旅立ちの朝
「おっ、言われた通りに食ってるみたいだな。どーれ、俺も食うかな」
「あっ、ヨゼフ師匠おはようございます。すみません、先に頂いてました」
ハイクは食べていた途中だったが立ち上がり、お辞儀をした。
よっぽどヨゼフのことを認めているようだ。
ここまで誰かにハイクが心酔するなんて考えもしなかった。
わざわざここまでの礼儀を持って、ハイクはヨゼフに敬意を示している。
ハイクは自分より強いと判断しないとここまで認めない。
村の中でも体術でハイクに勝てるのはアリステア先生だけだった。他の兵士もハイクは投げ飛ばしていた。
大人顔負けの強さとそれだけ強靭な身体を子供ながらに持ち合わせている。
そんなハイクがヨゼフを認めるって僕からすると信じられない。
目の前の光景を今でも現実か疑っているくらいだ。
「あぁ、別に気にするな。俺は血抜きは徹底的に何がなんでも行わなきゃ気が済まない。だからわざわざ川にまで行っただけだ。つまりは俺の我儘だ」
「いや、その鳥だってわざわざ俺らに気を遣って狩ってくれたものです。なんだか申し訳なくて……」
「もう! ハイクは真面目ね! 真面目過ぎよ! …こう言えばいいのよ」
ハイクを見るに見かねなくなったイレーネは立ち上がり、ヨゼフの前まで歩いていく。
その手にはなぜかまん丸の黒パンがあった。
「私達のためにありがとう! ヨゼフっ! 恩に着るわっ!」
イレーネはスパッとそう言い放った。
…流石だ。見ていてこちらも清々しい気持ちになった。
実にその通りだと、それがこの場に一番相応しい言葉だと思わせられる。
「おう! じゃじゃ馬娘! …それくらいの方が俺も気分がいい。ならこう返そうか。“どういたしまして”」
このくらいフランクなヨゼフも羨ましい。
前の世界で“どういたしまして”なんて言葉を使ったことがない。
類語として仕事でよく使っていたのは“とんでもないです”、だ。
もっと言えば“いえいえ、とんでもございません”って言葉がよく口から出ていた。
“どういたしまして”なんて言葉を使えるフランクさ、お洒落な心もなんか羨ましい。
…僕もいつか真似しよっと。
ヨゼフが濡れた山鳩のお肉を木にぶら下げて、槍をその脇に立てかけるのを確認したイレーネは、すぐに近寄って再びヨゼフに声をかける。
「えぇ、わざわざ遠くまでありがとう。はい、これは貴方への報酬よ」
「おう! もとは俺のもんだけどな! ありがたく受け取っておく。ありがとな」
ノリのいいヨゼフはイレーネの冗談に乗った後、目の前の少女の頭を空いた片方の手で優しく撫でてあげる。
イレーネはそれを待っていたかのように、撫でて貰いやすいように顔を一瞬のうちに少し屈めた。
イレーネはちゃっかりしていた。昨日のナデナデで味をしめたのか、朝イチでこれを狙っていたとはやるなぁ。
その甲斐もあったようで、目を閉じながら何か懐かしい想い出を噛み締めているような、凄く嬉しそうな表情をしていた。
見ているだけで僕も幸せな気分になれた。
…父さんに頭を撫でて貰えた時の気分を懐かしめたから。
「さぁて、んじゃ俺も”これ”を食うか。あらよっと」
ヨゼフはイレーネを撫で終えると、イレーネから少し離れて距離を取り、黒パンを自分の真上の空中に投げる。
腰に帯びていた短刀を手に取って、落下してくる黒パンをシュパシュパッと目にも留まらぬ速さで切り分けていく。
黒パンが落下した時には見事に六等分になっており、表皮と内層も上手に分かれていた。
「「「「おぉ〜!!!」」」」
子供達一同から拍手喝采が沸き起こる。
…凄い、凄いよっ! こんなことが出来るなんて曲芸師にでもなれそう。
「どうだ、見直したか。俺は槍が一番得意だが、他も多少は心得があるんだ」
「凄いです! ヨゼフさん!! こんな技見たことありません。ボク感動しましたっ!」
ドーファンが目をキラキラさせながら、ヨゼフを尊敬の眼差しで見つめる。
