古代米
戻る道中、竹林を抜けた先に広がる小さな田んぼを横目に進んでいると、何やらおかしな光景に気付く。
収穫の時期まで後一月程はかかるであろう稲穂に目がいく。
……あれ? 僕の目が疲れているのかな? 日本にいた頃に見ていた稲穂と違うような…。
「ねぇ、ハイク。あそこに生えている作物の色って何色に見える?」
「どうした急に? …うーん、緑と黄色と……あと赤っぽいな」
「やっぱりかぁ…そう見えるよね」
明るい時間帯にじっくりと見れるようになって、何気なく見ていたら気付いてしまった。
稲の穂先は赤みがかっていた。
「何だいカイ君。あの稲が何か変なのかい?」
ふらふらと面白そうな匂いを嗅ぎつけるようにクワンさんが近寄ってくる。
一応気になった事を聞いておこう。
「クワンさん、あの稲穂って何で赤いのかな? 普通は稲の穂先は黄金に輝くような色じゃないの?」
「はぁ? 稲の先っぽは赤とか黒とか緑が普通だろう? 一体何を言っているんだ?」
「……何それ? それが普通?」
お互いの認識の齟齬に混乱し、常識の違いに悩まされる。
常識? 普通? どうやらそこに答えがありそうだけど……あっ! そっか! クワンさん達にとってはそれが普通だったんだっ!
「クワンさん! クワンさんは前の世界でもそれが普通だったって事だねっ!!」
「そりゃあそうだよ。私にはあの稲は馴染み深いものだけど…ひょっとしてカイ君の時代では違うのかい?」
「うん。僕のいた時代では黄色の稲穂で白いお米が当たり前だったんだ」
そうだった。赤、黒、緑なんて色合い富んだお米が昔の普通だった。縄文時代の終わり頃に、お米は中国から伝わったとされている。
通称それらを“古代米”という。ポリフェノール、たんぱく質、カルシウム、マグネシウムなど、高い栄養価に富んでいる米だった。
通常の白米に比べて背丈が高く、脱粒性が高いために植物としての繁殖力も高かったり、陸稲で育てられ水田でなくてもよく育つ。
四月末に種をまき、七月には開花し、十月頃に収穫をするという極早生種で、急速な成長が特徴なんだっ!
農家のお爺ちゃんお婆ちゃんに教えて貰った知識がここで役立つとは思わなかった。
古代米は凄くいい面もある分、欠点もあるから日本では廃れていったとも聞いた。
味が劣り、穂が倒れやすいなどの理由もあり、江戸時代以降の品種改良で遠ざけられるようになった。明治時代にさらなる品種改良が進み、日本の農地からは次第に姿を消していき、在来品種の赤米などは幻の存在になっていったのだ。
「私のいた時代でも白米にはしていたぞ。それは“精米”をしたからであろう? 酒を作る時には精米しないと美味しい酒は作れないからな。まぁ、精米した米はたまにしか食べなかったけどな」
そっか。昔の人にとっては精米したお米を食べるって、かなりの贅沢だったんだ。日本でも奈良時代には精米したお米を貴族達は食べていたようだけど、農民達にはそんな白米を食べれる機会なんてなかったし。
「そうだ…ズゥオさんが言ってたけど、“お酒を作るのにもう少し米に粘り気があれば”って言ってだけど、そのお米って“餅米”の事?」
「おぉっ! そうだっ! 餅米と麦麹で作れば理想的な酒が作れるんだがなぁ〜、どっかに植っていればいいんだがね〜」
やたらお酒の事になると機嫌が良くなり、かつて味わっていた夢見る味を想像し、顎に手を当て涎を垂らして喜んでいる。
…うん、よっぽど待ち望んでいるようだね。
「そのためには農耕に詳しい人が必要だよ。僕も多少の知識があるとはいえ、やっぱり専門家の知識が必要だよ。それこそ農地改革も必要になってくるだろうし」
「そうだなぁ。私も米の管理は出来ても米を作るのは専門じゃないからな。どこかにそんな人材が転がってないだろうかなぁ〜」
「ぷふふ、その辺に転がっていたらいいね」
和気あいあいと談笑を交えて、家への帰路を十分に楽しみながら朝の散歩を終えたのだった。
お米の歴史もゆくゆく少しずつ伝えていけたらと思います。




