肘打ち
「おーい、起きろぉ〜。もう出発する時間だぞ」
「…うーん? キャロウェイお爺さん?」
「なぁに? もう朝ぁ? もっと寝かせて欲しいわ…」
むにゃむにゃ声で空返事をしているが、実際には何が起きているのか理解していない。つまり、寝惚けている。
「何を言っているんじゃ。ほれ、起きろ起きろ」
「「…ふぇ!?」」
身体を揺さぶられ脳がシェイクされ続けるという荒業で叩き起こされた。うぅ…寝起きの悪い朝だよ。
「もうっ! キャロウェイお爺ちゃん! もっと親切な起こし方があったんじゃないのっ!!」
「すまんとは思うが、今日は急いで移動しようとドーファンが言っておる。ほれ、あれを見よ」
「「あっ」」
そこには騎乗を済ませ、いつでも出発体制が整っている仲間達がいた。ほ、本当にギリギリまで待ってくれていたんだね。
「よしっ! 早く起きようかイレーネ!」
「えぇっ! そうね! そうしましょう!」
「全く…調子のいい子達じゃわい」
すぐに飛び起きてパパッと服の土埃を払い、そのまま走ってイレーネの愛馬アイリーンに跨り、みんなの元に駆け寄った。
「ご、ごめん。寝坊しちゃった」
「なーに、ゆっくり寝れたようで何よりだ。なぁ、お前ら」
「ぷふふ…そうだね。本当に何よりだよ」
「えぇ、何よりです」
……みんなの視線には意味深なものがあり、ヨゼフの声を皮切りに同意の声しか上がらない。上がる声には浮ついたものが付き纏っていた。
「うぅ…ボクは二人を応援します…応援しますよ。ちょ…ちょっと残念ですけどね」
「カ、カ、カイ。おめでとう」
「カイ。俺はお前を応援するぞ」
「…な、なんの話しをしているのハイク達は?」
「カイとイレーネがいい感じの雰囲気になってたろ? だから…付き合う? とかなんとかってクワンが言ってたからみんなで応援しようって」
「「…はいッ!?」」
つ、つ、付き合うッ!? 僕がイレーネとッ!?
「そ、そんなんじゃないよッ! 断固としてそんな訳じゃないからねッ!!」
「これまた正直な反応だね、カイ君。そんなに照れなくてもいいじゃないか」
「違うよッ! これは照れてなんかじゃ…」
「カイ殿。我々は二人を応援しようと、温かく見守ろうと話し合ったのです。何もそこまで否定しなくても…」
「いやいやいや、付き合うも何もイレーネとはそんな関係になるはずないよ。確かにイレーネの見た目は可憐だとは思うけど、僕には容赦ないし、性格は素直じゃないし、すぐに手は出るし、それに何より……」
「ふんッ!」
「…ぐはッ!」
不意の肘打ちが見事に溝落ちにクリティカルヒットし、そのまま落馬して地面に叩きつけられた。うぅ……い、痛い。
「悪かったわねッ! どうせ私はこんな風にカイに容赦ないし、すぐに手が出る女よッ!! ふんだッ!」
そのまま一騎で走り出し川沿いの道を駆け抜けていく。追いたくても追えない身体になってしまった。つ、辛い…。
「おい、イレーネっ! 一人で先に行くなっ! …はぁ、早速あれだな、夫婦喧嘩ってやつだな。面倒をかけさせるなよ、カイ」
「ち、ちが…」
ヨゼフを乗せた黒雲は砂煙を起こしながら颯爽と追い始めた。…せ、せめて弁明の機会を。
「……はぁ、これだから若い子達は。しょうがない、私からもフォローの一つくらい入れておいてあげるよ。行くよ、ファン君。とっとと追いかけてカイ君に恩を売っておくとしよう。高値で売りつけられるだろうから」
「わ、わ、わかった」
ファンさんを騎手に据えて、自らは後背で楽をしながら戯言を宣うクワンさんだった。……いいや、もうクワンでいいや。絶対に高値で買うもんか。
二人もすぐに後を追い、土埃を置き去りに走り去った。
「なぁ、カイ。付き合うってなんだ? イレーネと付き合ってなんかいい事があんのか? なら俺も付き合いてぇな」
「………ハイク、そう易々と色んな人と付き合っていたらイレーネは今頃は悪女って呼ばれているよ」
「そうなのか? まぁ、イレーネも悪戯が好きだからそう呼ばれるかもな」
沢山の勘違いを抱いたままのハイクに、もう何も言い返す気力もないまま本日二度目の休息に突入したのだった。
──※──※──※──
「わっはっはっはっ!! イレーネとカイが付き合うってそんな意味なのかっ! そんなのありえないだろっ!!」
「…わかってくれて嬉しいよ、ハイク」
残ったみんなは倒れた僕を介抱してくれて、こうして今では喋る体力も戻っていた。結構容赦ない肘打ちだったから大分時間は掛かってしまったけど。
「本当に良かったよ! カイ! ボクは君を信じていたよっ!!」
やけに嬉しそうなドーファンは、にこやかな笑顔を終始浮かべていた。果たして僕の復活を喜んでの笑顔なのやら…。
「まぁ、儂らの早とちりという奴じゃな。はよう追いかけんとな。結構な差が開いているじゃろうし」
四騎の馬が急いで駆け抜けてはいるものの、全くイレーネ達の姿は見えない。それだけ先行して進んでいるという訳だ。
「ですが、カイ殿。我々の勘違いだったとはいえ、あんな反応を示したらイレーネ殿も拗ねてしまうのは当然です。逢ったらまずはすぐに謝らなけれななりませんぞ」
「ごめんなさい。その通りです。ちょっと恥ずかしさの余りに…」
「ふふ…その正直さを今少しだけイレーネ殿に向けられては?」
「うぅ…努力します」
あれだけ親身に接して貰ったのに随分と酷い態度を取ってしまった。はぁ…本当に何をやっているんだろう僕は。
結構な距離を走ったものの、未だその姿は捉えられない。次第に風景は変わり始め、何もない平野から田園風景へと移り変わる。
…へぇ、随分とここは立派な農園が広がっているんだな。すでに収穫を終えた小麦の姿は消えている分、見渡す限りの広大な農園の様子が手に取るようにわかる。
「きゃあああああぁぁぁぁぁッ!!」
「今のは…」
「…イレーネの声ッ!」
ズゥオさんの握る手綱に力が籠り、愛馬に急行するよう指示をだす。背に跨がる僕もズゥオさんの腰に必死にしがみつき、懸命に振り落とされないように踏ん張る。
…早く……早くッ!! 駆け抜ける速度をも上回る心臓を波打つ焦燥は、朱夏に不相応な冷たい汗を背中に走らせるのであった。