「だろ! 俺はこう見えて凄いんだぞ。同じようにやりたければ、教えてやるからいつでも聞いてこい。さぁ、ちゃちゃと食って移動を開始するぞ」
ヨゼフも早速食べ始めた。
僕はヨゼフが食べている黒パンの内層ではなく、ヨゼフの脇に置いてある黒パンの表皮と、腰にぶら下がっている皮袋に目がいった。
「ヨゼフ。今日も水を汲んできてくれたの?」
「あぁ、旅で何が困るかっていったら水だからな。ちゃんと汲んできたぞ」
「もし良かったら、そのお水を半分くれないかな……。あと、さっき切った黒パンの表皮を僕にくれないかな? みんなも」
僕は確認の意を込めてみんなの顔を見渡す。
みんな驚愕の表情になっていた。
「おい! 大事な水を半分だと。それに黒パンの表皮を使うって、まさかまだ食いたりねぇのか。悪いがそこは我慢してくれ」
「ううん、僕じゃないよ。でも、どうしても食べさせてあげたいんだ。ダメかな?」
僕の視線の先に気付いたのか、ヨゼフは“あぁ”と納得した表情に切り替わった。
「そういうことか。俺の方が気遣いが足りてなかった。半分と言わず全部だ。飲ませてやれ」
「えっ! 全部飲ませてあげていいのっ!?」
「あぁ、俺の来た時と違って“こいつら”がいるからな。この森を抜けた平野を少し走れば村がある。今日はそこまで走るぞ。宿代と飯代を払って、そこで水と食料も恵んで貰おう。“こいつら”の分もな」
まさかの全部を使っていいとヨゼフは言った。でも、みんなの反応はどうかな。
「当然全部よ! これでも足りないぐらいだけど、その村でたっぷりと恵んで貰いましょう。ドーファンもそれでいいわよね?」
「もちろんですよ、イレーネ。道中ボクらは飲めなかったとしても、一日だけ我慢すればいいんですから。“彼ら”にその分頑張って貰いましょう」
「だな! もちろん黒パンの表皮も食べて貰おう! 水を含ませてな!」
みんなの反応も良好だ。良かった。
これでここにいる“全員”がちゃんと食べれる
「ありがとう、みんな! 早速準備しよう!」
僕達は袋に入れておいた黒パンの表皮を全て出し、ヨゼフの分も含めてその上に水を注いだ。
あれだけ固かった表皮も少しは柔らかくなって、多少は食べやすくなりそうだ。
それを黒雲、アル、アイリーンの前に均等な量にして地面に置いた。
「ごめんね、みんな。今日は満足な朝食じゃないけど、夕食は美味しいものを食べさせてあげるからね。今日もよろしくね」
黒雲達一斉に勢いよく食べ出した。
昨日あれだけ活躍したのに、この辺に生えていた雑草を少し食んでいた程度だった。申し訳ない。
水も飲み足りないぐらいだけど、これで何とか頑張って欲しい。
少し皮袋の水が余ってどうしようかと考えていたら、ヨゼフの方から“おい、カイ”という言葉と共に、何かが飛んできた。
「わぁ! ヨゼフ! 一体なにを……投げて……」
「それを使え。余った水を一頭ずつ飲ませてやれ。俺もそれ一つしかないからな。村に着いたらお前らの食器も買っておかなきゃな。もしくは作るか……」
それはヨゼフが普段使っているであろう食器だった。
ちょっとしたボウル形状の木で出来たお皿だ。
「ありがとう! 使わせて貰うねっ!」
皮袋に余っていた水をお皿に入れる。
全部は入りきらなかったので、あと二回ぐらいはお皿に水を入れられそうだ。
ちょうど三頭なので区切りが良さそうだ。
「みんな、お水もあるからね。ゆっくり食べてしっかりお水も飲んでね」
黒雲達は食べるだけでも表情が変わっていった。
水も飲めてホッと一息ついている。
僕は順々にお水をあげて、あっという間に皮袋の水は空っぽになった。
「アイリーン。ごめんなさい。気付いてあげれなくて。相棒として失格だわ」
「アルもごめんな。全く気付かなかった。気付いてくれてカイもありがとうな」
「ううん。たまたまだよ。僕も昨日のうちに気付けば良かったんだけど、自分のことで一杯一杯だった。だからハイクもイレーネもそんなに気負わないでね」
