お兄ちゃんが見てる
王児がデシューに大撃沈させられた訳ですが、英星はもっと深刻らしい……。
スライムに論破されていじける王児を引きずって、僕らは謁見の間を後にした。
王児の奴もしょうがないなあ。
「ねえ英星?」
壁一面に髑髏の絵が描かれた趣味の悪い廊下を渡り切ったところで、粋が声を掛けてくる。
「あたしちょっと城下をぶらぶらしてくるから。何かあったらあたしたちに相談するのよ?」
「うん……ありがと。でもホントに大丈夫だから」
僕は精一杯の笑顔を作り、頷いた。
僕の右手にはお兄ちゃん――竜槍ラースがある。
粋は、じゃあね、と言って死神たちの群れの中に消えていく。
「わ、私も姫様のお力になりたいです!」
クラリスが胸に手を当てて僕に顔を近づける。唾が飛んで来たことは黙っておいてやろう。
「オ、オレ……オレも……力に……」
僕に襟首を摑まれながら、落ち込みきった王児がぼそぼそと呟く。
お前はまず自分のメンタルを立て直せ。引きずられる王児の後ろを歩くデシューが、王児にニヤニヤとした表情を送る。
僕は自分の寝室の前まで歩を進め、王児の襟首から手を離すと仲間たちを振り返った。
「そしたらここで。何かあったら……言うから。みんなホントにありがとうね」
「姫様! 本当に無理しないで下さいね!」
大声を出したクラリスの口からまたしても唾が飛んで来たが笑って我慢。
えらいぞ僕。でもクラリスは減給しとこうかな。
ばいば~い、と手を振って扉を閉める。そのまま扉にもたれかかった。
「……ひぐっ! うっ、うぅぅうううぅ……! がふっ!」
扉の前にうずくまる。
もう虚勢を張ることないんだ。
みんなを心配させるくらいだったら……僕は独りで泣く。
「お兄ちゃん! 僕の大好きなお兄ちゃん! お願い! 帰って来て! 帰って来てよぉっ!」
そこまでわんわん泣いた時、不意に背中を押されたような感覚を感じて、額からごちんと床にぶっ倒れた。
「英星」
優しい声がする。
――お兄ちゃん?
額を押さえながら恐る恐る振り返ると、扉を開けて立っていたのは紫電だった。
「ひぁっ!? 紫電違うのこれはっ! そのっ……!」
静かに扉を閉めた紫電は、ゆっくりと腰を落とした。
目を大きく開けて僕の顔を覗き込んでくる。
僕は竜槍ラースを肩に置き、顔を両手で覆って隠した。
「泣いてたでしょ」
紫電の言葉を僕はふるふると首を振って否定する。
「ウソつけ。隣座るよ?」
紫電が隣に座った音がした。
肌と肌が触れ合っている。……近い。
「英星。泣いてないんなら両手を顔から下ろして?」
僕はふるふると首を振って拒否する。
「ほらやっぱり。みんな言ったよね? 力になりたい、無理しないでって」
「…………」
「頼ってくれなきゃ。……ボクたちも……英星を頼れないよ?」
その言葉に――ハッとした。
「弱みを見せられる人は……強い人。母上が……言ってたよ。英星のお母さんも早く捜しに行かなきゃね」
紫電がぽふっと僕の頭に手を置いた。
「ぅうっ、し……でん……! ごめん! ごめん……なさぃ……! ひくっ! ひっく」
僕は両手をゆっくりと下ろし、しわくちゃになった自分の泣き顔を紫電に晒す。
紫電は僕の短い髪を梳かすように動かしてから、両手で優しく僕の身体を包み込んでくれた。
「うわああぁああぁああああん! 紫電! 僕がお兄ちゃんを殺しちゃった! あんなに大好きだったお兄ちゃんを……がほっ! げほげほっ! おげぇっ! げぇええっ!」
胃の中の食べ物が逆流しても涙は収まらない。紫電は自分の法衣に僕の嘔吐物がへばりつくのにもかまわず、僕を抱きしめる。
周囲に嘔吐物の悪臭が漂うなか、紫電は優しく僕の頭を撫で、背中をさすり続けてくれた。
「雷星がね。『英星は100点満点の妹だった』って言ってたよ」
「ぅうっ……?」
「また心から笑えるようになるといいね……ゆっくりでいいからさ」
「ゔ、ゔんっ!」
視界の端っこにある竜槍ラースの穂先が、きらりと光った気がした。
―――
紫電に抱きしめられてどれくらい経っただろう。
時々肩はぴくりと震えるけれど、だいぶ落ち着いてきた。
床の上の竜槍ラースを手に取り、見つめる。
「雷星……きっと英星のこと見てるよ」
「ぅう……」
「英星――い!」
一瞬ハッとしたけど、すぐに誰の声か解った。
これは粋の声だ。
かつてスピーチをしたバルコニーに出てみると、粋がこちらに向かってぶんぶんと手を振っていた。その辺の出店で買ったのか、その片手にはフランクフルトとジュースを持っている。
「これさあ、この辺で売ってんのー! 一緒に回らなーい? あんたもう元気なんでしょー?」
……憎らしいほどデリカシーがない。
こちとら落ち込んでんねん!
拳にグーを作ってわなわなと震えていると、二足歩行をする豚の死神の親子が僕を見つけたようで、粋と一緒になって笑顔で手を振ってきた。
「お姫様ー!! 今日もかわいいですねー!!」
豚の子供の方があどけない声で叫ぶ。
僕は急いで眉間のシワを消すと、グーをパーに変えて手を振った。
はぁ……お姫様って大変だ。
豚の死神の子供は僕の心情を知る由もなく、「ぼくお姫様とお話したよー!!」などと親に嬉しそうに話していた。焼き豚にしたろか。
親子の影が伸び、その影が杖を持った。赤く光る。
「ぐげっ!」 「げぅっ!」
杖から発生した衝撃波が親子の首を消し飛ばす。
粋が驚きの余り抱えていたジャンクフードを落とし、固まった。
「ここが死神界か……なんともたやすく入れたぞ……!」
こんな残酷なことをする奴は一体!?
次回もお楽しみに!