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Spin A Story 〜この理不尽な世界でも歴史好きは辞められない〜  作者: 小熊猫
第二章 “冒険者編〜霞たなびく六等星達を求めて〜”
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瘴気

第九十四節

 さっきの影響で、まだこの辺一体の空気は瘴気に侵されていなかった。空気は澄み、息が軽い。だが、そう思っていたのも束の間。その時はすぐに訪れた。


「瘴気に突入する! 深く息は吸うなよ!」


 ブワッと薄い紫色の幕に覆われた森に入った。嫌悪感を抱かせる獣の臭いを強烈にした、瘴気独特の臭いが鼻につく。


「っ! 何度も吸ってるけど慣れないわね、これ……」


 手綱を握るイレーネは頭をアイリーンの首に(うず)めて、あまり瘴気を吸い込まない体勢にする。僕はまだイレーネの後ろにいるからか、かろうじて瘴気が直接顔にかかることはないが、それでもその臭いは終始纏わりついているようで気が気でなかった。


「そうだね、イレーネ。まだこの後、あの濃い瘴気が待ってるよ」

「うぅ、嫌なこと思い出させないでよ……」


 イレーネは顔を沈めていたけど、気分も沈んでしまったようだ。


「ごめん、そんな気じゃなかったんだよ……」

「はぁ〜、これだから男ってのは。現実も大事だけど、感情を考えてよね」

「ご、ごめんなさいっ!」


 イレーネには勝てないな。ついつい次に来る現実ばかり考えてしまう。もうちょっと前向きに考えなきゃな。

 そんなことを考えていたら、さっき進んでいた道にまで戻って来た。ヨゼフはすかさず進路を変え、左手方向に向かって走りだす。


「おし。さっきの道に戻って来たな。あと少しで瘴気が濃くなる! 気をつけろ!」


 僕達も向きを変えながら走り続けた。前向きに考えること、か。何かいい話題ないかな……。咄嗟に浮かんだものは、別にどうでもいいことだった。


「ねぇ、イレーネ。イレーネは村に着いたら何をしたい?」

「そうね、まずはお風呂に入りたいわ。あと、ヨゼフの狩ったお肉を食べたい。あとは……したいかしら」

「いいね、それ。僕もやっぱりそれかな。……最後なんて言ったの?」

「べ、別に何でもないわっ! ……っ! ほら、目の前に濃い瘴気よ! カイ、突入するわよっ!!」

「…っ!! うんっ!」


 突入したと同時に、ムワッとした汚染された瘴気が全身を覆う。先程よりも気持ち悪くじめじめした、身体が徐々に蝕まれているのではないかと錯覚してしまう程に、その瘴気は酷く脳の働きを鈍くさせてくる。


 それだけではない。さっきのヨゼフと別れた場所が近づくにつれて、恐怖が身体を強張(こわば)らせる。

 先ほどの恐怖が蘇ると同時に、また同じことが起きてしまうのではないか、そんな不安が生まれてくる。


 一歩、また一歩と歩みを進め、その距離は次第に縮まってくる。……その心配は杞憂だった。あっという間にヨゼフと別れた場所を通り抜けた。


 そこを横切る時、見えてしまった。沢山のジャイアント・グリズリーの横たわった遺体を。無惨な姿に変わったそれは、まだ時がさほど経っていないこともあってか、まるでまだ生きているように、ただ眠っているだけに思えてしまう。

 ヨゼフの槍がジャイアント・グリズリーの身体を傷つけることなく、一撃を持って打ち倒したということだった。

 苦しませることなく、対峙した魔物を一撃で葬る。アルミラージの時も一撃だった。さながら、魔物を(いたわ)っているように、必要以上の痛みを味わうことなく倒しているように思えた。


 そんなヨゼフはここから見えない。だけど、彼の小さな呟きが耳に届いた。




「……………妙だ………」



 

 いつものヨゼフの放つ言葉の中でも、その言葉は、やけに警戒していることが如実に表れていた。静かに呟かれたはずなのに、重い重石(おもし)となって、僕達の一向には瘴気とは違う嫌な空気が張り詰める。


