誰かの視点 帝国軍のとある将校 三
「……我らが撤退してまでの価値がおありなのでしょうか?」
「卿の言う価値というものを、卿自身の手で高めて頂く事で納得して貰いたいものだな。……出来ないとでも言うのかね?」
無言の睨み合いと深い沈黙が両者の間で刻まれる。
私にはウッドストックの言い分も理解出来る。軍人としてあの場面での撤退は、如何様にも受け入れ難いものだった。
宰相閣下の言う十年というドワーフ国の寿命を幾許か早めるだけの未来の縮図もありえたのだ。
それがわかっているからこそ、どうしても納得出来ない心情があろう。
だが、宰相閣下のご意見にも今なら理解を示せる。
彼の描く戦略構想は最小限の損害で敵国を滅ぼそうというものだ。
年月、兵力、経済、民心などと言った様々な数字を、利益と合理性に基づいた天秤に掛けた上での判断は政治家ならではの発想である。
どちらの主張や心情も正しいと私は考える。両者共に自分の中に抱く“四”を大切にしているのだろう。
並び立つアサエルとヨハンを横目に見遣るが、口を挟む気にはなれないようだ。
仕方なしにこの場で一番立場の低い私が言の葉を差し込む。
「宰相閣下。もう少しだけ閣下の見解をお聞かせ願いたく存じます。私もウッドストック少将と同じように、未だ前線から身を引く事になった次第を受け入れ難く考えている次第であります」
眉に力を込め何度か上げ下げを繰り返し、目は穏やかなものであろうと努める。
“言葉を重ねてウッドストックの心を勝ち得るように”、という意味を暗に込め目線で合図を送る。
その意味を察してくれたようで、大きく頷くと共に滑らかな口調で語り出す。
「ドワーフ国を滅ぼすためにも…ラ・パディーン王国という国は滅ぼす必要がある。あの国は今現在の世界情勢で中心に位置する地勢を有している。ラ・パディーン王国を経由してドワーフ国が他の勢力と連携したり、経済を発展させる手段を構築するのは何としても防がなければならない。そのためにもまずはラ・パディーン王国だ。我らが施す謀略の数々は、今のところ成功の兆しを見せている。かの国を落とす事で我が国は圧倒的に優位の立場をさらに向上する事が出来るのだ」
攻め取る利とこれからの戦略構想の一端を宰相閣下は語る。
確かに世界の中心地を手に入れれば各国の連携を図られる前にそれぞれ打破する事も可能だ。
もし、国同士の連合が取られれば帝国といえどもかなりの苦戦が強いられるであろう。
そうなる前に、今は表面上の友好国であるラ・パディーン王国を早急に叩くというのが戦略目標と据えている事が伺い知れる。
「……わかりました。その任、お引き受け致します」
ウッドストックもようやく折れ、自身の務めを受け入れ職務に従事する旨を表明する。
「ロクセ准将。卿も受け入れてくれるな? 卿のもとの参謀達は元々は後方勤務の者が多い。今回の侵攻策に当たって物資の調達などをする上で、卿が一番適任であると判断した。また、王国を攻めるのに帝都の守備に残された重装歩兵を用いなければいけない。帝国が誇る騎兵にも数に限りがあるのでな。卿の指揮能力に頼らざるを得ない部分が多いのだ」
「無論です。小官は自身の職責を果たすまでです」
なるほど。確かに私が必要となる訳だ。私というより私の部下達だがな。
彼らの活躍出来る場面があるのはありがたい。彼らは私の元に着任して以来、あまり役に立っていないと思い込んでいるようだったので、少しでも得意な分野に預かれるとなれば気持ちも上向きになってくれるだろう。
「助かる。……今回の作戦に当たって卿らの活躍を大いに期待するところである。侵攻における軍の多くは王都の貴族麾下の兵だ。そのために総大将には大貴族であるベルンハルト侯が就任する。今までの功績を鑑み、卿らの階級は一階級昇進となる。後日、昇進式を行う予定である。……勘のいい卿らにはわかったと思うが、この処置は皆の立場と発言力を少しでも高めるためのものだ。そのためにも、卿らにはより一層の活躍を求めるところでもある」
………これは厄介だな。つまり、軍の運用にあたり貴族連中の意見に押し切られないようにと、宰相閣下は仰せのようだ。
だが、遠く離れた戦場で貴族連中の手綱を握るのは容易ではない。奴らは必ず己が意見を通そうと要求してくるだろう。
そのために我らの立場を引き上げようという訳のようだが、アサエルとヨハンの両将が昇進したとしても大将止まりである。
