三傑の英雄 蕭何 韓信との出逢い 二
「蕭何様、夜分に失礼致します。少しお時間よろしいでしょうか?」
「ん? 夏侯嬰か。君がこんな時間に来るなんて珍しい。何かあったか?」
この男は夏侯嬰。曹参と共に沛にいた頃からの役人仲間で厩舎係だった者だ。今では漢の王に任じられた劉邦に仕える候の一人であり、将才にも優れし漢王からの信が厚い男である。
「いや、実は蕭何様に急ぎお知らせしたい男がおりまして…明日にでもお逢いして頂けないかと」
「ほう、君が言うからには優秀な人材なのであろう。何と言う者なのだ?」
「韓信と申しまする」
「……韓信、か」
「その様子ですと噂はご存知なのですね」
韓信という名には聞き覚えがあった。貧しい老婆から施しを受け、さらには大衆面前にも関わらず人の股を潜るのも恥とも思わぬ者であった。人が人を蔑む話しなどすぐに伝わってくる。こんな辺境の地であっても、人々は面白おかしく語らうのだ。
「…だが、その韓信を君は私に紹介したいと言うのだ。何か理由があるのだろう」
「はい。沢山の質問をしましたが、どれもこれも的確に答えてはこちらが諭され、六韜などの兵法書についても聞いては誦じてみせるなどの才覚を魅せてくれました。楚の重臣、范増も項羽に重く用いるように勧めたそうですが項羽は重く用いなかったようです」
「なるほど。だが、漢王も重く用いないだろうな。王は噂に左右されやすいからな」
王は賢人と聞けばすぐに頭を垂れて迎え入れるだろうが、韓信のような嫌悪される噂多き人物をすぐには認めようとしないのはこれまでの付き合いからわかる。
「そうですね。確かに王もすぐには認めぬでしょう。ですが、韓信はそのような噂で評するに値する人物ではありません。彼にお逢い頂ければわかります。明日、何卒お逢い頂きますよう…」
ここまで夏侯嬰が言うのはよっぽどだ。優れし人を集めるために設けた招賢館の責任者である夏侯嬰の元には今まで沢山の人物が訪れた。
だが、こんなにも誰かを推すのは初めてだ…。私も韓信に興味が湧いてきた。
「わかった。君がそこまで言うのならば逢おうではないか」
こうして私は韓信と対面する事にあいなった。
翌朝、夏侯嬰は韓信を連れてやってきた。……見窄らしい格好に弱々しそうな男だ。こんな男が果たして本当に優れし者であるのか?
「よくぞおいでなされた。私が丞相の蕭何である。夏侯嬰の紹介で其方にお逢い出来て私も嬉しく思う」
招きの言葉を述べたつもりであった。だが、招かれた当人である韓信から返事はない。ようやく口を開いたと思った時には、思いもしない言葉が返された。
「丞相様。貴方様は人を求めているにも関わらずそのような態度を示されるのですか?」
いきなり苦言を呈され私がわからないでいると彼は諭してくれた。
「私は漢王と丞相が人を求めているという話しを聞きつけ、咸陽からはるばるここに参ったのです。“賢を求めるには礼を持って尽くすべし”と昔から言われております。国のために賢人を欲しているにも関わらず、人を招くための席を設けもしないでいるのは、どのような態度なのかと申しているのです」
「…ッ!!」
……迂闊であった。韓信の言う通りだった。昨夜、夏侯嬰が来てくれたにも関わらず、私は韓信の噂に惑わされて席を設けようなどと考えもしなかった。…私も人の事など言えないではないか。
「これは失礼致しました。すぐに席を設けます。どうか韓信殿の見聞を我々に教えて下され」




