転生者の条件 九 “流れ星と霞みたなびく六等星”
「どう? …少しは落ち着いた?」
泣き止んだ僕の頭を撫でながら彼女は尋ねた。
「……うん。ありがとう、イレーネ。もう…大丈夫だよ」
気恥ずかしさが蘇り、ようやく自分が何をしたのかという現実が追いついた。
すぐに僕は彼女から離れようとするも、まだ離れる事をどうやら許してくれないらしい。彼女の手に籠る力が強くなった。
「カイ、このまま話しを聞いて」
こんな状況で僕に選択権はなく、彼女の言葉を待つ。
「……カイ、ごめんなさい。私は…貴方が自分の事をひた隠そうとしていたのに苛立ちを感じていた。何で自分を隠すのって。……でも、貴方にも理由があった。言えない理由が。それを考えもせずに…私…私……」
途切れ途切れの言葉の後に数秒間の沈黙があった。瞬時に緊張の糸が張り詰められ、息苦しさすら覚えてしまう。
自分の過去を明かせない転生者。奇異な目でハイクやイレーネから見られるのが怖かった。
自身の過去の名前も知らない人間が、自身の過去を明かすなんて酷く滑稽に思えた。
だからこそ、ヨゼフの正体を掴んだ時に自身の過去を明かそうとした。ヨゼフの正体を知っているという事でしか、そういう過去の知識でしか自分を証明出来るものは何もなかったからだ。それは今も変わらない。
そんな後ろめたさを引きずって、こうしてここにいる。けど、それはついさっきまでの僕だ。今は違う。
「イレーネ、気にしないで。僕はイレーネのおかげで気付けたんだ。この世界で“カイ”っていう名前が、父さんと母さんが名付けてくれた大切な名前を愛おしく呼んでくれる家族がいた。今でも呼んでくれる大切な人達に囲まれている幸せを。ようやく僕は…イレーネのおかげで知る事が出来たんだ。……ありがとうね」
抱きしめていたままの腕に力が籠る。強い想いとは時に気恥ずかしさを跳ね返す鎮静剤にもなるようだ。
後悔はない。だってイレーネはたった一言こう告げたから。
「……そう、良かったわ」
どうやら今度は彼女の方が元気を取り戻せたようだ。嬉しさが声から滲み出ていたのを指摘せずに、彼女から見えない角度で小さな笑顔を浮かべたのだった。
ようやく気を張っていた肩の荷を下ろす。周囲の音に耳を澄ませるだけの落ち着きも取り戻した。
夏の虫が心地よい音を立て涼やかな夜を綾なす。
「ねぇ、イレーネ。ちょっと空を眺めてみないかい?」
「どうしたの急に? 変な空気に当てられちゃったの?」
茶化すように尋ねた彼女にたまには言い返したくもなる。なにせ変な空気を創り出した元凶は彼女なのだから。
「そうだね。イレーネがいきなり抱きしめてきてくれたからね。せめてもの僕なりの恩返しだよ」
「…ッ! ちょっと!! 抱きしめてだなんてそんな…」
「ん? 僕は事実しか言ってないよ?」
「違うわよッ! そんな直接的に言うなって言ってんのッ!! は、恥ずかしくなっちゃうじゃない…カイは本当にデリカシーのない恩知らずね」
強がりの癖はいつもの事だ。ぷくーっと膨れ上がった頬は赤く染まっているのもいつもの景色だった。けど、少しばかりの本音が漏れていたのは意外だった。
僅かなこの旅の中でイレーネにも少しずつ変化があるのは何となく感じ取っていた。…嬉しい変化だ。
「恩知らずで結構。どうせ僕はみんなの気遣いにも鈍感だもん」
「あら、気付いてたのね。みんなカイを元気づけようって冗談ばっかり言ってたのに、カイったら全然笑ってくれないんだもん」
昨日の食事の最後は笑うのを忘れてしまうくらいに自分の世界に深く沈んでいた。
気付いていても笑えるだけの気力がなかったからね。
「明日の朝、元気な姿を見せるよ。それでみんな察してくれるだろうし」
「今のうちに笑顔の練習しといたら? カイったら笑顔が下手だから」
「そうだね。じゃあ笑顔の練習のためにも一緒に星空を眺めてみない?」
「…もう、しょうがないわね」
一緒に地べたに寝転がり空を見上げる。何も考えず、ただ茫然と見上げ続けた。
「ねぇ…笑顔の練習は?」
「今、している所だよ」
「これが?」
「そうだよ」
「ふーん、そうなんだ」
「…そうだよ」
他愛もない会話だった。それなのにこの時間はとても愛おしいひと時でもあった。
「……だってほら、イレーネも笑っているじゃないか」
「ふふ…そうね。こんなにも綺麗な空なんですもの。自然と笑顔にもなっちゃうじゃない」
