本当に卑怯だ
「ズ、ズゥオさ……」
「カイ殿、そろそろ向かいましょう。目的を忘れてはなりません。豚肉と脂肪でしたね。そこの壺の中に入っております」
言葉を遮られ、徐に歩き出し、こちらに背を向けたまま壺の中から豚肉を取り出しつつズゥオさんは語ってくれた。
「……すみません、カイ殿。私は貴方の知識や見識を侮っていたようです。恐らく貴方は…私が誰であるのかわかったのでしょう。その反応でわかってしまいました…」
僕が何か言おうとしているの察したようだった。
だが、それをあえて伏せるようにズゥオさんは頼んできた。
「ですが、今はまだ言わないで頂きたい。私は…私はまだ、自分自身と向き合えていないのです。この世界に来てから…私もクワン様も、私達以外の方の前では一度も本当の名前を名乗っていないのです。名前を知られて弱みにつけ込まれる危険性は確かにあります。ですが…それ以上に私達は自分自身の名を名乗る自信がないのです。以前の生き方に誇りなど抱いていないのですから……」
包み隠さずに明かされた内容は、この人の口から出たと思えないような台詞だった。
何でもこなせそうな彼の万能さとは結び付かず、彼の物語を知っている僕からしたら尚更そう感じざるを得なかった。
以前の生き方は誇りではない…と彼は口にした。だが、彼の生き方は多くの人の心を打ち、その想いは僕のいた時代でも語り継がれていた。
「ズゥオさん。貴方は自分に自信がないというけど、貴方の生き方は何ら恥ずるべき所はなかった…。だって、貴方は多くの人を守り、国を何度も救ったじゃないですか…。最後の戦いの後だって貴方は……ッ!!」
「……カイ殿。話しはそこまでです。どうやら本当に私の正体を掴まれているようなのでお伝えしておきます。後世での私の評価などを…私は気にしていません。私が気にしているのは、あの時…私にはもっと別の選択肢もあったのではないか、という事です。尽忠報国を旨に生きている私にとって……あの時ほど辛い選択はなかった。だからこそ…今度こそ私は、自分の救いたい者達を救い…自分がお仕えしたい君主に仕えると決めたのです」
辛苦を一身に受け止めた苦い感情のままに胸中を打ち明けた。
僕には…何て言葉をかけてあげれば良いかなんて……瞬時に浮かび上がらなかった。
彼の背中に目掛けて伸ばしかけた手は一瞬たじろぎ、奥歯を噛み締めてしまった。
生前の彼の最後を知っているからこそ、その台詞の重みの前に怯んでしまう。
…こんな時、気の利いた言葉をイレーネならかけられるんだろうな。
そうだ……イレーネならこんな時でも、きっとこう言うんじゃないだろうか。
今までずっと近くにいた幼馴染の想いになりきり、伸ばしかけていた腕に力を込めて、彼の背中にポンっと手を当てた。
「……ズゥオさん、貴方にとって…僕も救いたい人の一人に含まれるんでしょうか?」
「…ッ!! 当たり前ですッ! カイ殿も、シャルル様もクワン様…キャロウェイにヨゼフ殿、イレーネ殿…ハイク殿も、皆様が困っていたならいつでも助けの手を差し伸べるつもりですッ!!」
「なら、お願いがあります。この先…再び危険な目に遭う事があるかもしれません。ヨゼフだけでも手に負えない事態だってあるかもしれない…。仲間の誰かが命の危険に晒されてしまった時、僕はつい必死のあまり貴方の本当の名前を叫んでしまうでしょう……ズゥオさんはそれでも助けてくれますよね?」
「…なッ! そ、それは……」
ちょっと意地悪っぽくお願いをしてみた。
ズゥオさんに対して狡い言い回しなのはわかっている。真面目な人だ。こうでもしないと彼は思い詰めてしまう。
この言葉の意味を彼はすぐにわかったようだ。
“自分の本当の名前と誰かの命、果たしてどちらが貴方にとって大事なものなのか……”そんな意味を暗に含めてみたのだ。
立派な志しを胸に抱いているからこそ、彼はそんな場面に陥ったとしても助けを必要とする誰かのために全力を尽くす人物だ。
自分の矜持を守るためにどんな状況であろうとも手を差し伸べてくれるはずだ。そう信じてこの言葉を彼に投げかけた。
それに、これはズゥオさんのために必要な事だと思う。誰かの命を助けた時に…少しでも自分を許すきっかけになって欲しかった。
名前を呼ばれる意味を僕は知った。ヨゼフとドーファンはその大切さを教えてくれた。
だからこそ、きっと貴方にもわかるはずだ。名前を呼ばれる本当の意味を……
「全く…カイ殿は本当に小狡い御方だ……そんな言い方は卑怯です」
「えぇ、卑怯は承知の上です。たとえズゥオさんの想いに反してでも…僕はこういう言い方しか出来ません」
「……本当に卑怯だ。だが…どうやら私は貴方を責める気になれないようだ。これが貴方なりの優しさであろう事を…顔を見ずとも声の穏やかな響きが教えてくれていますから……」
気恥ずかしそうになりながらも、ズゥオさんは僕の言葉を受け止めてくれた。
立ち上がってこちらを振り向いた時の表情には、先ほどまでの彼の声に宿っていた悲痛な声音のような暗さはなくなり、少しだけ朗らかな笑顔を取り戻していた。




