ヨゼフの考え
第九十五節
「ギャンッ!?」
最後の一匹に矢を放ち、その悲鳴には“なぜ”という言葉を含んでいる様な叫びを上げ、草原にその身体を横たえる。
「よし、最後の一匹も仕留めたな。でかした! カイ! お前やれば出来るじゃねぇか! 初めて馬上から弓を扱ったとは思えなかったぞっ!」
「え、えへへ……あ、ありがとう。それほどでもないよ」
どぎまぎと不慣れな苦笑いを顔に貼り付けながら、懸命に笑みを作りだす。
流鏑馬をやっていたから、少しは馬上でも弓が出来るとはとても言えない。僕の正体を明かせる時になったら、こういう小さな事でも明かしていきたい。
いつまでも嘘を続けているのは、心苦しいからだ。嘘に嘘を重ねていく人生ほど、辛いものはないだろう。
僕には絶対に無理だ。嘘が本当になったとしても、その人生における本当とは何なのだろうと考えてしまう。
ふと、あの犬の魔物の亡骸を見て、ある考えが浮かぶ。遠慮がちになりながらドーファンに尋ねた。
「ねぇ、ドーファン。あの魔物から膠って採取出来るかな? もしくは村に瀝青ってあると思う?」
知っていたらいいんだけど。前の世界の歴史的にも古くから存在する素材だから、この世界でもあるんじゃないかな。
「煮詰めれば膠は採れるでしょうね。ただ、瀝青は村に置いてあるでしょうか……」
「たしかあの村には瀝青はなかったぞ。膠はあった気がする。流石に煮詰める時間は無いな。食糧と必要最低限の物を今後買うことを考えると、膠を買う金はねぇな」
「……そっかぁ。残念」
村に訪ねたことがあるらしいヨゼフの返答は、気落ちさせる内容だった。
ションボリだよ。せっかく作りたい物のために使いたかったけど、そりゃお金が必要だよね。今後の旅のことを考えると、無駄なお金を使うことは出来ないって言うヨゼフの言い分も最もだ。
すぐに作るのは諦めるしかないかな………。
「すぐに使いたいなら、その魔物と引き換えに頼んでみたらどうだ?」
「へ? そんなことが出来るの?」
目から鱗だった。帝国では欲しい物は自給自足だったし、前の世界ではお金で欲しい物を買っていた感覚が、この世界の物々交換という概念に至らせない障害となっていた。
「あぁ、魔物の死体ごとやればそれぐらいくれるだろう。せいぜい持っていけるのは一匹の死体だけだ。俺が持つ。わざわざお前がそんなこと聞いたんだ。何かに使いたいんだろう?」
「ありがとう! ヨゼフは何でもお見通しだねっ!」
やった! これで仮にとはいえ作れる見通しも立った。本格的に作るのは、瀝青が手に入る王都に行ってからにしよう。
「なぁ、カイ。膠ってなんだ? それに瀝青ってのも……」
「うーん、物と物をくっつけるのに使う物かな。詳しい話しは、僕が作りたい物を作る時に話したほうがわかりやすいかな」
「そっか。わかった。楽しみにしとく!」
ハイクも僕の工作が楽しみのようだ。そんな期待されるほどの大それた物を作る訳じゃないけど、僕もなんだか楽しみになってきた。
「よし、そうと決まれば運ぶか。お前らはそのまま馬上で待機だ」
黒雲に乗っていたヨゼフは草原に降り立つと、ワイルド・ドッグの亡骸に近づき、僕の放った弓矢を抜かずに頭に突き刺さった状態で、その矢の周りを中心に頭部を粗布で覆う。
どこにあったのか知らなかったが、折り畳まれたかなり大きめな麻袋をパッと広げると、その亡骸を袋に詰め、軽い物を持つように左肩に担ぎ上げた。
「じゃ、こっからまた飛ばすぞ。道中の周囲の警戒は、もうそこまで張り詰なくていいが、程々に警戒はするように。んじゃ行くぞ」
黒雲に乗り直したヨゼフはそれだけ注意すると、さっきまでの緊迫した言葉遣いではなく、いつもの緩い感じのヨゼフに戻っていた。それに違和感を感じ取ったのは僕だけではなかった。
「ヨゼフ。どうしてそんなに気が緩んでいるのよ? まだ敵がいるかもしれないんでしょ」
「ん? あぁ、もう説明してもいいな。森から抜ける時に俺達の前には何の気配も無かった。非常に奇妙なことだった。普通、あの場面なら待ち構えているのが有利な状態だ。それを捨てた。つまり、もっと有利な状況で俺達を追い詰める。そう判断したんだろう。もしくは時間を稼ぐ…そんなところか……」
「どういうことよ? もっと有利な状況って。それに時間を稼ぐって……」
「それはもう少し行けばわかる。そこは絶対に通らなきゃ行けないとこだ。まぁ、今日は村でゆっくり泊まらせて貰おう。さぁ、行くぞ。このままだと遅くなっちまう」
イレーネの質問を半ば強引に切り上げる形で、ヨゼフは先を急ぐように黒雲に走り出すように合図する。
ワイルド・ドッグの亡骸を背負ったヨゼフをものともせず、黒雲は豪快に前脚を振り上げ、同時に首を上げて“ヒヒーンッ!”と嘶き、尻尾を高く振り、軽やかな脚取りで走りだす。
……安心して嬉しそうに走っているね。良かった。
黒雲達はさっきまで絶えず耳を動かしたり、両耳を後ろに伏せたりして警戒していた。これは威嚇や攻撃の感情を持った時によく見られる仕草だ。
それが嘘のように今は耳をピンと立てながら、草原を駆け抜けている。黒雲達もこの最高の景色をようやく楽しみながら、走り、疾ることを心の奥底から歓喜しているようだ。本能が喜ばずにはいられないといった感じだ。
それはそうだろう。ここまで壮大な草原と青空の下を駆け抜けられるほど、黒雲達にとって嬉しいことはないだろうな。
