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Spin A Story 〜この理不尽な世界でも歴史好きは辞められない〜  作者: 小熊猫
第二章 “冒険者編〜霞たなびく六等星達を求めて〜”
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三傑の英雄 蕭何 韓信との出逢い 一

 我々は反秦への意志を周囲に表明し、劉邦を県令に祭り上げ、彼を中心に秦に従い続ける県を攻めるようになった。

 次第に勢力は膨れ上がり、“沛公”と慕われる劉邦の元に次から次へと集まってきた。


 時勢はさらに変わり陳勝も呉広も亡き者になった。秦の軍勢に敗れ、軍内の内紛で呉広は誅殺され、陳勝は自分の御者によって刺された。

 この頃、楚の項梁という者が力を現し始め、先の楚の王の子孫を見出し、その者を王位に即位させた。

 これにより王位の正当性を広く流布させ、多くの者が反秦の想いを一つに楚王の元に集結し、我々もその軍勢に加わった。

 だが、項梁も秦の軍勢に敗れ戦死した。その甥である項羽という豪将が跡を継いだ頃には、劉邦は彼と肩を並べる将軍にまで昇り詰めていた。……この二人が天下をかけて争うようになるのは君も知っているだろね。


 楚王の決定により劉邦と項羽は二手に分かれて行軍し、先に関中に入った者をその地の王とするという約定がなされた。

 項羽は戦いに戦いを重ねて日々戦い続けた。しかし、劉邦は違った。これまで秦に付き従ってきた者達も劉邦は寛大に受け入れた。その立場から無闇に降伏すれば民衆から殺されてしまう事を危惧し、降伏したくても降伏出来ない者達もいた。

 劉邦は彼らの身分と安全を保証し、大量の兵糧と交通の要所である城を無血で手に入れたのだ。多くの者は劉邦に恭順の意を示し、ついにはあの天下無敵の項羽よりも先駆けて、秦の都・咸陽をも降伏せしめたのだ。

 ………まぁ、入城したのはいいものの…いつも通り女と宝に目が眩んだのはアイツらしい失敗だったがな。だから張良達は王道の在り方を説いた。言えばわかってくれるのがアイツの良い所だったよ。すぐに奪った財宝を宝物庫に戻させて、咸陽を出て周りに陣営を築いて兵士達の略奪を防がせた。

 民達が肉や酒を献上しようと慕われるしても劉邦は断った。“民達に食糧を出させるのは忍びない”と。結果としてアイツは咸陽でも人気者になり、敵方にあった秦の人々も彼には心を許した。


 しかし、そう事は上手く運んでくれやしない。項羽は先駆けて咸陽に入った劉邦を認めなかった。自分が秦の主力を抑えていたかこそ劉邦は先に入城出来たと申してきた。

 劉邦は項羽に敬意を示して(へりくだ)り、何とか命を長らえた。項羽は咸陽に入って降伏した秦の王や官吏をも虐殺し、宝を奪い、始皇帝の墓をも(あば)いてしまった。以降、項羽は西楚の覇王を名乗り、項梁が即位させた楚王を殺した。

 さらには不公平な領地配分をなし、劉邦に与えられたのは流刑地とされる辺境の地・漢中であった。我々は人が一人通れる桟道を恐る恐る歩きながら、やっとの思いで干からびた土地に辿り着いた。多くの者はこんな寂れた土地に嫌気が差し、逃げ出す者が増えていった。




 だが、そんな辺鄙な土地にある男が現れたのだ。彼の名は韓信。当時は無名の男だったが、後に“国士無双”と呼ばれる男が訪れた。





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