フーシェ 三
あれから一週間が経った。
先日、教師から俺に連絡があり今日にでも帝国の上層部が来て、アイツらの処罰を行って頂けるとのことだ。
…ようやく、ようやくだ。俺が座学で一位になり…父に喜んで頂ける日も…父に褒められる日も、あともう少しだ!
俺はアイツらを尾行していた時に、いつも不愉快なことがあった。
それは、アイツらはいつも出来て当たり前の事をやって、親に褒められていた。
除草が出来て褒めて貰える? ……馬鹿にするんじゃねぇ。そんなこと誰でも出来るだろうが。
何でアイツらだけはそんなことで褒められるんだ。俺は一度も親に褒められたことがないのに……
俺は朝から教師の部屋で待機だ。そうしておくようにと帝国の上層部から命令があったらしい。
…特別扱いというのも悪くない。どんな褒美がこの先に待っているかも楽しみだ。
教室で朝の挨拶が終わったらしい。教師が戻って来たが”グハハハッ、グワッハッハッハッハッ!!!” なんて今までこの人から聞いたことがないくらいの笑い声を上げながら、席に着いた。
この教師もよっぽどアイツらに思うところがあったらしい。もちろん俺もだが。
「俺は今夜、自分への祝い酒を飲む予定があるんだが、お前にも褒美に少しは飲ましてやってもいいぞ。その歳じゃあ飲んだことなんてないだろう。どうだ?」
そんなことを唐突に言ってきたが、この人は何を言っているんだ?
馬鹿じゃないのか。今日の夜は事後処理やら、帝国の上層部に不足がないように、色々と手配していた食事を提供したりなど……。
まさか、コイツ……何も準備していないのか? 嘘だろ…。コイツは自分が村の教師で、下位の立場であることを分かっていないのか。
色々と事前に情報を街の役人に聞いておいて、帝国の上層部がどのぐらいの人数が来るか把握して、それよりも多い数が来てもいいように、多めに食事などの準備を整えておく時間は十分にあった。
……もしかして、これは不味い展開じゃないか。
「いえ、結構です。それよりも今日が決行日なんですよね?」
心配になって思わず聞いてしまった。事前に来ることが分かっているのに、何の準備もないまま出迎えるなんてないよな。
不届きのないことを心配して念のため先日も決行日の確認をしたが、この人はその意図にすら気づかなかったのか…。
「あぁ、何度も言ったが今日来るのは間違いねぇ。だからお前は今日ここで待機だ。分かったな」
……これは父が嫌うわけだ。こんなに頭の悪い人が教師だとは。
信じられない。もしかして、俺のこの報告をした決断は間違っていなかったのではないだろうか。
妙な胸騒ぎを感じながら、帝国の上層部が来ることを待った。
──※──※──※──
しばらく時が過ぎ去ることを待っていた。
俺はコイツのようにこんな時に寝れるような、図太い神経は持ち合わせていなかった。
不安が募りに募り、このままここで待っているだけで本当にいいのかという気持ちが、時間に比例して増すばかりだ。
そんな時だった。訓練場から声が聞こえてくる。何だろう?声の様子が気になり、窓に近づく。
何だあれはッ!? 何であんな所で狼煙が上がるんだッ!!
事が起きるとしたらこの学校の敷地内で、奴らが処罰される時だろうにッ!!
……これは不味い。絶対に何かがおかしい。
何かこちら側に知らされていない、帝国の上層部の考えがあったんじゃないか?
この村の農奴が立場の上の者に対して、不敬を働くことは考えられない。
今、目の前で無神経にも寝ているだけの、コイツにも敬意を払っているからだ。
礼儀をよく知る者の集まりだ。……ならば、これは間違いなく異常事態だ!
今すぐコイツを起こさなければッ!!
ユサユサッ、ユサユサッ
必死に起こそうとした。その甲斐あって、何とかコイツは起きてくれた。
「おい、何で起こしやがるッ!? せっかく人が気持ちよく寝てたってのにッ!!」
こんな時に何を言ってやがる。寝言は寝て言ってろ!
「起きてくださいッ! 村の北で狼煙が上がっていますッ! こんな事が起きるなんて聞いていませんッ! 予想外の事態が起こっているかもしれませんッ!!」
俺は叫ぶ。こんな奴でもここまで言えばわかってくれるだろう。
「おい、そんなに騒ぐことでもねぇだろう。まだ軍も到着してねぇんだ。お前は、お偉方軍がここの敷地内に着いたのが見えたら、俺を起こしてくれりゃあいいんだ」
そう言ってコイツはまた寝ようとする……ふざけんなッ!!
