夢から目が覚めて
ユサユサッ、ユサユサッ
身体を揺さぶられて、ふと目が覚めてしまった。
「うっ、うぅぅん...」
「ブブブブ、ブブブブ……」
「うん? ”黒雲“?」
僕を起こしたのはどうやら黒雲だったようだ。
少し朝陽が昇り始めて、薄暗い朝の時間のようだ。
…何で起こしたんだろう?
「おい、カイ。大丈夫か?」
「うっ、うぅぅん? あ、ヨゼフか。おはよう」
「その様子じゃあ大丈夫そうだな。……お前の馬が随分と心配そうに、お前の事を見ていたぞ」
「そうだったんだ。心配をかけてごめんね。黒雲」
僕は黒雲にお礼を言いながら、黒雲の頭を撫でる。
黒雲はつぶらな瞳を閉じて、頭を撫でられるのが嬉しそうな表情をしていた。
頭を撫でられるのは、人もどの動物も好きなのは変わらないようだ。
前世で家に飼っていた猫も、頭や喉を撫でてあげると本当に幸せそうに目を閉じながら、なされるがままに撫でてって感じだった。
やっぱり可愛いなぁ……
「いい馬だな」
「えっ?」
突然ヨゼフは黒雲のことを褒め始めた。
「さっきの鳴き声は、母馬が仔馬に向けて声をかける時に鳴く声だ。つまり、その黒雲ってのはお前のことを心底親のような心で、カイのことを想ってくれているんだ。それだけ信頼している証だ」
たしかにそうだ。さっきのは母馬が仔馬に対して鳴く声だった。
低い声で安心感を与えるために鳴く優しい声。
子供のことを心配して、大丈夫なのかと呼びかけているかのような親の声。
馬の鳴き声は色んな声で鳴く。人と同じように沢山の感情を抱いている。
黒雲にとって僕は仔馬的ポジションってことなのかな?
…にしても黒雲の感情を瞬時に理解し、馬の鳴き声の種類を把握していたヨゼフは凄い。
多くの馬を観てきたんだろうな。
そんなヨゼフに黒雲のことを褒められる事は、自分のことのように嬉しい。
「うん。黒雲が想ってくれているように、僕も黒雲のことを想っているからね。ねぇ、黒雲?」
僕は黒雲の頭を撫でながら、黒雲の顔を見て語りかける。
黒雲も僕の顔に自分の顔を寄せてきて、スリスリと頬擦りをしてくる。
僕もお返しばかりに、次は黒雲の喉をスリスリと撫でる。
「はははっ、言いやがるな。だが、それがいい。それでいいんだ。それを人前で言われる程、馬にとって名誉な事はない。その関係をこれからも築き続けろ」
ヨゼフは笑いながらも格言をくれた。
…そうだよね。この互いを想い合う関係をこれからも続けて、黒雲との絆をもっと深めていきたい。
これからの長い旅を通じて、みんなの事も…もっともっと知っていきたいな。
「にしても、俺も心配したんだぞ。お前が酷くうなされていたからな。起こそうかと思ったら、お前の馬が起こしたんだ」
ヨゼフも僕のことを心配して、ちょっと早めにだが起こそうとしていたようだ。
黒雲に先を越されてしまったらしい。
周りを見渡すと、まだみんなは寝ていた。
焚き火は消えていたけど…まだほんのりと暖かさが残っていた。
「心配かけてごめんね。たまに変な夢を見てうなされることがあるんだ」
またあの夢だった。
もう何度となく繰り返された、あの夢。
自分の記憶と感情が一切反映されない誰かの想い。
だけど、今までと違うことを呟いていた。
……違和感を覚えた。何か別の感情も含まれていた事だ。
なぜ今までと見ていた夢と違う夢になってしまったのか。
僕の心の変化がもたらしたとでも言うのだろうか……
「夢? それは悪夢なのか?」
「うーん、どちらかと言うと自分が見ている夢じゃない感覚で、誰かに呼びかけられているような、不思議な感覚なんだ」
「………まるで預言者だな」
「…はい? 預言者?」
「あぁ、俺の国にいた神の声を聞くことが出来る、神の言葉を伝える人間のことだ。神の言葉を預かりし者。奴らは時代の節目に必ず現れる。それは国にも、王にも重要な言葉をもたらす。ゆえに預言者の言葉は絶対だった」
「いや、僕は預言者なんかじゃない。それに…その夢の内容がちぐはぐというか、色々と混ざって違和感がありありで、まともな夢じゃないってだけ」
「預言者の中には、やってる行動が奇怪に目に映る者もいた。だから、別に俺は夢の内容がちぐはぐだからって、お前が預言者じゃないって決めつけるのは良くないと思うぞ?」
「ヨゼフが僕を預言者って決めつけるほうが、よっぽど良くないよ!」
ヨゼフはなぜそこまで預言者に拘るのだろうか?
