”兵は神速を貴ぶ“ “兵は拙速を聞く、未だ功の久しきを覩ざるなり”
「わ、罠?」
この場に集う多くの者はシャルルと同様の感情を抱いた。ファンの言っている意味を捉えられたのは、たった一人だけだった。
「……なるほど。そのような見方もあるのですね。…うむ、十分にあり得る」
一人でファンの台詞を噛み砕いて咀嚼し、腹の中にストンと納得を落としていた。真剣に吟味した結果なのだろう。ズゥオさんはファンの代わりに口を開いた。
「ファン殿の言っている意味はこうです。アルデンヌ侯爵は守りにくいリヨンの街を捨て王都に逃げた。そして、反乱者達はリヨンの街を占拠した。…しかし、占拠したままでいるのが不自然である…と」
「占拠したままでいるのは当然じゃないのか、ズゥオ? 今まで散々苦しめてきた領主の屋敷を乗っ取るというのは、権威の象徴の失墜をも意味するじゃろう?」
「えぇ、キャロウェイ。権力者の本拠地である城や屋敷、あるいはその国の古くからの中心地である場所を攻め落とす意味は途轍もなく大きい。アルデンヌ侯爵は少なからずの名声や信用、外聞を損なうなどの影響を及ぼすでしょう。…ですが、そこまでなのです。わざわざその街に留まる必要はない」
「…そ、そうです。こ、これまでの反乱者達の戦い方は、あ、明らかに用兵の心得がある奇襲戦術を行ってきた。そ、それなのに守り難い場所で、た、戦いつ、続けるのは変です。民達の暮らしを、く、苦しめてきた侯爵はいない。ふ、普通なら、逃げた侯爵を…元凶たる人物を追って討つべきです」
「確かにな。…ちなみに交渉の使者なんかは向こうからやって来たのか?」
「い、いえ。そのような使者が遣わされたとは聞いておりません」
ファンの意見にズゥオさんとヨゼフは支持する姿勢を示す。聞いていて目から鱗がボロボロと落ちた。なるほど。交渉の使者も遣わされていないという事は、平和的な解決や国への上訴などは考えていないという事だろうか。そこまで踏まえると本当に怪しくなってきた。守り難い土地に留まる理由…それはきっと誰かを、もしくは何かを待っているのだろうか。
「多分…みんなの考えている事はきっと正しいのだろうね。……でも、やっぱりボクは行こうと思う」
ごく温和な口調であった。しかし、揺るがぬ決心がシャルルの台詞には溢れ、彼の瞳の中に満ちる黒曜石のような輝きが強く放つ。
「反乱が広く波及する前に鎮める必要がある。たとえ罠であったとしても、この国の王たるボクがこの事実から目を逸らしてしまっては、それこそ民達の信頼を失ってしまうだろう。だからこそ、みんなの知恵を貸して欲しい。どうすればいち早く反乱を鎮める事が出来るだろうか」
「………そ、そこまで決意されているのなら仕方あ、ありません。わ、私が考えますに、す、すぐさまに兵を集め出陣するがよろしいかと。も、もうすでに防備が施されているかもしれませんが、こ、これ以上の時を与えて陣地を構築される暇を与える事なく、速やかに進軍なされるが上策であるかと」
「ファン殿に同じく。“兵は神速を貴ぶ”と申します。戦術的にもここは急ぎ仕度を整えて、反乱者達が待つ、何かを挫くのも一つであるかと」
おぉっ! ここで郭嘉の言葉が出てくるとはっ!! 妙にテンションが上がってしまう。
郭嘉とは三国志の時代、曹操に仕えた軍師の一人だ。曹操が“この男がいれば大業を成せる”とまで評価した人物で、赤壁の戦いで負けた際には郭嘉がいなければこうはならなかったと、その早世を酷く惜しまれた程の才ある人物であった。
“兵は神速を貴ぶ”の意味は、素早く兵を動かす事が重要だという意味だ。機を逸する事なく攻めるようにと曹操に進言したのだ。
有名な“兵は拙速を聞く、未だ功の久しきを覩ざるなり”という孫氏の兵法と混同されるが意味は異なる。孫氏の兵法を記した孫武は、この言葉を述べる前に一日に千金を動かして十万の軍勢を動かせると説いた。つまり、戦争を長引かせて軍を疲弊させるのは国の経済をも疲弊させると述べていた。
拙速…下手でも素早く行うのは、実は戦争を始める前ではなく戦争を始めた後の重要性を説いている。戦争を継続するか、撤退するかの判断を早く行うべきだと言っているのだ。
郭嘉と孫武の伝えている言葉の意味は異なるものの、どちらの格言もとても重要だ。機を逃さず行動する事、機を逃さずに引くべきタイミングを図る事、これらは今の僕達の状況とこれからの対応に関係してくる。
導入の一番最初の説に“歴史の一頁”という話しを追加致しました。
お読み頂いている皆様にはお手数ですが、もし宜しければご覧ください。
今さらながらつくづく最初から書き直したいと考えさせられますが、先の物語を書く事を優先したいと思います。




