女神様、怒られるの巻
脱衣所に連行されてしまった英星!
これからどうなる⁉
「ぎゃふっ!」
僕は脱衣所に乱暴に放り込まれた。
いてててててて……。
くそー、「英星様」とか言うんだったら、もっと丁寧に扱ってくれよ。
しかしここは……さながら銭湯の脱衣所といった広さと清潔さだ。しかし感慨にひたっている余裕はない。
僕は次々と衣服を脱ぎ捨てていく紫電を直視できず、両手で顔を覆ってふるふると震えていた。
「脱がないの? 英星くん……」
誰が脱ぐか、この痴漢。指の隙間から紫電をキッと睨む。
――そんな僕の目に飛び込んできたのは。
色白のほっそりとした無駄な肉一つついてない四肢に、申し訳程度に筋肉のついた胴体。ちょこんと控えめについたおへそ。足の爪に爪垢がなく、きれいに透き通っているのも高ポイントだ……ぶふっ!
ここまで見て、僕は鼻血を噴射して倒れた。
「え、英星くん! 大丈夫?」
紫電がトランクス一丁で僕に駆け寄る。だ、だからそんな刺激的な格好で近づいてこないで。両手を顔面に密着させていたので、鼻血が手で跳ね返って顔も両手も血だらけだ。
半裸体の少年に介抱されること数分。
ああ……幸せ。
僕はこれまでの人生で一番幸せな時間を過ごしている。
しかし肝心なところが見えない。トランクス、お前邪魔だ。
「落ち着いたかな? じゃ、入ろーよ」
……それは嫌だ。僕は見る専なんだよ。なんで女神様が人間の前ですっぽんぽんにならなきゃいけないんだ。
「……や、やっぱこういうのやめない?」
「あ、英星くんひょっとして……!」
……なんだろう? 紫電がニヤニヤしている。
「裸見られるの恥ずかしいんでしょ~!」
その通りだよこの下郎!!
まあでも乗りかけた船ならぬ、入りかけた風呂だ。しゃーない、少しだけ遊びに付き合ってやろう。
「……分かったよ」
そう答えて、僕は靴下だけ脱いで素足になると浴場に入っていった。
「すっごーい! スパみたい!」
「英星くん? どうしたの?」
「紫電。あんたのしたいことって背中流しでしょ? ほら、おいで。僕が流したげる」
すると紫電は口をとんがらせて、
「違うよー。ボクがしたいのは背中流しっこ! それに裸の付き合いじゃないじゃん」
「あんたねえ、これ以上ハダカハダカ言うんなら警察に突き出して――!」
不意に世界が回転した。どうやら、落ちていた石鹸を踏んづけたらしい。いけない、頭から落ちる――!
「英星くんっ!」
紫電の声が聞こえて、世界の回転が止まる。
気が付いた時には、紫電が僕の首筋と膝裏に手を回して――お姫様抱っこしてくれていた。
「大丈夫?」
心配そうに紫電が僕の顔を覗き込む。
――アカン、また鼻血が出そう。
紫電ってなんでこんなにカッコよくてかわいいんだ。このまま至近距離で顔を鑑賞していたい。時よ止まれ。
「あっち踏まなくてよかったね!」
紫電はニッコリ笑って排水溝に顔を向ける。そこには何やら2本の長い触角の生えた黒い物体が、カサカサと蠢いていた。
「ナニアレ?」
目が点になる僕。
「ゴキブリ」
紫電が優しく答えた。
――僕が広い広い浴場全体に響き渡る金切り声を出すまで、1秒もかからなかった。驚いた紫電が僕を抱えたまま尻もちをつく。
我を忘れて、宙にダルボワ文字の綴りを刻んでゆく。ゴキブリは悪だ。絶対悪。せめて僕の手であの世に送ってやる。
いつの間にか僕は紫電の手を離れて立ち上がり、暗黒スペルを書きなぐっていた。瘴気が僕の身体を包む。
「ひえっ!? え、英星くん!?」
紫電が何かわめいているが、もう何も聞こえない。僕の眼が憎悪に染まった。
「《ブラッディキャノン》!!」
異界よりいでし黒き弾丸が、排水溝にとどまらず浴場をこっぱみじんに粉砕。
巨大なクレーターを残し、紫電宅の風呂場はあえなく全壊した。
―――
「まだ信じられないなあ……英星くん、本当に神様なの?」
紫電が訊いてくる。
「ごめん、隠してて……、見習いなんだけど、神様は神様です」
「英星が派手に暴れてしまってすまない……」
僕とソラは、リビングで紫電家の皆様から取り調べを受けていた。
ソラは騒動の巻き添えを食らった形だ。珍しくソラに申し訳なく思う。
……でも、あのゴキブリが悪いんだよ? 僕は微塵も悪くない。
まあ、さすがに紫電も怒ってるだろうけど。
「いや、お風呂場が跡形もなく粉々に吹っ飛んだのはいいんだけどさ」
ええんかい! 思わず突っ込みそうになった。この少年、性格がよすぎるぅ。
「……その神様が何しに来たんだ」
うぐっ……。腕組みをした紫電のお父さんが、核心を突く問いを投げかけてきた。
見学に来たなんて言ってもこいつ信じてくれそうにないぞ。
「え……と、僕は……あの……その……」
「答えられないのか」
「…………」
「なんとか言え! 貴様よくも俺んちの風呂場を吹っ飛ばしやがったな!」
……やっぱこいつには怒られるんだな。
風呂場が根こそぎ無くなったんだし当然か。
