ファン
「吃音って何だ? オッチャンの喋り方と何か関係があんのか?」
「言葉が滑らかに話せない病の事だよ、ハイク君」
体質的要因と発達的要因から来る病気を指すと本で読んだ事がある。あるいは環境的なものによる心的ストレスからくるものだとも書いてあった。
つまりそれは……
「ハイク。この人は自分ではそう望んでいなくても、周りへの不安や人と話す緊張感で言葉が詰まってしまうんだ。…でも、ただそれだけだよ。この人は僕らと同じ見た目で同じ人間だ」
当たり前の事を言ったつもりだった。
だが、そう唱えた途端にこちらを凝視する視線が幾つも刺さる。
とりわけ当の本人からは信じられないものを見る目で問いただされた。
「あ、あ、貴方は…私と話しても…へ、変な気持ちにならない…のか?」
「変な気持ち? …偏見という事ですか? そんな風に考えるほうがどうかしています。なりたくてなったものではない病を抱えている人に、自分と違うというだけで侮蔑の視線を向けるのは間違った考えだと僕は想います。それは一種の“差別”です」
言葉を誤魔化しながら、自分では言いたくない台詞を言いづらそうにしながら、それでも聞きたい気持ちを抑えられなかったように聞いてきた。
だからこそ、僕も自分の気持ちを隠す事なく彼に告げた。差別は間違っていると。
「…カイ。君は……」
ドーファンは何かを言いたげにしながらも、何かを隠すように口を閉じた。
「私もそう想うわっ! …って言うかそんな気持ちになる人なんているのかしら? 私にはわからない感覚ね」
「そうだな。俺もその病気の事ははよくわかんねーけど、オッチャンの言う変な気持ちってのは悪い考えだってのはわかった。オッチャンはそんな奴らを気にすんな」
イレーネとハイクは賛同の意を示してくれた。
幼馴染の無邪気な分け隔てない想いに触れられるだけで、自分の考えは何も間違っていないと自信を与えてくれる。
「…み、皆さん。……あ、ありがとう……」
顔の表情を悟られないように彼は下を向いた。
ボロボロの外套をぎゅっと握りしめ、そのまま身動き一つしない。
……沈黙の中、ときおり微かな嗚咽だけが漏れる。
声は震え大気を揺らし、その揺らぎは僕達の心に届く。
きっとこれまで、彼はとても辛い想いをしてきたのだろう。
そう考えると彼の事を放っておけなくなった。
「ねぇ、ドーファン。ひとまず彼の事も一緒に連れて行こうよ。このままここに置いておけないよ」
「…ボクは構いません。ですが…」
チラッと他の大人達を見遣ると、キャロウェイお爺さんとズゥオさんは下を向いて何かを考え、ヨゼフとクワンさんのこちらを見る目はさらに鋭くなった。
「カイ。言っておくぞ。俺もコイツを放ってなんかおけないからな。だから言わせてくれ。………どんなに辛くても後悔するなよ?」
「私からも忠告だ。君が…君達が辛い想いをするのは目に見えている。それでも彼を…君は連れて行こうと言うのかい?」
両者の言葉から息苦しくなるような重圧を感じる。
だが、それは僕らを想い遣っての親切な助言だった。
……今はまだ、二人の言葉の本質なんか理解出来ない。
けど…それでも僕の想いに偽りなんかはない。
「………うん。彼を連れて行こう。お家に送り届けるまでは彼を連れていくべきだ」
「その言葉に責任を持てよ。俺も手伝ってやるけど…もし人前に出なければいけない時、お前はコイツを守ってやれよ」
「ハァ〜、君は何て頑固なんだか。そんな優しさだけじゃ過酷な世の中を生きていけないぞ? ……まぁ、すぐに思い知る事になるだろうけどね」
いい意味で二人は諦めてくれて、金言となる言葉を贈ってくれた。
「…ありがとう、二人共」
「俺も手伝うぞ! カイ!」
「もちろん私もね! 何が出来るかわからないけどね!」
チラッと横目にキャロウェイお爺さんとズゥオさんを見ると、翳りのある面持ちをしながらも一度頷いてくれた。
「よし、決まりだね。……あの、もし良かったら僕達と一緒にひとまずはここを離れませんか? この先は何もないですし、身体も弱っている貴方を放っておけませんから。ところで、貴方のお名前は?」
「ファ……ファン。そ、それが…私の名」
「よろしくお願いします。ファンさん。僕はカイと言います」
右手を差し出し、ファンさんは人への恐れなのか躊躇うように手を差し出し、僕の手を弱々しく握ってくれた。
彼に恐れる必要がないんだと、想いを込めてその手をギュッと力強く握り締めた。
見上げた彼の視線とその手には、ほんの少しばかりの力が宿る。
この時の僕にはみんなの態度の変化を、本当の意味では理解していなかった。
だが、クワンさんの言う通り…その意味をすぐに思い知る事になるのであった。