昨日は流石に自分のことで、この状況を受け入れることで一杯一杯だった。
黒雲達も気にするなとでも言うかのように、飼い主それぞれに近づいて顔をスリスリと寄せてくる。
……可愛い。
「よし、お前ら。出発するぞ。村まで行くとすれば少しばかり飛ばすぞ。言っておくが、ここら辺は魔物が出ないが森をある程度進むと魔物が出る。俺から離れずに来い。悪いがお前らの馬に、俺らも乗せて貰う。そうだな…、カイの馬に俺が乗る。カイはじゃじゃ馬娘の馬に一緒に乗せて貰え。ドーファンはハイクの馬にだ」
「ヨゼフ。黒雲は乗せてくれないわよ」
「ヨゼフ師匠。黒雲にカイ以外は乗れないんだ。振り落とされますよ」
「この”コクウン“って馬の気性が荒いってのか? …なぁに、心配いらねぇ。俺はこれでも多くの馬と出逢ってきた。観てろ」
ヨゼフは黒雲に近づいた。ヨゼフは黒雲のことをジッと見つめ、黒雲もヨゼフのことを見つめている。
僕はヨゼフに反論しなかった。ヨゼフを信じていたから。
「お前は俺のことが怖いか? コクウン。この旅の道中、俺のことを乗せてくれないかな。頼む無下な扱いはしない。お前のことは俺が必ず守る」
ヨゼフは黒雲の頭を撫でる。黒雲は目を閉じてヨゼフに撫でられることを受け入れた。
「さぁ、共に道中を楽しんでいこうぜ。“黒雲”」
勢いよくヨゼフは黒雲の背に乗った。
……普通、他の人が乗るとこの段階で黒雲は振り落とそうとする。
だけど黒雲は、ヨゼフが乗ることを嫌がることはしなかった。
「す、すげぇ! 流石ヨゼフ師匠だ! 黒雲が乗せてくれることを許すなんて」
「……本当にビックリね。カイ以外の誰も乗ることが出来ない子なのに。信じられないわ」
「そう? 僕はヨゼフが黒雲に乗れると信じていたよ」
きっとヨゼフなら黒雲も心を開くと信じていた。
ヨゼフは馬の仕草や鳴き声から、どんな心の状態かを把握していた。
そんなヨゼフのことを黒雲も信頼出来ると判断したんだろう。
なによりもヨゼフの心や想いの在り方を、黒雲は観ていたんだと思う。
この僅かな時間の中で。
「ありがとうな。さぁ、お前らもそれぞれ乗れ。俺の次にハイク、最後にじゃじゃ馬娘の順で縦並べ」
僕達はヨゼフの指示通りに行動する。
ハイクとドーファンが一緒に乗り、僕はイレーネが乗った後、アイリーンの背に乗る。
「よろしくね。イレーネ、アイリーン」
「えぇ、よろしくね。私達が一番後ろでカイが私の後ろに乗ってるんだから、背後の警戒は任せたわよ」
「うん、任せて。後ろから何か来たら、すぐにヨゼフに叫んで伝えるよ」
「そうね。カイは戦いには向いてないから誰かに頼るのがいいわね」
「…うっ! で、でも僕だって何とか役には立つよ! イレーネの信用をこれ以上失うわけにはいかないもんっ!」
「…………期待してないけど、期待しておくわ」
イレーネはやっぱりイレーネだった。
その言葉はとてもイレーネらしい言葉だった。少し安心した。
…けど、それは強がっているからこそ出る、彼女の想いが込められた言葉のように思えてしまった。
辛いことが沢山あった。ありすぎた。
僕達は沢山傷ついた。傷ついてしまった。
だけど、新しい出逢いが、僕達の気持ちをこうして現実に想いを向けさせてくれている。
…ヨゼフ、ドーファン。
彼らとの出逢いは僕のこれからの人生という旅路に、大きな意味をもたらしてくれそうな気がする。
ギルド長と副ギルド長にも早く会ってみたい。どんな人なのか気になってしょうがない。
もしかしたら、本当に彼らがあの英雄達だったなら、僕はこの世界に転生出来たことを本当に嬉しく想う。
本当にあの英雄達と知った時に、僕は嬉しさを隠しきれないだろうな。
「…さぁ、出発だッ!」
ヨゼフが威勢のいい声を発して、旅の始まりを告げた。
鬱蒼とした森の中で唯一開けたこの場所にあって、朝陽がその出発を祝福するかのように、沢山の日差しが注がれる中を僕達は歩み始めた。