紫電のお父さんは今にも殴りかからんといった剣幕だ。
「父上! やめてください!」
紫電が割って入ってくれた。
「神様でも人間でも、英星くんは英星くんです! ボクの……ボクの大事な親友です!」
「ふん、貴様の親友だからこんな騒ぎを起こしたんだろう!」
「どういう意味ですか!」
「言葉通りの意味だ!」
なんか親子喧嘩が始まったんだけど。でも……全ては僕のせいだよね。考えていると、僕は紫電の声が涙声になっていることに気付いた。
「父上はいつも……いつもそうだ! 困ってる人でもお構いなしに攻撃して! 今まで困ってる人に手を差し伸べたことある? ないでしょ!」
紫電の頬を光るものがつたう。
「父上なんて大嫌いだ!」
「俺も貴様のことなんて大嫌いだね! 愛したことなどない!」
――それだけ叫んで、紫電の糞親父は椅子から立ち上がり、扉の向こうへと消えていった。
紫電に向けられた最後の言葉はさすがに僕もカチンときたが。
「ううう……!」
紫電は身体を揺らしてわんわんと泣きじゃくる。
会話の間に入ろうとしながら結局入れなかった紫電のお母さんが、紫電を抱きしめる。
……抱きしめるのが恥ずかしかった僕は、号泣する紫電の手をギュッと握り続けた。
―――
ひとしきり泣いた紫電を宥めてから、僕は紫電の部屋に案内された。
わー広い部屋だなー。その辺の公園がそのまま1つ入りそう。
でも……この部屋だいぶ汚いな。悪ガキのたまり場の如くあちこちにゲームやら漫画本が散らかっている。
これを1人で散らかしたのなら、紫電には部屋を汚す才能があるというものだ。
「ちょっと部屋を片付けるね。……と、その前に、あの、少しお願いが……」
どうしたモジモジして。ツレションはもう勘弁してくれよ。
「あのね……、『英星』って……呼んでもいい……?」
なんだそんなことか。
「ダメ」
「えっ……⁉」
紫電がこの世の終焉でも見たかのような顔をする。
「なんちゃって、ウソウソ! むしろそう呼んでくれたほうが堅苦しくなくていいよ!」
「……あ、ありがとう! ……英星!」
紫電はそう言うと、眼をキラキラっと輝かせて手を握ってきた。
よっぽど『英星』って呼びたかったんだなあ。
「ゆっくりしてて! ちょっと散らかってるけどごめんね!」
それだけ言い残し、紫電はせっせと部屋を片付け始めた。
うん、こんな部屋じゃゆっくりはできんし、ちょっとどころの散らかり具合でもないんだが……。
厳格そうな家に生まれながら、紫電も年相応の男の子ということか。
血は争えないとはよく言うけど、年齢も争えないね。
……と、これは。
勉強机の上の写真立てが目に付いた。今より更に幼い紫電が、両親とともに写っている。あの糞親父もお母さんもニッコニコだ。これは同じ家族か。
「紫電! 散らかり過ぎだぞ!」
空気を読まない鳥の声で、僕は現実に引き戻された。まあ、写真のことには触れないでおこう。
「……紫電、あれだけメイドさんがいるのに何でこんなに散らかってるの?」
「母上の教育方針。自分の部屋は自分で管理しろって」
とても管理はできてないけどエライなあ。どれ、僕もちょっくら手伝うかあ。そう思って、ベッドに駆け寄った時だった。『それ』を目撃したのは。
平きっぱで置いてある漫画本のページに、何やら興味深いものが描かれている。これは――
「紫電ー」
「なにー?」
「この漫画なにー?」
「えー?」
「エロ本のことだよ。ベッドの上のエロ本」
「ああ! そのエロ本は、またベッドの下に隠しといて……って……え?」
紫電は大きな音を立てて、抱えていた漫画本を全部落とした。
「わ――――――――――――――――ッ‼」
猛然とダッシュしてきた。速い。時速100キロは出ているな。
素早く僕の手からエロ本をかすめ取ろうとしたが、あまりにも強引すぎてエロ本が途中から破れる。
男女が大いに盛り上がっているシーンが露わになった。
「ぎゃ――――――――――――――――ッ‼」
「へえ~、紫電、へえ~。これをベッドの上で読みながらナニしてたのかな~?」
紫電は耳まで真っ赤になって言葉にならない言葉を発し、ぷしゅ~っと顔から蒸気を噴射。ふらふらとへたり込んだ。
「あうう……うう~……」
めそめそと肩を上下に震わせ、泣き始めた。1日に3回も泣くとは、なんて忙しい奴。人間羞恥の極みに達すると泣くしかないのか、ただ紫電が泣き虫なのか。
いずれにしてもかわいい。
「ち、違うもん……! ゴミ置き場から持ってきただけだもん! 買ってないもん……!」
「いやいや、ゴミの持ち去りはマナー違反じゃなかったっけ……。それに結局手に入れちゃってるじゃん……」
「え、英星だってそういう本に興味あるでしょ! この変態!」
「変態はお前だろ……」
ソラの至極真っ当な突っ込みに、紫電はぐうの音も出なかった。
紫電もかなりのオマセさん。
というか、英星は人のプライバシーを平気で侵害している。