三傑の英雄 蕭何 劉邦との出逢い 四
彼の目には困惑の色が見えた。警戒するようにこちらを凝視する。
「俺が…? ハッ! 悪い冗談にも程があるぞ、蕭何殿。俺は学もなければ地位もない。俺なんかよりも蕭何殿の方がよっぽど相応しいだろうよ。皆からの信頼も厚く徳も高い、それはこの沛県に住む者であれば誰もが知る周知の事実であろう」
「私には無理だ。武に覚えがないのもあるが、何より私では人々を導くだけの能力はない。…だが、君にはそれがある。それは天が君に与えし天賦の才だ。人々は君の元に自ら赴き、その旗に集おうとするだろう。……周りを見ろ。こうして君を慕って多くの者がこの場にいる。君の言葉を借りるならば、これこそまさしく周知の事実であり現実だ」
周りに集う多くの男達の目は輝いていた。劉邦を心の底から信奉し、彼ならば自分達を導いてくれると信じて。
「君が立ち上がると決意してくれるならば、城内の者達も喜んで君に力を貸す。すでに権力者達の懐柔も済ませてきた。あとは…君の手でこの矢文を城内に向けて放つだけだ」
一通の文を記した矢を劉邦に手渡す。この矢は誰の手に渡ってもいいように、劉邦が立ち上がる旨と私と曹参が劉邦に降った事を記しておいた。
もはや城の中の兵の心も県令から離れている。この文を読めば兵達は自らの手で県令を殺めて我々を迎え入れてくれる。
「……本当に、いいのか?」
最後の確認とばかりに劉邦は真剣に私の目を見て問いてきた。だからこそ、私も真剣に彼に言葉を返した。
「もちろんだ。平和な世を創るために共に立ち上がり…この国の民達を救おう」
彼はコクリと頷き、弓に矢をつがえ…闇夜に向けて矢を放った。虚空に吸い込まれるように描かれる放物線の先に、我々の未来を託して矢は一直線に飛んでいった。
「君を私の主と仰ごう。これからは君の言う事を聞く。…さぁ、君が私達を導くんだ」
その時、ふと覗き見た彼の横顔は…どことなく寂しそうに見えた……。
翌朝、城門は開かれ権力者達は地面にひれ伏していた。城に入ると一人の代表者の掲げた盆の上には県令の首が置かれていた。
「劉邦様。お待ちしておりました。秦の高官たる県令を討ち果たしました。さぁ、どうぞ城へ」
「劉邦様ッ! 我々を導いて下さいッ! どうか憎っくき秦の打倒をッ!!」
「…劉邦様万歳ッ!! 劉邦様万歳ッ!!」
歓呼の声は止まる事を知らなかった。鳴り止まぬ劉邦を讃える声が城内の大通りに轟き続けた。
城の中でも文官達が両脇に列をなして平伏していた。彼は上座の方へとそのまま進み、私と曹参はそのまま皆を代表するように共に頭を下げた。
「劉邦様。これより我ら一同、一心たる想いを胸に貴方様を御支えして参ります。御身と共に民達に平安を、御身がために尽くして参りましょう」
この時の私は…まだわからなかったのだ。我々に訪れる未来の変化と…そして、私達の間の距離の変化を。




