ヨゼフの髭もじゃの意味
「も、もう血抜きの処理まで終わったんですか。お早いですね、ヨゼフさん」
「お前らが余計なことまで話していたからだろ。……まぁ、余計な事と言っても、それは決して無駄ではなかったみたいだな」
どうやら僕達の会話を空耳を立てて聞いていたらしい。
「おい、“ハイク”。お前の言葉、良かったぞ」
「…ヨゼフ師匠ッ!? いま俺のことを……名前で」
「あぁ、お前の理は俺も共感した。俺もそう“想う”。だから俺は、お前のことを名前で呼ぶ」
「おい、カイ! やったぞッ! 俺は認められたんだッ!!」
「よかったね! ハイク」
ハイクがヨゼフに認められて自分のことのように嬉しい!
「あと残りは“じゃじゃ馬娘”だな」
「べ、別に私は、ヨゼフのおじさんに認めて貰わなくても構わないもんっ!」
「わっはっはっは! それでこそ“じゃじゃ馬娘”だな。あと、俺から“じゃじゃ馬娘”に要望というか…お願いがあるんだが……」
「な、何よ、お願いって?」
…ゴクリ……ヨゼフがわざわざ改まってイレーネにお願いをするんだ。きっと凄いことをお願いするに違いないっ!
みんなが固唾を飲んでヨゼフを見守る中、ヨゼフはその重い唇を開き始めた。
「…お、俺のことを…“おじさん”って言うの、やめて欲しいんだが……」
………えっ!? そんなことっ!?
予想外のことに驚きつつも、その“髭もじゃ”な見た目とお願いしている内容のギャップの差が激しくて、みんなも下を向いて笑いを堪えていた。
でも、誰かが“ぷっ…ふふっ”なんて声が聞こえてくると、みんな堰を切ったように少しずつ笑い声が大きくなっていく。
も、もうダメ…堪えられないっ!
「「「「ぷっ、ふふっ……わっはっはっはっはっは!!!」」」」
自然と大きな高笑いになり、みんなもとても楽しそうに笑ってた。
一人だけ笑わずブーブーと文句を垂れていたけど。
「おいっ! そんな笑うことじゃねーだろっ! 俺は大してお前らと年は変わんねーんだぞ! 俺は多分…まだ二十代前半だっ!!!」
「わっはっは………はぁ?」
……え…嘘でしょ。その見た目で二十代前半なのッ!?
衝撃的な事実に僕達は思わず笑うことも忘れて沈黙してしまった。
そんな中イレーネがヨゼフに近づいた。何を言うつもりなんだろう…
「ヨゼフさん」
「な、なんだよ」
「…苦労したのね……私でよければ話しを聞いてあげるわ」
「慰めんなっ!! それに苦労してこんな見た目してんじゃねーよ! 王都の子供共といい、お前らといい…どうして俺が“おっさん”だの“おじさん”って言われなきゃいけねぇんだっ! いいか、それと“さん”付けも出来たらやめてくれ! 後ろのお前らもだぞ! あと無理にとは言わねぇが、言葉も崩して話してくれたほうが俺も気が楽になるっ!」
本人は結構悩んでいたんだね。
わざわざ言葉でストレートに言うほど気にしていたんだ。
僕は本人の意思を尊重したい。
「わかった。”ヨゼフ“。僕もそう呼ばせて貰うよ」
「私もわかったわ。”ヨゼフ“。私もこっちの呼び方のほうが気が楽だわ」
「俺は尊敬の想いが強いから、“ヨゼフ師匠”って呼ばせて貰います。師匠たる方には言葉は崩せません」
「ボ、ボクは”ヨゼフさん“って呼ばせて貰います。言葉も崩せません。さっきみたいにテンション上がってたら別ですけど……。すみません。普段はこんな感じなので」
「よし、それでいい。ハイクもドーファンも、別にそこまで重く捉えなくていいからな。お前達の性格もある。それに、もしも小さな頃から、そういう環境で育ってきたならしょうがねぇだろうな」
ヨゼフは二人のことを見ながら、意味深なセリフを言った。
「…ッ!………」
ドーファンは言われた直後に、口元が焦ったような感じで何かを言おうとして口を開いたが、すぐにその口は閉じられ、そこからは何も言葉が出てくる事はなかった。
…ヨゼフもさっきのあのドーファンのお辞儀を観たんだ。
そして、そこからドーファンの出自を推測したんだろうな。
