急転
「カイ殿、イレーネ殿。もう十分に楽しまれましたかな? 伯爵様の前です。そろそろお辞めになられては」
「…ッ! そ、そうでした」
夢中にはしゃいで現実に呼び戻された気分だ。それも小っ恥ずかしく自分から晒し者を演じて。
イレーネも同じ心境だったようで、頬は真っ赤な林檎のように鮮やかなくらいに紅潮していた。
「すみません、伯爵様。お見苦しいところを…」
「よいよい。私としては中々に面白きものを拝見出来た。この屋敷内でこんなにも感情の吐露を味わうなどあまりないのでな」
うわぁー。それってよっぽど僕とイレーネの醜態をみんなに、しかも初対面の人に晒してしまったのか。うぅ…やってしまった。
「私としては…実に羨ましいところでもあるのだよ、カイ」
「へ?」
予想にもしない内容を告げられた。羨ましい? ただの喧嘩が? ギャーギャー騒いでいただけだったのに。
「貴族というのは、自分の本当の気持ちを隠すのが仕事だ。とりわけ貴族同士なら心を見せ合わない心の読み合いになる。今日は君達のようなお客人であったから、私も普段は開かない心の扉を開けてみたのだよ。君達は遠慮もせずにズカズカと入ってきたがね」
「うぅ…こ、言葉もありません」
「そう落ち込むな。私は責めているのではない。君達の在り方が実に良いと言っているのだ。我々のような者達にはない清々しいまでの自由な生き方、大切な誰かに自分の心の底からの想いをぶつける権利を与えられているんだ。君達は…それを大切にしなさい」
「伯爵様…」
その目には自分には願っても手に入れられなかったものを羨望する、一人の老人の姿があった。
英気と威厳に満ちた人物でありながらも、一人の人間として羨ましいというのが伝わってくる。
こんなに広い領土を与えられながらも、遂に叶えられなかった自由な想い。それを大切にしろと。
……なら、僕も一つくらいはお返ししなくちゃな。
「御言葉ありがたく頂戴致します。この生き方を大切にしたく存じます。では、お返しに伯爵様にも賢人の言葉を一つ贈らせて下さい。"生まれ変わる事は出来ない。だけど、変わり続ける事は全ての人に平等に与えられた権利だ"…と。立場のしがらみもありましょうが、伯爵様も自由な在り方に少し手を伸ばしてみるのも一興であるかと存じます」
「くく…転生者であるカイが生まれ変わる事は出来ないなどと申すのか? 随分な皮肉だな」
「えぇ、これも自由な在り方の一部かと。言葉に彩りもあっても良いかと」
伯爵の表情はほぐれ、今の言葉を堪能しているようだった。
地位や立場の垣根を越えてもいいのではと、貴族のように言葉に皮肉を交えながらも、これも言葉の自由だという意味を付して伝えてみた。
「その言葉…もっと若かりし頃、いや…せめて数年前に聞いておきたかったな。…だが、とても良い言葉だ。私の胸に刻ませて貰おう」
腑に落としこむように、自らのこれまでの生き方を顧みているようだった。本当はもっと…自由な生き方をこの人は望んでいたのだろう。常に僕達の話しに耳を傾けている時、その目は輝きと好奇心で満ちていたから。
「もっと皆の話しを聞きたい。このような廊下でなくな。それでも良いかな、カイ?」
「もちろんです。僕も伯爵様のお話をもっと聞きたいです。特にこれまでの歩まれた人生について」
「私の生き方などカイの満足する答えにら到底及ぶまいがよかろう。共に語らおうでは……」
「…伯爵様ッ!! 伯爵様ぁッ!!」
──その時、落ち着いた屋敷の雰囲気に似つかわしくない、怒号のような大きな声が突然聞こえてきた。
現れた兵士は息を切らし、身体が空気を欲していても呼吸が追いついていないのが明白な程に苦しそうな息切れが耳を掠める。
「おい、どうしたと言うのだッ!? そんなに息を切らしてッ!!」
シャマは兵士に駆け寄り背中を摩る。しかし、その顔には兵士と同様の焦りと困惑が滲み出ていた。
「……何があった。申してみよ」
これだけの緊迫した状況下でも伯爵は冷静だった。為政者としての尊厳を急いで身に纏い、眼光はすぐに鋭さを取り戻した。
「…た、大変でございますッ! 隣の土地を治める侯爵様の領地にて…だ、大きな反乱が勃発ッ! 侯爵様の屋敷は反乱者達により占領されたとの事ッ! こ、このままでは我らの領地にまで反乱の手が及ぶかもしれませんッ!!」




