三傑の英雄 蕭何 韓信との出逢い 三 “恥は一時、志しは一生である”
家人に命じて酒や肉を用意させ、韓信を招いての食事の席が始まった。早速、私は気になっている今後の未来に向けて話しを進めた。
「韓信殿、早速お伺いしたい。貴方はこの先の展開…つまり天下はどのように揺り動くとお思いか?」
「項羽は戦さをよく知る猛将です。ですが、漢王には敵いません。この要害とも言える漢の地を項羽は放棄した。そして、先の秦の王…さらには自身の君主である楚王をも誅殺した。人々も心は項羽から離れている。ゆえに漢王は項羽よりも優勢であるかと」
「……だが、我々は通り抜けて来た桟道を焼き払い、もはや大軍を率いての行軍などままならぬ。そんな我々が戦いを望んでいるとでもお思いか?」
少し焦りながら答えてしまった。私が劉邦に説いたのと同じ内容を口にしたからだ。
この地に赴くのは皆は嫌がった。しかし、私は違った。このような天然の要塞とも言える地なら、たとえ項羽が大軍を持って攻めてきたとしても守り切れる。…項羽は劉邦を恐れている。なら、両者が対峙する日はそうは遠くないと踏んでの算段であった。
それに桟道を焼き払った事で中央からの監視の目を掻い潜り、我々が中原に帰ろうという気がない事を天下に示したのだ。……その本当の真意は別にあったが。
「丞相。貴方は悪い御人だ。そこまでして真意を閉ざそうとされるなどとは…。私にはわかっています。桟道以外にも道がある事を。そして、本当の貴方の狙いは…項羽の油断を誘い、漢王に謀反の心がない事を示すため、人知れずに富国強兵を成し遂げ来るべき日に備えんためとする事でしょう」
「…………」
……何という男だ。我々が計画していた全てを見抜いていた。韓信の言う通りだった。
項羽の目が遠く及ばないこの辺境の地で、国を発展させ兵を育て上げ、万全たる準備を持って中原に返り咲くための雌伏の時である、と。
…たとえ諸侯に馬鹿にされようとも構わなかった。今が耐え時であると想えば。
「……ふふふ、丞相。私には深くわかります。貴方の…貴方達の真に想う強き意志が」
「…どう言う意味でしょう?」
「私はこう考えるのです。“恥は一時、志しは一生である”…と。私はかつて老婆に施される程にどうしようもない生活ばかりを送っておりました。…ある時、ならず者の男達に囲まれてこう要求されたのです。“お前はいつも腰に剣をぶら下げているが、それもどうせ飾りもんなんだろう。その剣で俺を刺してみろ。出来ないならば俺の股を潜れ”…と」
噂で聞いた事のある話しであった。まさか当人の口から聞かされる事になるかと驚いてしまった。
そして、韓信は続け様にこう言い放った。
「……私は男の言う通り股を潜った。私達の様子を見守っていた周りの者達は大いに笑い、股を潜る私を腰抜けだの臆病者だのと揶揄した。……それもその通りです。大の男が大衆の面前で恥をも知らぬ行為を示したのだから」
そんな恥入るような内容とは裏腹に、韓信の目には一際強い眼光が生まれ、彼はこう説いた。
「だが、人を斬って罪を犯しては…自分が成し遂げたい大志はここで潰えてしまう。私は人に馬鹿にされても常に剣を帯刀し、いつか大物になって必ずや世話になった人々の恩に報いると誓っていたのです。この望みに比べれば些細な恥をかくなどほんの一時。……今は耐え難きを耐え、必ずや天下の民達を救おうとする…その志しを私は尊いと考えます。共に天下を目指しましょう」
……もう、彼の言葉に心が揺り動かされていた。この人物は間違いなく賢人であり天下を取るために必要な人材だ。
「韓信殿、どうかもっと御教え下され。どうすれば天下を取れるかを、そして…私達がこれから歩むべき道のりを」
こうして韓信を迎えて夜が深くなる頃まで私達は語り合い、早く感じる時間の流れの中にあって意義深い時間を過ごした。




