“泡沫(うたかた)の夢は幻のように”
母さんが死んだ時みたいに喚き泣くのではなく、冷静な気持ちでいられた。
「あ…ぁ、父さん」
再び父さんの身体に顔を沈めて静かに泣く。
「父……さん」
死を…間近で見過ぎてしまったのだろうか……
「今まで…本当に……ありがとうございました」
父さんの遺体を川辺で横にならせて、両手をお腹の上に乗せてお腹の傷を見えないようにした。
ごめんね……今は、これぐらいしか出来ない親不孝な息子で。
敵の持っていた槍を捨てた。父さんの持っていた使いやすそうな槍を手に抱えながら、黒雲に近づく。
「ごめんね、黒雲。お前のことも傷つけてしまった……少しだけなら回復魔法を使えそうだよ。」
「癒しの精霊よ。我が願いを聞き届け、我が愛する者を癒したまえ『治癒』」
成功するか不安だったけど、魔法は使えた。
黒雲の傷はみるみる内に塞がっていく。黒雲は僕にお礼を言うかのように、僕の顔を舐めてくれた。
いや、慰めてくれているのか……
「ありがとう、黒雲。さぁ、行こうか」
僕は傷がついて乗り心地が悪くなった鞍に乗って、僕は黒雲と共に歩き出した。
川に入り黒雲の足が川の中に沈み、ついで身体、首元まで浸かると僕の腰から下も川に沈んだ。
この時期だからか川の水が心地よく…まるで僕のことを癒してくれているようにも感じた。
川の真ん中より手前でイレーネは愛馬アイリーンと共に待っていた。
イレーネは後ろを振り向いて僕のことを見ていた。
その顔は川の水で濡れているのか…もしくは涙で濡れているのわからなかった。
イレーネのすぐ横にまで近づく。
「ごめん、待たせたね」
……ぎゅッ…!!!
イレーネは何も言わずに僕を抱き締めてくれた。
……慰めて…くれているんだろうな…。
僕の後頭部にその柔らかい手を回して…非力な力で精一杯に撫でてくれた。
「…カイ…無理しないでね……泣きたい時は……泣いていいのよ」
僕もイレーネの後頭部に右手を軽く添えた。
「……ありがとう…でも、もう流したい涙は…全部流れちゃったみたい……はははっ、喉もカラカラだよ…」
こんな時でも、冗談ぐらい言えるよ。乾いた笑みだって浮かべられるんだ。
イレーネの啜り泣いている声が、すぐ横で聞こえる。
優しい子だ。人の親の死をここまで感情移入して泣いてくれるなんて…本当にありがとう。
「さぁ、そろそろ行こっか。いつまでもここにいたら、ハイクも待ちぼうけだよ」
「っ……………」
イレーネは言葉を発しないまま、僕を抱き締めてくれた腕を解いてくれた。
僕はイレーネを追い越して、川の真ん中で待つハイクのところまで歩みを進める。
「ごめん、ハイクも待ってくれてありがとう」
ハイクは顔を俯きながら左手を僕の左肩に置いた。
「カイ、お前の父ちゃんは勇敢だった……俺は…あんな人になりたい………」
普段ハイクは泣くことはない。だけど、カイの頬には一筋の涙の線がくっきりと見えていた。
僕もハイクの左肩に左手を置いて応える。
「ありがとう……僕も父さんのように勇敢になりたい。実はね…父さんのようにハイクとイレーネのことを守るって、さっき父さんと約束したんだ。……だから僕は、ハイクにも負けないぐらいに強くなってみせるよ。どっちが強くなれるか競争だよ」
「そうだな……」
「さぁ、先に進もう。敵が来ちゃうから。僕は父さんの槍を勝手に貰っちゃったけど、これで先頭に立てるよ。弓で援護を頼んだよ」
「………………」
ハイクも言葉を返してくれなかった。僕はハイクも追い越して先に歩みを進めた。
もうすぐ対岸に辿り着く。
ふと国境の橋を見たが、こちら側の国の兵士は小麦畑が燃えている様子に気を取られているみたいだ。
国境の橋に人が押しかけて、その様子を見ている。
良かった。これならバレずに辿り着けそうだ。
僕達は無事に対岸に辿り着いた。
この地に踏みだした一歩は、とても大きかった。
つまり、国境を跨ぎ…帝国の支配から解放された。