「異常事態ですッ! よく耳を傾けて外の音を聞いてくださいッ!!」
俺の言った言葉に反応したのか、コイツは耳に人差し指を突っ込んで、耳の中の垢を取ってから耳を澄ましていた。気持ち悪い……
「きっとお偉方の気に障るようなことをした奴がいるんだろう。気にすんな、座っとけ」
正気か? どうしたらそんな発想が湧いてくるんだッ!?
「しかし…」
俺はコイツに動いて貰えるように、どうすればいいか考える。何かきっかけがあれば……
『みんなぁぁぁぁぁ、逃げろぉぉぉぉぉッ!! 逃げてくれぇぇぇぇぇッ!!』
…ッ! この声はアリステア先生ッ!! ……何だこの絶叫とも言える嘆きの声は。
しかも聞こえてきたのが狼煙の上がっている北側からだ。間違いない。これは非常に不味い事態だろう。
クソッ、こんな奴に従わなきゃいけないこの状況がもどかしい!
何かしなければ……そう考えて外の変化に注目していると、カイ達だけが放牧地に残って、何かしていることに気が付いた。
馬を整列させてる……何を考えている。こんな緊急事態だぞ。一刻も早くここから普通なら逃げるだろうに…
早く? …“速く”……
しまったッ!! アイツの狙いは……
気付いた時には遅かった。カイは馬を牧草地から放っていた。
「あの野郎ッ!! 何考えてやがるッ!?」
隣の馬鹿が叫んでいるが、このままでは本当に不味い。
このままこの場に残って、何もしないままでいたら、恐らく俺達は罪に問われる…。
なぜ何もせずに逃してしまったのかと。
馬はその次にいたイレーネのところまで走り、学校の門のところにいたハイクのところまで走ると、左右に数頭ずつ走らせて、残りの馬で真っ直ぐ逃げて行った。
…ヤバい!! 早く追いかけないとッ!!!
「あぁッ!! 逃げられてしまいます! 一刻も早く追わないと、我々の命も危ないかもしれませんよッ!?」
俺は叫ぶ。俺は馬鹿な教師の袖を掴んで頼みこんだ。
お前が動かなくていいから、俺に動くように命令してくれ。
そうすれば、まだ俺だけは助かるかもしれない……。
だが、掴んでいた方の腕を振るわれて、俺は思いっきり床に飛ばされてしまう。
「うるせぇッ! 大丈夫に決まってんだろうがッ!! お偉方の軍が何とかしてくれるに決まっている。それに俺らは待てって指示も貰ってっから、何もしなくても平気なんだよ!!!」
……コイツとは、これ以上関わってはいけない気がする。今すぐ逃げなくては。
コンコンッ、コンコンッ
ノックの音が聞こえてきた。終わった…全てが終わった。
恐らく俺も罪に問われるだろう。もう、諦めるしかない。
馬鹿な教師は、これから何が待ち受けているかも考えもせずに、喜んだ表情を隠しきれないまま戸を開けた。
「お前がこの村の教師で、此度の騒動の報告者で間違いないか?」
「はいっ! そうでございます!」
馬鹿は勢いよく犬のように吠えた。目の前の偉い士官はコイツの飛んだ唾を拭いながら、睨みつけているじゃないか。印象は最悪だ……
「では、お前の後ろにいる子供が此度の騒動の発端を見て報告をした、真の報告者で間違いないか?」
うん……? コイツよりも俺の方が優先度が高い?
「お言葉失礼致します。私がこの者からの密告を受け、それを重大な事態だと踏まえて、急いで陛下に伝えるべきだと冷静に判断し、集落の兵士の一人に密告書を渡し早馬を走らせました。そういう意味では私が真の報告者です」
士官の表情が曇る。コイツに真意を正そうとしたら、馬鹿なコイツはとんでもない勘違いをして報告をした。
正確に話せよ。
「……そうか、確かに重大な事態だったし、さらに重大な事態になったな。では、お前の役目はここまでだ。この能なしを訓練場に連れ出せッ! 後ろの子供は手出し無用だッ! この子供も一緒に訓練場に丁重に連れていけッ!!」
一番偉い士官がそう叫ぶと、後ろに控えていた二人の士官に馬鹿は捕らえられた。
あぁ…俺は大丈夫なようだ。本当に良かった。罪に問われ命を失うことも考えていたからだ。
上層部の士官がいるのに、思わず張りつめていた肩の力が抜けてしまった。
「士官様ッ!? 何か勘違いをしておられるかと! 私は陛下の忠実な臣下です! この村の子供達に陛下の偉大なる教育を施して参りましたっ!! 今回の報告も私の手柄です! なぜ私が捕われるのですかッ!?」
「お前は自分の罪を自覚していないのか? これだから集落の教師止まりの能なしは……。まぁ、よい。後でじっくりとお前の罪を教えてやる。おい、こいつを早く連れて行けッ!」
コイツの馬鹿さ加減には本当についていけないと思った。