 一瞬、ヨゼフは走ることを辞めるように手綱を握り締めた。だけど、それもほんの一瞬。


 すぐさまに持ち直し、その走ることへの躊躇いを打ち払い、ただただ前に突き進んだ。


 踏み込めば踏み込む程に、深い深い瘴気が心を迷わせ、思いを狂わせ、その魂を砕かせようと襲いかかる。

 瘴気がこんなにとんでもないものだなんて、思ってもみなかった。その怖さが次第に身体に侵略してくる。


 どこまで、どこまで走り続ければいいの………。


 意識が朦朧としてきた。暗い……闇い……喰らう。


 ヤバいな……。これから待ち受けているかもしれない敵よりも、瘴気に喰われそうになっている自分がいる………。




 だけど、それでも、ヨゼフは走り続けた。




 前に立っているのがヨゼフじゃなかったら、恐らく僕達の旅はここで終わっていただろう。


 それほどに瘴気は僕達の想いに訴えかけてくる。想いを朽ち果てさせようと。


 その存在を知らしめようと躍起になっているように、精神に深い影響を及ぼしてくる。


 強い意志がなければ立っているのもやっと、突き進むのは強い想いを抱く者だけ。何かを試すような魔の瘴気。


 ただ、ただ、前へと。想いが突き進むままに、前へと。走り続ける。


 目を閉じず、しっかりと前に視線を定めて。


「ぐっ……」

「うぅ…」

「まだ…なの」


 導くヨゼフの後ろについていくことだけを、みんな必死に考えていた。それでも、すでに心は折られそうになっていた。だけど、彼は諦めなかった。


「諦めるな! あと少し! あと少しで抜ける!」


 その言葉に全ての想いを託した。その言葉を信じるしかなかった。あと少し、あと少しだ……。




「うぅ…もう……だめかも………」




 誰かの呟きが耳に刺さる。それは心を砕くのに充分な言葉だった。


 その言葉につい同調して諦めたくなる。そんな中、諦めない少年の言葉が響く。


「ダメです! ここで終わっては! ヨゼフさんを信じましょう!」


 そうだ。ここで終わらせる訳にはいかない。こんな瘴気に負けるわけには……。


 迫りくる濃い紫色の瘴気を、先の見えない暗闇を走っているような中を、ぐっと堪えながら、戸惑いながらも強く信じ続けた。




「……っ!! 見えた! 瘴気を抜ける! 周囲への警戒を怠るな! 行くぞっ!!」


 


 その時、一筋の光が見えた。それは間違いなく希望の光。ただ、その光の先に待っているのは、希望ではないかもしれない。

 敵が待ち受けている。どうしようもない程の残酷な未来が。




 ……僕は信じる。ヨゼフのことを。



 

 どんな運命が待ち受けていても。その運命が牙を向けたとしても、この道を走り続ける。



 

 光は大きくなり、その光に身体が包まれながら、(もや)が渦巻いていた頭の中を、朦朧としていた意識が徐々に研ぎ澄まされていく。その支配が次第に(ほど)けていく。


 光の中を進み続ける。新鮮な空気が身に纏っていた瘴気を払い、完全にその支配から抜け出そうとしていた。

 その時、僕の想いの中で“瘴気を抜けるっ!”という想いが強く前に出て、周囲への警戒が緩む。けど、すぐに気を引き締めた。


 背負っていた弓を左手に構え、右手に矢をつがえ、いつでも矢を放てるように。




 フワッと爽やかな風が通り抜ける。完全に瘴気から、あの暗闇の森から解放された。イレーネの綺麗な金色の髪も風に(なび)いていた。

 葉の香りと草の匂いが籠った風が、大地を駆け抜けて通り過ぎていった。


 凄い……。思わず目の前の景色に目を奪われる。どこまでも、どこまでも広がる広大な大地があった。


 魔物の瘴気に阻害されることのない、陽の当たる大地。今まであの森にいたせいか、全ての景色の色がより色鮮やかに目に焼きつき、心にも活気を与えてくれる。

 地を緑が這い、その緑一面の草原はまるで絨毯のように柔らかそうで、黒雲達の足音も静かにさせる。

 青の海が空のどこまでも延々と広がり果ては見えない。空から訪れる日差しは柔らかく、そして暖かく迎えてくれるような、そんな気にさせてくれる。

 大地と空の境界線。その地平線の彼方の向こうには何があるのかと、心臓の音は加速度を上げていく。高揚感が身体包み、手に握る弓にも力が入る。

 そんな理想的な自然の世界。僕達のいた村とは違う、手つかずの自然が。こんな絶景は見たことがなかった。

 本来の自然の在り方がそこにはあった。緑が豊かに生い茂り、こんなに雄大な自然が待ち受けていたなんて……。

 なんて綺麗で美しいんだろう……。



 

「よし! 抜けたぞ! カイ! 後方の警戒をしろ!」


 ハッと意識を変える。けど、ヨゼフの指示は不可解のものだった。何で後方の警戒を……。


 だが、その答えはすぐに出た。




「「「「「ワオォォォォォンッ!! ワオォォォォォンッ!!」」」」」




 奇声を上げる狼の魔物の群れが迫って来る。野生特有の毛のボサボサが目につく、こちらが風上で良かった。風上にいるにも関わらず、濃厚な獣の臭いが漂ってくる。

 もし風下にいたなら意識が削がれてしまう程の強烈な臭いだった。

 必死に獲物を狩ろうとするあまりにか、それともその柔らかい肉を喰らうことを想像していたからか、その剥き出しになった牙からは()(したた)らせながら走っていた。




「あれは“ワイルド・ドッグ“ですっ! 群れで狙った獲物を仕留める犬型の魔物です! 敵の連携に御用心をっ!!」

「わかった! 僕が弓で相手をする! みんなは周囲の警戒を……」

「いや、もう周囲の警戒はいい! ()()は逃げた! 後ろのあいつらを走りながら相手をするぞ! 村に着ければいい! あの犬共も、そこまでは追ってこない!」


 ヨゼフは断言した。なぜ断言したかはわからない。けれどもそれは、願ってもない吉報だった。後ろの敵にだけ注意をすればいいなら、何とかなるはずだ。


 しかし、距離は離れているとはいえ敵は十数匹はいる。もし、外してしまったらと考えただけで、身が震え上がった。

 こちらとは距離が離れ黒雲達に乗っているとはいえ、そう何発も外してしまってはいずれ追いつかれてしまい、あの牙に噛まれてしまっては無様にも(はらわた)を喰いちぎられ、臓物が清らかな大地を穢すことだろう。