「ハイク、イレーネ、大丈夫そうだ。周りに人はいなさそうだよ。さぁ、上がってきて」
僕は後ろにいる二人に、手でこちらに来るように招く仕草をしながら語りかける。
ハイクもイレーネも無事に、この地に辿り着く。
……つい、ハイクとイレーネの後ろにある光景を見てしまった。
大地が燃えている。あぁ、本当に悪いことをしてしまった。
あんなに燃え広がっては、あの一帯の小麦は全滅だ。
でも、父さん達が育ててきた物を奪い取られたくはなかった。
燃えたぎる炎が、次第に僕の家の方にも迫ってきた
風に乗って飛び火した火が屋根を覆い、次第に家全体を侵食していく
僕と父さんと母さんで…寝苦しい夜も三人で並んで寝ていた寝室
小さくて狭くて…床がギコギコ鳴ってしまうぐらいのボロい廊下
小さい頃から宝物を隠しておいた…床すら張られていない物置部屋
楽しいと嬉しいと懐かしいが一杯に詰まったあの家が…徐々に燃えていき……次第に全てを火で燃やされていく
………色々な思い出が蘇ってくる。
ハイクとイレーネといつも待ち合わせをしていた大きな木と通学路
師匠と出会ったあの川辺と修行の日々
こっそり隠れてハイクと特訓した秘密基地のある森
父さんと一緒に苦労して耕して…僕が頑張るたびに褒めてくれた畑の思い出
母さんと一緒に毎朝並んで洗い物をしたり…家事の手伝いをした台所
……そして、皆んなで笑いながら毎日一緒に過ごした食卓。
「……父さん……母さん」
枯れたはずの涙が頬を伝う。
あれだけ泣いたはずなのに
頭では悲しんじゃいけないって理解していたはずなのに
僕はハイクとイレーネを守らなきゃいけないって決めて、悲しい顔を見せちゃいけないって決めたはずなのに
…そう決めたはずなのに、決意していたはずなのに……涙がとめどなく流れてきた。
「あ……ぁぁ……」
僕は何も考えられずに、ただ、その焼き尽くされていく光景を眺めていた。
その時、僕は自分のいる場所の近くに
少しばかり咲く時期が早すぎた、季節外れの紫苑の花が咲いているのを見つけた。
僕はふらふらになりながら、その花の近くまで近寄る。
足を屈め、もう力も入っていない、覚束ない手で、大事に二輪の紫苑の花を摘み取った。
重い腰を上げて何かに吸い込まれるように、川の方に向かって歩き出す。
「おいッ! どこに行くッ! そっちには行くなッッ!!」
誰かが何かを言っている声はしているけど、僕の耳には届いているようで、届いていなかった。
再び、どうしようもない足取りをしながら、最後は何かにつまづいたのか、布団に入りこむかのように川に向かって倒れこんだ。
さっき摘み取ったばかりの二輪の花を、そっと川の水面に載せる。
二輪の花はゆらゆらと元の場所に帰るかのように、ゆっくりと…ゆっくりと流されていく。
「さよなら……父さん…母さん…二人のことは……絶対に忘れないよ。……僕の大好きな父さん、母さん。………愛してるよ……」
そう呟いた後、紅く燃え上がる大地と夕闇が広がる空がどこまでも広がる世界で……
「うああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」
決して届けたくても届かない…声にならない嘆きの叫びが響き渡った。
……終わりからの始まりが…この世界に歴史を紡ぎだす産声が…慟哭として響き渡る。
第一章 カイ視点は終了です。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
泡沫夢幻
人生のはかなさを意味する言葉
私はこのタイトルに“当たり前だと思っていた毎日が突然の終わりを告げる“という意味も込めて付けました。
そして、紫苑の花。花言葉は”君を忘れない“、“追憶”、“思い出”です。本来なら九〜十月に咲きます。
小麦の収穫時期は国によって違いますが六〜八月です。
この紫苑の花が本来の時期よりも早く咲くという表現で、カイ、ハイク、イレーネの両親たちとの、あまりにも早すぎる別れを切なさを込めながら書きました。