せめて、あの将が来てくれれば……
「宰相閣下。王都の守護を任されている三元帥の一角を担うあの御方こそが、この度の作戦の総大将に相応しいかと考えます」
「……それは無理な話しだ。貴族を取り纏める大公からの要請として、元帥及び上級大将は、この度の王国侵略の任に着けてはならないという条件がある。…勝ち筋が決まっている侵攻に多くの貴族を参加させる事で、少しでも貴族連中に勲功を稼がせ、華を持たせる事で恩を売ろうという大公の狙いだ。元帥麾下の軍勢にばかり功績を挙げさせないための策なのは明らかだ」
「しかしながら、少しでも不安材料を取り除くべきです。万が一にも早急な判断や的確な軍事的決断が求められる時、我々の地位では貴族連中を説得するのは不可能であると小官は考えます。そのためにも、軍事においても帝都においても強い発言力を持つあの元帥を…」
「ロクセ准将。卿の言い分も私にはよくわかる。私もその懸念があったからこそ、次の条件を大公にも飲んで頂いた。"緊急時における軍事の決定権は帝国軍将校達に委ねる"と。…安心してくれ。私としても卿らが存分に力を振るえる舞台を整えた上で送り出すつもりだ。それに、徹底的な準備をすれば今回の侵攻は失敗しないであろう」
「そこまで取り計らって頂いていたとは。知らなかったとはいえ無礼申し上げた事を深くお詫び致します」
流石は宰相閣下だ。我らの立場と貴族の関係を上手く取り持とうと既に動かれていたとは。
……だが、なんとも言えぬ不安は未だに胸を掠めている。果たして貴族連中は我ら軍人の言葉に閉ざされた耳を貸すのであろうか…。
「本日はここまでだ。後日の卿らの昇進式を終えた後に、作戦本部と各指令系統の発足を行う。それまでは王都の自宅において束の間の休息を楽しんでくれ。では、解散」
振り翳された手を合図に、各々の足取りで赤い絨毯の上を歩き出す。
「…准将。卿だけは残ってくれ」
掛けたれた声に振り向くと、緊張感と荘重さを崩す事なく立ち尽くす宰相閣下がいた。
言われるがままに先程と同じ位置に戻り、三人の将校の姿が扉の向こうに見えなくなると、貫き通した固い表情を少しだけ緩め肩を落とした。
「卿に残って貰ったのは他でもない。もし、あの三人のうち誰かが暴走しそうになった時…卿が軍の良心となって貰いたい」
「それは些か無理な願いかと。私は三人の将校よりも立場が低く、発言力が最も弱い者にすぎません。それを理解されておられるのに貴族の意にばかり従うばかりか、アサエル中将、ヨハン中将の両名までをも昇進させてしまっては、今回の貴族連中の出す条件の抜け口を自ら塞がれるのは、私にとっては悪手であると言わざるを得ません」
貴族の出した条件には“元帥及び上級大将は、この度の王国侵略の任に着けてはならない”という話しだった。
ならば彼らの地位を留めたままに据え置き、彼らより上の地位の大将の誰かを任命すべきであった。
「…相変わらず君は直言を憚らないな。私と似た者同士である事を心から嬉しく思う」
嫌味を言われた筈であるのに、殊のほか嬉しそうに宰相閣下は薄い笑みを浮かべた。
「陛下は此度の戦争で、恐らく貴族共の言い分もこうなる事を見込んでこの人事を決定されたのだ。つまり…君が活躍される事を望んでおられる」
「……相変わらず陛下も宰相閣下も無茶を仰せのようですな。浮ついた噂もなければ愛嬌もない無愛想な私に大層な願いを押し付けておられる」
「…君はその性分ゆえに軍部においても孤立しがちだが、もっと人付き合いが上手ければ今頃は彼ら三人よりも上の地位にいただろうに。勿体ない……きっと陛下もそう感じたのであろう。陛下は無理な状況下でも実績を示す者を重用される。この人事を見た時に私は確信したのだよ。陛下はこの戦争で最も活躍するであろう君を指名したのは、貴族連中とライバルである三人の将校に対する実績を示す機会を設けられたのだと」
「無茶も度を越せば無理強いになりますぞ。それに私は三人の将校に敵愾心を向けてなどおりませぬ」
「君自身は望んでいなくても我々はそう望んでいる。頼んだぞ、”我らが父“よ」
老獪という言葉そのものを体現している宰相閣下から、初老にも至らない私が父と呼ばれる違和感に静かながらに口角を上げてしまった。
「…微力ながらに最善を尽くします」




