三傑の英雄
踏み締める最後の階段を降り、静寂が漂う一室に待ち侘びた人物は現れた。
「やぁ…待たせたようだね」
余程急いで来たのであろう。馬を走らせ靡く風にゆらゆらと流れたであろう乱れた髪が疲弊し切っていたから。
「随分と禍々しい一室だ。そうだな…まさにあの頃を想い出す。平和な時代が訪れた先にあるのは、暗黒たる人の醜き業と飽くなき猜疑心であった」
語る唇は止みそうになかった。彼も腹を括っていたのだ。この小さな少年は自分を知っていると確信し…包み隠さず話そうと。
「いま想えば…あの時代の結末を創りあげた直接的な原因は、私だったのかもしれない。あの時…あの始まりの地で私は自分の責任を放棄したのだ。全ての責任を…あの人に負わせようとして」
机の上に置かれた燭台に松明の火を当て、蝋燭が小さな炎を灯す。一つ…二つ、三つと灯る度に、机に広がる大小様々な紙の文字が鮮明に浮かび上がる。
「“あぁするしかなかった”…何度となく自分に言い聞かせた。晩年の自分に何度もね。最初の頃のあの選択を…そして、彼を殺してしまった私の選択を」
愛おしそうに文字を指がなぞる。指先に示された文字を眺めながらも、書かれた内容は頭に入っていないようだった。
「私は…国を守るために彼を殺したのだ。君は…そこにいるズゥオの正体を突き止めたのかい? ………そうか、岳飛の事も君はわかったのか。なら、話しは早い。私との明確な違いがわかるだろう? 岳飛は私の事を知っていても私は岳飛の逸話を知らない。前に岳飛が話してくれた…最期の時しかね」
公国にいた頃、かつて話した岳飛との会話を想い出す。それはとても悲愴な最期であった。だが…こうも想ったのだ。
「私は岳飛のような英雄ではなく…岳飛を死に追いやった宮廷側の人間と同類だ。私は冷徹で非情な人間…それを自覚しているからこそ、この世界で自分の名を名乗りたくなかった。…奇しくも岳飛には彼の言葉を伝えた時にバレてしまったがね」
迂闊であった。まさか彼の言葉が後世でそこまで語られているなど知るよしもなかったのだ。彼が面白おかしく語ってくれた若い頃の話しが語り継がれているなどとは…。
「さて、もう謎解きの時間の最後といこうか。君の目に映る私は…一体誰なのだい?」
開き直った男は少年へと振り返る。そして、カイは答える。
「今の話しを聞いて…そうだと確信出来ました。やっぱり…貴方だったんですね。かつての世界で…その比類なき功績により戦功第一であると認められ、功臣としての最高の位を得た最初の者であり、勲功は光輝き、地位は群臣の上に置かれ、名声は後世まで流れた」
この人しかいない。これまでの全ての会話から導き出される人物はたった一人であった。
「三傑の英雄……蕭何」
クワンの正体は蕭何でした。次は蕭何視点で過去を振り返ります。