幻想に包まれた夜空に笑顔が溢れ落ち、美しさを彩る夜空に夢中になった。しょうがなく付き合ってくれたイレーネも嬉しそうで、それを見れただけで幸せな気分に浸れた。
その時、一筋の光芒が天空を駆け抜けた。暗い夜闇の中にあって、殊更に光り輝いて映る。流れ星の尾は一閃を描き残像が目に焼き付いた。
「見たっ!? 今、空にヒューって綺麗な線が見えたわよっ!」
「うん、見えたよ」
「……とっても綺麗だったわね」
夜空の下でイレーネは囁いた。そんな彼女にこう尋ねた。
「ねぇ…イレーネ。僕のいた前の世界では、あれは“流れ星”って呼ばれていたんだ。空には神様がいて、神様が人の暮らしを気にして覗き込んだ時に漏れる光が流れ星なんだって」
「素敵ね…そんな神様がいてくれたらいいわね」
「うん…そう願いたいね。願うと言えば…流れ星を見つけてから消えるまでの間に、自分の叶えたい願いを三回唱えられたら願いが叶うなんて話しもあったよ」
「本当ッ!? よし、私ずっと空を見続けて流れ星を見つけてみせるんだからっ! …ちなみにお願い事って口にしなきゃダメなの?」
「心の中で唱えてもいいみたいだよ」
「そうなのね…良かった」
ほっと一息吐いたイレーネは、それから真剣に空とにらめっこを始めた。ふと見遣った彼女の横顔に、薄っすらとした笑みと空を覗き込む無邪気な目が印象的だった。
「あっ! …もうっ! これ絶対三回も唱えられないわよっ! カイは出来たの?」
「あ…ごめん、ちょっと見てなかった」
「自分から空を眺めようって言いながら見てないって凄く失礼ね。じゃあ何を見てたの?」
「それは…」
流石にイレーネを見てたなんて言い出す勇気なんて持ち合わせていない。ドン引かれる未来しか描けないよ。
ここは言葉で言いくるめるしかないかな。そうだ…確かこんな話しもあったっけ。
「イレーネ。別に三回唱える事が大事じゃないんだ。そう願う事…願い続ける事が重要だっていう意味が、“流れ星に願う”っていう逸話に込められているんだよ」
「願い続ける?」
「夢、希望、願い。これって人なら誰しも抱くものでしょ? でも、実際に抱き続けるって難しいんだ。状況の変化だったり心境の変化、人間って移り変わりやすい性質があるからね。人は抱いていた夢を忘れてしまいがちなんだ。それにほら、例えば流れ星を見かけた時に“何を願おう”って考えていたら一瞬で過ぎ去ってしまうでしょ? だから大切なのは、“こうありたい”とか“こうなりたい”っていう夢を想い続ける事だって教えてくれているんだ」
「夢を…想い続ける……」
イレーネはそう言うと、片時も傍から離さずに持ち続けている杖を空に掲げて目を閉じ、なぜか星ではなく杖に願いを託しているようだった。
「ちょ、ちょっとイレーネ。僕の話しを聞いてた? それに杖に願ったところで…」
「願ったところで何? カイ、願い続けるのが大切なんでしょ? なら私はこの杖に願いを託して一緒に願いを叶えるの。ね? いいと思わない? みんなが願ってそうな事を祈るのよ。ほら、カイも一緒に杖を握って」
満面の笑顔の中、彼女は自信満々に語る。真っ直ぐな瞳は星々の煌めきのように輝いていた。
寝転びながら一緒に杖を握り、翡翠の魔石は光りを灯し始め、想いは言葉となって紡がれていく。
「闇夜に光を与え、希望の星々を創りられし我らが神よ。その威光は我らを指し示す光であり我らを守る道標。道なき道を照らす光となりて、我らの旅路を導きたまえ」
願いは魔力となり、やがて光の粒子となり天へと昇っていく。闇夜で弾け眩いばかりの光を地面へと降り注ぐ。
「……流れ星みたいだね」
「願い…叶うわよね?」
「きっと…ううん、流れ星の隙間から神様も見守ってくれるさ」
「そうね…最高の恩返しをありがとうね、カイ」
涼やかな夏風揺れる夏の宵。馳せる未来への想いは星の砂を散りばめた夜空のようだった。
だが、人々はここから始まる冒険譚をまだ知らない。遠い未来で語り継がれる人知れずの霞みたなびく六等星の輝きを知ったのは、同じ等星の兆しを秘めた各地に散らばる英雄達だけである。
英雄は星々への願いを未だ諦めず、同じ夜空を仰ぎ見る。
ちょうどペルセウス座流星群が見頃でしたね。私は観れませんでしたが皆様はご覧になったでしょうか。
六等星とはかろうじて肉眼で見える暗い星を指します。カイ達自身も英雄達も未だ六等星のような人知れずの輝きを秘めているのを表現したく、この言葉を第二章のテーマにしておりました。




