるのですよ」


 中々に突拍子もないトンデモ発言だが、頬をうっすらと朱色に染める彼女の姿を目の当たりにすれば、これが冗談の類いでないことは明白だった。


「む。それは、その、何だ……困るな。

 しかし、俺はただ今後の心構えを説いただけであって、未来の妻を相手に格好をつけようだとか、そういった(よこしま)な考えは断じてなく」

「ええ、左様でございましょうとも。

 良きにしろ()しきにしろ、裏のない言葉ほど真っ直ぐ胸に届くものはございませんからね」


 呪い保持のために誰も愛したくない王弟と、彼の望みを尊重したい令嬢が、解決策の見えぬ事柄に、揃って情けなく眉尻を下げている。


「だが、これ以上、不誠実に接するのも違うだろう。

 それとも貴女はそう望むのか?

 ただでさえ、罪無き令嬢を名ばかりの妻に据えようとする、この俺に?」

「まあ、まさか」


 野獣でありたい男は、妻と迎えねばならぬ女性に負い目を感じていた。

 ゆえに、愛以外であれば、自分に出来る範囲ならば、何事も最大限の譲歩をしたいと思っている。

 だが、そうして心を砕いた結果、相手に愛が芽生える可能性があるなど、考えてもいなかった。


 ならば、いっそ優しさを捨てるべきかと令嬢に問えば、それは違うと首を横に振られる。

 ビストルメイはもう、どうしていいか分からなかった。


「未来の旦那様となられる殿下が器の大きな御方で、(わたくし)、とても安堵しておりますのに」


 弱り顔で王弟を見上げるティビュアナがそう語れば、獣の(ツラ)がクシャリと歪み、現れた牙が光って凶悪さに磨きが掛かる。


「……また異なことを。

 手前勝手な理屈を盾に一人の女の人生を丸ごと棒に振らせようという男だぞ、どう考えても狭量だろう」


 不機嫌な彼の主張を受けて、令嬢の唇が弧を描いた。

 本人が何と言おうと、彼女の中ではもう彼が掛け値なしの善人であるとして判定が下されている。

 であれば、露骨に悪ぶられたところで、微笑ましいだけだ。


「けれど、大切にしてくださるでしょう?

 妻は無理でも、家族の一員として」

「はあ? 妻でなければ何だというのだ。

 妹のように? まさか祖母のようにか?」

「殿下の望む通りになさって下さい」

「それは……」


 野獣が困惑に口を噤み、晴天の庭にしばしの沈黙が落ちた。


「……よし、この話題は止めにしよう。

 解呪の条件は愛し愛されることだ。

 たとえ貴女がうっかりとやらで俺に懸想(けそう)したとしても、こちらが気を抜かねば済む話だ」

「ああ、そう、そうでございますね。

 何と言っても、相手が老婆もどきの(わたくし)ですもの。

 とんだ杞憂でしたわ」


 明後日の方向へ鼻先をやり、まくし立てるように、そう(のたま)う王弟。

 続けて、わざとらしく彼に賛同したティビュアナが、両の手のひらを合わせて数度頷いた。

 しかし、その内容に無視できぬものを感じたのか、獣は豊かな黄金のタテガミを踊らせつつ彼女を見やり、マズルから伸びるヒゲを上下させる。


「何を言っている?

 前世の記憶があろうが、貴女はまだ十八のうら若き令嬢で老婆などではないだろう」

「えっ、あ、は、はい」


 さも当たり前のことだと言わんばかりの怪訝な表情でビストルメイが訂正を入れてきた。

 刹那、令嬢の胸の内を、極めて小さな歓喜が舞う。


「左様でございますね」


 己の言動に無自覚な王弟に対し、「殿下、そういうところです」とは、とても返せぬティビュアナであった。





「夫婦となった暁には、王城の敷地内に建つ俺の離宮で生活してもらうことになる。

 仮にも王位継承権を持つ者の伴侶として覚えるべきことは少なくないだろう」


 庭の四阿(あずまや)に腰を落ち着け、改めて今後の予定について話し合う乙女と巨獣。


「このあと正式に婚約が成れば(みや)への出入りが可能になるから、婚姻式の日まで定期的に通って必要な立ち居振る舞いを覚えてくれ。

 その際の教師役はこちらで用意しておく」

「はい、お願いいたします」

「ああ、それと、装いを何とかせねばな。

 そのドレスは家格に見合ったものなのだろうが、登城するには少々不足がありそうだ。

 ただ、俺は詳しくないので、部下に尋ねて後日にでも職人か商人かをよこすから、そこで一式を最低でも十……いや、二十は揃えておけ」

「承知しました」

「ちなみに、婚後はまた変わるが、現段階のこうした費用は、王族としての予算、細かくは交際費から支出される。

 他にも必要なものがあれば遠慮なく申請しろ」

「あら」


 ここまで彼の説明を大人しく聞いていた令嬢が、意外そうに小声を上げたもので、王弟も彼女につられる形で己の呼気(こき)を止めた。


「どうした?」

「いいえ、その、少し思いがけない方向の話でしたもので」


 誤魔化すように笑うティビュアナ。

 時を待たず、乙女の内心に思い至った野獣が大仰に肩を竦め、直球で真実を刺し貫いた。


「ああ。王侯貴族が金勘定の話など下品だとか、そういった(たぐ)いか?

 俺とて赤の他人にこんなことは言わん。

 これから貴女が学ぶべき物事の一つに含まれると思うからこそ、敢えて口にさせてもらった。

 己が何を期待され何を必要とされているか、また、どこまで許されているか、仔細に把握しておかねば正しく動けんからな。

 話題として不適切と扱われていたところで、無知で良い理由にはならんのだ」


 とどのつまり、自分に用意された金の額と出所ぐらい知っておけ、という話である。

 王弟のありがたいご高説に感じ入った令嬢は、祈るように両手を組んで、深く頷いている。


「ええ、本当に。本当にそうですわね。

 私も心より同意いたします。

 ……それにしても、お優しい(かた)ですのね、殿下は」

「んん? なぜそうなった?」


 彼女よりの急な話題の転換とその内容に、野獣の片眉が跳ね上がった。


「ふふ。まだ婚約すら成立していない一介の伯爵令嬢に、こんなにも便宜を図ろうとして下さって。

 すでに身内として懐に入れていただいているのだと、そして、尊き御身でありながら手ずから導きを与えんとする姿勢も素敵で、私、とても嬉しくなってしまいますわ」

「……良いように取りすぎだ。

 単に合理性を考えた結果に過ぎん」

「そうでしょうか」


 言葉通り、嬉しそうに微笑むティビュアナを持て余して、王弟は頭上に生える丸い耳の根を掻く。


「あー……他人の認識を無理やり変えさせようとは思わんが、俺の心の安寧のためにも『そういうこと』にしておけ」

「うふふ。かしこまりました。

 殿下は合理的な御方ですわ」


 どうして中々、既に婚姻後の力関係が見え隠れする一人と一匹であった。




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