会談 二
袋の中を開けるとそこには紅と漆黒の輝きを放つ古代米が眠っていた。粒自体は可愛らしいプチプチとした形状であるが、秘めたる力は国の発展に寄与する多大な実績を有している。
「……また見た事がない物だな。一体これは…」
「“米”と言います。ズゥオさんが山中で見つけ育て上げた穀物で、これもとても素晴らしい穀物です。小麦よりも労力は必要となりますが、水が豊かな地で育てれば何せ小麦のおおよそ一.五倍の収穫量があります」
「一.五倍だとッ!! それでは小麦の栽培を辞めてこの米という穀物だけを育てて……」
「いいえ、シャマ様。それは駄目です。たとえいかに優れた穀物であっても一つの穀物だけを育てるのは危険です。その危険性を憂慮していたので、こうした穀物や作物を紹介したかったのです」
「危険だと? 何が危険だと言うのだ?」
「”病“です」
かつての世界において一例を挙げるとするならば、ジャガイモの大飢饉が有名だろうか。
一八四五年から一八四九年のヨーロッパにおいてジャガイモの病気が大流行した。そのためにこの時期の多くの人は飢えに苦しみ亡くなってしまった。特にアイルランドでは百万人以上の人が亡くなったと云われている。
その理由は、土地が痩せている地でも育ちやすい食糧として優秀なジャガイモばかりに生産を依存してしまったためだ。主要な作物が病気で育たなくなってしまうと、食べられるものが無くなってしまい飢饉に繋がる可能性が飛躍的に上昇する。
「つまり、一つの作物・穀物に依存するのは良くないと…」
「はい。帝国にいた頃も麦以外にも粟や《ひえ》稗も育てていました。色々な品種を育てるのは重要です。ですが、無闇やたらに育ててもいけないのです。帝国の農業政策も実は半ば強行的なものがありました。本当は土地を休ませる期間が必要だったにも関わらず、無理矢理にでも農耕を推奨し村で作物を育てておりました。いずれはあのやり方では土地が痩せてしまい、作物の育ちが悪くなる期間が生じてしまうでしょう。ですから、幾つかの穀物・作物を適した土壌で育て上げていくのは将来のために必要不可欠な政策の一つとも言えます」
「なるほど。理屈はわかった。だが、これは聞いておかねばならない。この作物を育てるための土地の開拓をカイは知っているのか? オリーブなら我々にも開拓に関するやり方を心得ている。だが、知らない穀物をどの程度の土地にどのように水を引けば良いのかなど……」
「大丈夫です。そのための専門家がファンさんです」
「…ファンがか。それで今回の案の要なのか」
伯爵は顎に手を当てて唸ってみせた。この事業にこれ程までに適格な人材がいた事への驚きが数秒の間にあった。
「は、は、はい。こ、こ、これをご覧下さい」
丁寧に折り畳まれていた一つの麻袋をファンは手に持って広げた。そこには先日、ファンが書いたこの領内の地形が川沿いに緻密に描かれていた。
「カ、カイの言う通り、山から流れ出る河川は豊富で、と、土地もまだ余っているのが、さ、散見された。こ、この街を中心に農村部が広がっているようですが、ま、街から離れるにつれて開拓されていない土地が増えているの、で、ではないでしょうか?」
そこまでは気付かなかった。確かに山を降りてから少しすると緑は少しずつ減り、この街に近づくにつれて再び増えていった光景が頭を過ぎる。なるほど…街を中心に農耕を広げていくのは農業と人々が密接な関係にある地域でよく見られる街造りだ。
「うむ、その通りだ。この領地は山からの清流を頼りに街の周囲から小麦の穀倉地帯、オリーブの木々や薬草などの植林地帯が広がっていく。その先にはさっきの話しにも出てきた石鹸加工の職人の加工場が、南寄りの川沿いに幾つかある」
昔の動物性脂肪で造っていた石鹸は、獣臭さから人に避けられその職場も比較的郊外で水の使える土地で造られる事が多かった。この国でも例外ではないようだ。
「で、では、我々が下ってきた山側の開けた土地に米の栽培をする事は可能ではあると」
「可能ではあるがまだ心配は尽きん。もし、此度の開拓で灌漑まで考えているのなら考えものではある。先頃聞いた噂で、隣の領地を治める貴族の領土では河川の氾濫が生じたようだ。…それも大規模に。理由は新たな開拓をした際に灌漑整備にも着手し、それをきっかけに川の流れが変わってしまった結果によるものだそうだ。今、この領内ではそう言った話しを耳にはしないが、もし田畑を広げてしまって氾濫の危険性が高まるようであるならば、私は許可を出来ない。領民の暮らしを守らなければならないからな」
言葉はファンに向けられたようでも、実際には伯爵の視線はシャルルの方へ向けられていた。しかも、こちらが切り出そうとしていた言いにくいと思える部分のみを明確に指摘してだ。
…強かな一面もあるようだ。だが、これも領主に必要な特質なのだろう。でなければ領民達を守れないだろうし、たとえ王であっても曲げてはならない領主としての立場を誇示している。
シャルルも視線の意味をすぐに理解出来たようで、伯爵の欲しかった言葉を添えた。
「伯爵の心配もよくわかる。この作物が伯爵の要望に応えてくれるよ」
シャルルの合図に応じて、僕は残しておいたもう一つの大きな方の袋を開けた。




