実食
サラリと会話を流しながらヨゼフは二つの皿を差し出して、焼き魚と膾の両方を彼は手に掴んだ。
「おっ、鱠から食べられるようですね。ではコレに漬けて食べて下さい」
笹の葉を一枚一枚捲り上げ、包まれていた物を開帳する。そこには何やら細かく擦りおろされた薬味があった。
「本当はもっと沢山の素材を用いて混ぜ合わせるのですが、生憎いまのところそれらの素材は入手出来ていないのです。本来の味には些か劣りますが、これにつけて食べてみて下さい」
ファンさんは言われた通りにちょこんとつけて臆する様子もなく一気に口に放ってみせた。
ヨゼフのように生魚を怖がってはいないようだ。意外にも豪胆だなと感じた。
「…う、美味いッ!」
目を輝かせて舌鼓を打つ。すぐにもう一枚の膾を手に取って再び薬味につけて食した。
「ふふ…どうやらお口に合ったようで良かった」
「お、俺も食うっ!」
「私も食べたいわっ!」
美味しそうに頬張るファンさんに触発され、すかさずみんなも膾に勢いよく手を伸ばした。
僕とヨゼフだけは恐る恐るながらだったが、結局みんなに釣られて食する事にした。
「……す、凄いです。一体どうやればこんな蝶の羽のように華麗な料理に仕上げられるんでしょう」
感嘆の声を上げたのはドーファンだ。箸で膾を掬い上げてみて、すぐに共感を覚えた。
まさに蝶のようであった。風がふわりと吹けば膾の身は宙を羽ばたいているかのように舞い踊る。
芸術的な程の身の仕上がりは、元来の膾の捌き方を彷彿させるような職人技であった。
「お褒めに預かり光栄です。これは翠微にいた時に覚えた技術です。あそこの池にいた魚を捌いているうちに自然とここまで出来るように」
「どうだ! 私のズゥオは凄いだろう! こんな事も出来るんだから」
「クワン様。私はドーファン様に仕え、クワン様も同じ主にお仕えする身です。もう我らの間に主従関係はないのでは?」
「…えぇッ! 私のズゥオではなくなったというのかッ!」
「そうですよ。ボクのズゥオさんですから。ね、ズゥオさん」
「はい、ドーファン様」
「そ、そんなぁ〜」
「「「「「ぷふふ…あははははっ!!」」」」」
オロオロ狼狽えるクワンさんの姿がこの上なく唖然としていて、大切な宝物を取られた子供みたいでついつい笑いが上がってしまう。
「ふふ…冗談です。ドーファン様にお仕えしていてもクワン様への尊敬の想いは覆る事はありません。貴方の生き様を私は心よりお慕いしているのは何ら変わりありません」
「ズ、ズゥオ〜」
「わ…ちょ、クワン様っ!」
今にも抱きつきそうなくらい嬉しがったクワンさんをいなしながらも、呆れ半ばに微かな笑みがズゥオさんの頬に浮かび上がっていた。
「ささ、皆様も手を止めずに食べてみて下され。故郷の自慢の料理ですから」
笑いも堪能したところで本命の膾を口元へと運ぶ。
口にした途端、駆け巡る薬味の爽やかな香りが空気と共に鼻腔から喉を伝って胃へと駆け巡り、身を食する前のコンディションを限りなく引き上げる。
ついに身を食べようとするも、一口、二口と噛み締めているうちにスゥッと蕩け、溶けてなくなっていく。
薄く切られた繊細な柔らかな身はこの上なく淡白な味わいながらも、舌の上で蕩ける身の中にある魚特有の生臭さを感じる間もなく消えてなくなり、最後の瞬間まで美味しさを満喫出来た。
……違う、このための薬味なんだ。最初は柑橘系の爽やかさが。次にニンニクの食欲を掻き立てる濃厚な香りが。そして、最後に川魚の臭みを消すだけの生姜の芳醇な香ばしさが、程よい演出をもたらし魚の身の旨みを邪魔する事なく上手く引き立ててくれているんだ。
凄いな…。ここまで考え抜いて料理を作るなんて。食べる前は生臭さとか寄生虫の事ばかりを気にしていたけど、今ではそんなのを気にしなくなるくらい次々に口の中に膾を運んでいる。
みんなが無言で夢中になるくらいに、この料理は美味しいっ!
「…大分皆様も気に入ってくれたようですね。作った甲斐がありました」
そう呟きながらズゥオさんは膾を食べてもいないのに、なぜか僕達以上に満足した表情で、ずっとみんなの様子を眺めていた。