 想像しただけで震えが止まらなくなった。さっきのジャイアント・グリズリーの時は鬼気迫るものがあった。窮地に陥った仲間を救おうと躍起になっていた。

 今はどうだ。少し時間的な余裕があるせいで、その無残な結末を思い描いてしまう。詳細に思い描けてしまう。自分の望みとは真逆に身体は恐怖に染められてしまう。


 だけど、ここで震えているだけでは事態が好転する訳でも、犬型の魔物が追跡を諦めてくれる訳でもない。


 大切な仲間を守る。それだけを考えるんだ。


 つがえていた弓と矢を構える。一番手前まで迫っている敵に照準を定めた。敵を睨む眉間に力が入った。両手の震えは収まる気配はなく、ただ、矢を放つことばかりが気持ちを急かす。


 矢を引き絞り、そして放つ。だが、無造作に放たれた矢はその願いとは裏腹に、ワイルド・ドッグの横を掠め、草原に突き刺さる。


「「「「「ワオォォォロロロロッ!! ワオォォォォォロロロロッ!!」」」」」


 こちらをケタケタと嘲笑うように、ワイルド・ドッグの群れは一斉に声を上げる。その声を聞くだけで、心が掻き乱されていく。


「落ち着け! 奴らの思う壺だっ! 魔物と言えど知能はある。お前を馬鹿にして、少しでもこちらの攻撃を当てさせないための奴らの手段だ! 意識を研ぎ澄ませ! 想いを整えろ!」


 その言葉に息を呑む。そうだ、意識を研ぎ澄ますんだ。弓から一体何を学んだんだ。こういう時こそ想いをしっかり持たせろ。


 ふぅ、と息を吐く。


 左手に握る弓の手の内を整える。基本中の基本だけど、未だに自信はない。それでも、手の天文筋を弓の外側の左角に合わせ、虎口を弓に巻き込む。

 小指、薬指、中指の順に握り締め、最後の親指でしっかりと握り直す。人差し指はピンと力を張り過ぎない程度に構えた。


 右手に背負っていた矢筒から矢を取り出す。その手に握る矢の取り懸け。矢をつがえるが、親指は弦に対して垂直になるようにし、ゆがけの親指の帽子が矢に触れない程度の位置におき、矢口が開かないように少し離しながら取り懸けを行う。




 目を閉じて、心を落ち着かせ、意識を研ぎ澄ます。矢を外す時は心の乱れ、想いの揺らいでいる時だ。




 照準を定め、その射線にいるのは一匹の獣。魔物の犬。


 手にブレはない。両腕の(りき)みはない。そのまま右手の肘を曲げ、矢を引き絞り、狙った獲物から目を離さず、ここぞという時に放つだけ。


 慎重に、慎重に。その時を見極める。……………今だっ!!


 右手に引き絞った矢を放つ。一糸乱れることのない矢は草原と空の間を、引き裂くように飛んでいく。


 


 ヒュンッ!!




「ギャォォォォォンッ!?」




 矢は一匹のワイルド・ドッグの脳天に見事に命中し、その思考を停止させた。


「よくやったっ! そのまま他の奴らも頼むぞ! はぁぁぁぁぁっ!!!」


 ヨゼフも先頭を走りながら、その槍をワイルド・ドッグの群れに向かって突き出す。ヨゼフの槍は波動として空気を伝い、一匹のワイルド・ドッグの頭から尾までを貫く。


「ギャォォォォォンッ!? ギャォォォォォンッ!?」


 周囲のワイルド・ドッグ達は何事かと慄きの叫びを上げる。このまま追いかけて来てもどんな目に遭うかは明らかだ。

 ………それでも、ワイルド・ドッグの群れは追跡することを辞めない。むしろ、その目には闘志が灯ったように見えた。


「…………あいつらも、ただ、仲間をやられることだけは許せないようだ。あいつらの気持ちを汲んでやれ。このまま距離を取りながら、あいつらが戦意を失うまでは矢を放ち続けろっ!」


 そうか……。これも気持ちを汲むってことなんだ。真剣に仇を取ろうとしてくる相手に全力を持って迎え撃つ。

 たとえそれが、人と魔物であっても。


 僕はヨゼフの言葉を心に受け止めながら、必死に矢を放ち続ける。目を開けて、追ってくる魔物を貫く。みんなを守る。そのことだけを考える。


 草原には、獣達の悪臭と紅黒い血が所々に点々と、まるである種の道標(みちしるべ)のように、その亡骸と共に刻まれていった。


 


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