ヨゼフは仕事柄、そういう人達とも逢ったことがあるんだろうね。
「……まぁ、いい」
それだけ呟くと今度は僕とイレーネの方を見た後、続いて全員を見渡してヨゼフは語りだした。
「おい、お前ら。お前らは多分この髭を見て、俺がもっと老けて見えていたんだろう? だがな、髭っていうのはそういう役目もあるんだ。覚えとけ」
「そういう役目って何よ、ヨゼフ?」
イレーネは質問する。
僕にはヨゼフの言いたいことがわかった。
「髭っていうのはな、そいつの見た目に“威厳”とか“信頼”を高めてくれる、それはそれはありがたいものなんだッ! 老けて見えるってことは、それだけ経験を積んだ者のように一種のごまかしにも一役買ってくれる。これほど簡単に効果的な最高の装いは他にないんだぜッ!」
そうだよね! やっぱり髭の効果は凄いと思う。歴史もそれを証明している。
皆さんよくご存知のアメリカの第十六代大統領リンカーンも、立派な髭がよく似合うダンディな印象がある。
大統領選挙前に髭を生やしたことも選挙に一役買った。
リンカーンは十一歳の少女からの手紙で、“髭を生やした方がダンディでハンサムに見えるよ!” という手紙を貰った。
リンカーンはこの手紙を読んで選挙前の大事な期間に髭を生やしたら、国民の支持を得られないって髭を生やさなかったけど、“髭を生やしていないあなたの顔は怖いからみんな投票しないよ”という二通目の手紙を少女から貰い髭を生やした。
髭を生やしていない写真を見た事あるけど、確かに怖い印象があった。
その写真を見た後に髭を生やした写真を見ると、頼りがいのある印象があるから不思議だった。
子供って正直だよね。少女の提案が功を奏したのかリンカーンは見事、大統領に当選した。
そして、リンカーンは当選した後にわざわざ少女にお礼を言いに行った。
リンカーンの誠実さと他の人の意見を取り入れる謙遜さは素晴らしい。
リンカーンの逸話からリンカーンの髭顔を思い返してみると、やっぱり髭の似合う顔に憧れるな〜。
豊臣秀吉みたいに髭が生えないのを悩むようになったりしないか、既に不安である。
そもそも生えたとしても、僕のこの顔に似合うのか? どっちかというと女の子顔の僕に……
「ふーん…たしかに言われてみたら、そんな気もするわね」
「だろっ!」
「だけど、女の子の場合はどうすればいいの? 髭なんて生やしてないわよ」
「……女の子はどうすればいいんだろうな? 俺にもわかんねぇな。“じゃじゃ馬娘”の場合は、もう少し“おしとやか”とか“清楚”って言葉が似合うような、上品な振る舞いをすればいいんじゃねぇか? 今のお前は、馬に乗って“暴れる”って言葉が似合う“じゃじゃ馬娘”って印象だ」
「…なっ!? し、失礼ねっ! いまの私だって、ちょっとは“可憐”とか“いたいけ“とか、そんな言葉が似合う少女よっ!」
「わっはっはっは! そうだな。ちょっとは可愛げがあるし、お前の顔立ちは綺麗だ。将来は美人になるだろうな。今のうちに、そういう仕草を身につけておけって言いたかっただけだ」
ヨゼフは妹の頭を撫でるように、イレーネの頭の上に手を置くとポンポンっと頭を撫でる。
ピクっと一瞬肩を震わせたけど、イレーネは凄く照れてしまったようで顔を赤らめている。
でも、悪い気はしていないみたいだ。ヨゼフの手を振り払おうとはしない。
それは何かを想い出しているような表情だった。懐かしい何気ない瞬間を想い起こしているような……。
少し儚さも入り混じった表情だった。
……多分、ヨゼフは直感で感じとったんだろうな。僕達の中で、一番無理をしていたのがイレーネだって……。
僕はわかってた。ハイクもわかってたはずだ。でも、すぐに何かをしてあげたくても出来なかった。
…いや、嘘だ。僕にはそんな資格がないと思ってしまうと、何も出来なかった……
「……あまり無理はしないで頑張れよ。よし、お前ら。さっさと座れ。飯を食うぞ」