「やっと少しはアイリーンの背の上で走れることを、じっくりと味わえそうね」
「そうだね。黒雲もアイリーンもアルも、みんな嬉しそうに走ってるよ」
「そうね。……ここまで無理をしてきたもの。少しは緊張を解いてもいいわよね? ヨゼフも程々に警戒するようにって言っていたもの」
「イレーネ! それはフラグって奴だよ。不吉の前兆だ。あんまりそんなことを言っちゃ……」
「はぁ〜。そんなこと気にしてたら、せっかくのいい景色が楽しめないでしょ! 目の前にいい景色が広がってるのよ? それを楽しんで走らないほうが、この景色を育んできた自然に失礼ってもんでしょ」
……イレーネはいいこと言うね。そうだ。たしかにこの景色を楽しまない方が失礼ってもんだ。
「そうだね。今はこの景色を目に焼き付けようか」
一瞬目を閉じて、気持ちを切り替える。この景色を楽しまめないようじゃ、この先もっと辛い現実があっても楽しめないよな。
目を開けてみる。僕達はいま雄大な自然の中を疾走している。心地よい風が通り抜けていき、そんな迷信を吹き飛ばすように風が駆け巡る。
気持ちいいな……。みんなもこの光景を満喫しているようで、涼やかな顔をしながらこの時を楽しんでいた。
「いや〜、なんて気持ちがいいんでしょうね! ボクも馬が欲しかったです」
「最高だよな! ドーファン! でも、王都から来たって言ってたけど、よくここまで歩いて来れたな。結構歩いたんじゃないのか?」
ふと、ハイクとドーファンの会話が耳に聞こえてくる。王都までの距離がわからないけど、たしかにこんな草原を走る距離を考えると、かなり距離がありそうに思える。
「いえ、ボクは基本的には旅商人の馬車に乗せて貰ったりしながら移動しました。もちろん代金をお支払いしてですよ。それにこんな危険なルート通れる訳ないじゃないですか」
「…………危険なルート? ドーファン、それってどう言う意味?」
「あ、そっか。カイ達は知らなかったんですよね。あの深い瘴気が立ち込める森は、決して通っては行けないって言われているんです。そして、これから通る予定の道も……」
「ちょっとっ!? ヨゼフ! なんて場所を通らせているのよ!! ってかドーファンも知ってながら、何でそんな大事なこと教えてくれなかったのよ!」
「本当だよっ! どうして安全な道で行こうとしてくれなかったのっ!?」
信じられないよ! 何でそんな所を通って来たの!? もっと安全に行けば良かったじゃないか……。
“ん?”っと言って、後ろを振り向きながらヨゼフは、逆に“何でそんなこと聞くんだ?”と言いたげな目をしながら口を開く。
「当たり前だろ。副ギルド長も通る道を、俺が通れない訳がないだろ」
「違うよっ! ヨゼフは良くても僕達があの瘴気にやられてたらとか考えなかったのっ!?」
あの瘴気はそのぐらいヤバかった。得体の知れないヤバさがあった。精神に干渉してくる違和感を感じ、もうちょっとで僕の心は挫けそうになっていた。
あえてそんな危険な道を進む必要なかったんじゃ。
「いや、お前達がやられる訳ないだろ」
「へ?」
「お前達は全員、強い想いを抱いている。それはそっとやちょっとじゃ折れない、砕けない想いだ。だから瘴気なんかで倒れるなんて最初から考えていなかった」
「ヨゼフ師匠……」
ハイクはなんだか感動したように少しウルウルしながらヨゼフを見ていた。
いやいやいや、騙されちゃいけない。いい感じに言ってるけど、聞かなきゃいけないのはそれだけじゃないからね。
「ヨゼフ。別に少しぐらい時間が掛かっても、ドーファンが通って来たって道からでも良かったんじゃない? わざわざ危険な道を通らなくても。魔物も出るし、この先も危険なんでしょ」
「それじゃダメだ。ドーファンが困っていたんだ。俺がいるなら、この道を通って少しでも早く王都に送ってやるべきだ」
………そっか。ヨゼフはドーファンのために、わざわざこの道を選んだんだ。ドーファンが早く王都に行かなきゃいけないって言っていたから。
「それに、この道を通っているのは何もドーファンのためだけじゃない。お前らのためでもある。俺のためでもある。王都に着いたらギルド長と一緒に説明してやる」
「……わかったよ。ヨゼフ」
恐らくこれはヨゼフなりの優しさだった。これ以上僕達に精神的な負荷を掛けさせないために、ヨゼフはまだ教えないほうがいいと判断しているようだ。
「それに……まだ諦めてはいけないと俺は思う。だから、この道を行くべきだ」
唐突に呟いた言葉は、誰に向けたかわからないメッセージだった。
「ヨゼフ? 何を言っているのよ。諦めるってどういう……」
「……さぁーてな。俺は知らない」
「ちょっとっ! 教えてくれたっていいじゃない!!」
イレーネとヨゼフは啀み合う。けど、それは聞いている僕らがついついニヤニヤしてしまう心地良い啀み合い。
「わっはっはっはっはっは! 誰が教えてやるもんか! それより、ドーファンに対する質問はどうしたんだ?」
「あ、そうだったわ! ねぇ、ドーファン。何で大事なことを教えてくれなかったのよ? この道がそんなに危険だと知ってれば断固反対したのに」
「それはですね……」
話しを振られたドーファンは意味深に言葉を溜める。どんな言葉が少年の口から話されるのか気になってしょうがない溜め方だった。