…不思議でならない。
「はっはっは。たしかにな。悪りぃ、悪りぃ。いやぁ…俺にとってはその方が嬉しいなぁって…思ってな」
「嬉しい?」
「あぁ、お前が預言者で俺の歩むべき道を指し示してくれたら、俺がそこに向けてただ突っ走っていけばいいだろう? そうすれば、俺は自分の役目がわかってスッキリするからな」
「………ヨゼフ。それは違うと思う」
「そうか? んじゃカイはどう思うんだ?」
多分、ヨゼフの中では預言者の存在が間近な時代だった。
だからそれが自然な事。預言者の言葉を聞くのが当然だと考えている。
でも、僕は預言者の言葉なんてない時代に育った。
…だから、これだけは伝えたい。
「…ヨゼフ。今を生きる人間は、自分でその歩むべき道を決めるべきだと思う。自分で歩むべき道を決める権利があるんだ。だからこそ…他人に決められた道を辿るんじゃなくて、自分の生きたいと思った道を突っ走ればいいんじゃないかな?」
僕はニコッと微笑みながら首を傾げて質問をする。
「……なるほどな。それもそうだな。カイはそういう環境で育ったのか。……いい“想い”だな。俺の想いにも刻んでおこう。それが、預言者のない国の考え方か…よくわかった」
しんみりとした様子ながらも、意味をじっくりと噛み締めるようにヨゼフは頷いた。
……この人は凄いと思う。
自分が信じてきたものこそが正しいと、己の考え方を通す事も出来たはずだ。
なのに他者の在り方をすぐに理解を示せる寛容さに溢れている。
ドーファンの時もそうだった。すぐに彼の考えに理解を示し、そして謝った。
もっとこの人の事を知りたいと思えた。
何か聞ける事はないかな。
…そうだ。みんなが起きていない今のうちに、ヨゼフに聞きたいことを聞いておかなきゃ。
「ヨゼフ。聞きたいことがあるんだけど、ヨゼフは僕の師匠と会った事があるんでしょ?」
「……まぁな。本当は隠しておきたかったけど、あの野郎がカイに魔法の正しい使い方を教えてないとわかった時に、つい言葉にしてバレちまったな」
「うん。会ったことがあるような言い回しだったからバレちまったね。その時に僕の事を何か言ってた?」
「あぁ、カイのことをよろしく頼むって言ってたぞ。でも、お前よくあんな奴のとこで修行なんて出来たな」
「ふぇ?」
どういう意味だろう? 修行の様子が厳しいとかそんなことかな?
「あんな得体の知れない奴のもとで、よく修行する気になったなって意味だ。俺は正直あいつにはゾッとした」
「ヨゼフがゾッとするなんてよっぽどだね。あんな凄い槍技を持ってるのに。師匠の方が強そうだった?」
「俺が言っているのは、得体の知れない奴のもとでよく修行する気になれたなってことだ。……あんな奴に教わることを考えるとゾッとする」
「あいつはな…突然現れたんだ。この場所に」
「…はい?」
言っている意味がわからなかった。どういうこと。
「だから、突然俺の後ろに現れたんだ。生きた心地がしなかったぞ。俺が誰かに背後を取られるなんて、そんな事あり得ないことだからな。俺は槍を持っていたから、咄嗟に後ろに槍を振るった。避けられる可能性があるなら、広めの範囲に振るったほうがいいからな」
「だけど奴はそこにいなかった。後ろに槍を振るった俺の背後は、俺の槍の余波で木々が薙ぎ倒されていた。この焚き火場所だ。元はここにも木々が生えていたんだ」
「見通しの良くなった森の中にも、奴の姿はなかった。その時、再び俺の背後から声が聞こえた。“やめよ”、と」
「俺は魔法に詳しくないからわからないが、あんな魔法は聞いたことはないぞ。そもそも魔法なのかもわからねぇがな。あれは卑怯にも程があるぞ。あんなの出来んなら敵なしだぞ」
「俺は大人しく後ろを振り向いた。そしたら、全身フードを被った怪しさ満点の奴がいた。俺は警戒心をそれでも緩めなかった。緩めるべき相手じゃない奴がそこにいたからだ」
「そしたらそいつは、“ほう、恐怖よりも警戒心が勝るか。素晴らしい。良き戦士だ”って言いやがった。ますます俺は警戒を解くべき相手じゃないって思ったね」
「それからそいつは、カイとの関係性を詳しく話したり、今後の予定を話したり、お前のことをよろしく頼むって言った後消えていった。会話もあいつが話す一方だったけど、消えるのも一方的なタイミングだった。丁寧に薙ぎ倒された木々とその根っこを、根こそぎ消滅させてな。あれも何の魔法なのかはわかんなかった」
聞いてもやはり異次元な話しだった。
師匠はよくわからない事をしでかしていたし、ヨゼフもどんなの槍を振るえばこれだけの広さの木々を薙ぎ倒せるのか理解出来なかった。
二人だけ別世界のレベルの人間だ。
まぁ、僕も文字通り別世界の人間だけど。
……ヨゼフのことも、僕の世界にいた“あの英雄”じゃないかと疑っている。確証はないけど。
“あの英雄”は文献が皆無に等しい。
彼の出てくる記述なんて、ほんのごく僅か。
その人間離れした所業に比べて。
彼の主やその子供に注目しがちだが、彼やその仲間たちの活躍なくしてその歴史は刻まれなかった。
だから僕はあの本を読んだ時に胸が躍った。
彼らの活躍はその本の一部分の書の記述だけど、英雄譚好きな僕にはド直球な好みの物語だった。
その本は全部の書を合わせるとボリュームが凄くて、読み通すのにとんでもなく時間がかかった。
だけど、もしヨゼフがあの英雄なら、決定的な記述がある。それを証明される日が来ないことを願わないばかりだけど………。
ヨゼフは少し言いづらそうに、頭を掻き目を逸らしながら話題を変えながらも、たどたどしく話し始めた。
「…だからな、カイ。俺はあんな奴の修行にまじめに取り組んで、真摯に向き合っていたお前を高く評価している。俺はここからずっと観ていた。お前の事をな」
「お前は何度も地面に伏しても、何度も立ち上がり、何度もあいつに立ち向かった。これは普通の奴が出来るもんじゃない。あいつに立ち向かう度胸ってのは並大抵の者じゃ無理だ」
「俺は、そういうお前の姿を見ていて、“こいつならこの国の役にも立つし、この国でもこんだけの根性があれば大方のことはこなしていける”って判断した」
「……まぁ、なんだ。はっきり言うとよ、俺は場合によっちゃあお前を殺さなきゃいけなかったんだ………お前が真面目ないい奴で良かったぜ! 俺も子供を殺すのは流石に気が引けてたからよっ! いやぁ〜、本当に良かった。結果オーライってやつだな!」
そう言い切ったヨゼフは、先程の言いづらそうな雰囲気とは裏腹に親指をグッと立てながら、いい笑顔でいい話し風に話しを締めくくろうとしてきた。
……でも、これだけは言いたい。
「えッ!! 僕って殺されるところだったのッ!?」




