“し”
第百八十節
そこまで歩く事もないうちに、竹林に囲まれた先にひっそりと佇む、小さな家が見えてきた。
「ささっ、ここが我らの家です! どうです、ちょっとはお洒落でしょう?」
クワンは見て見てという仕草で大きく手を家の方に向けて、自慢の家のアピールを始めた。家自体はそんなにお洒落ではない、むしろ質素な部類に入る家だろう。
けど、家を囲うように池が張り巡らされ、蓮が点々と水面に浮かび鮮やかな花を咲かせ、家の中から漏れる燭台の光が水面を照らし、ゆらゆらと揺れる水面に彩りを与えていた。
「……綺麗ね」
「あぁ、こういう趣きは悪くないな」
「でしょうでしょうっ! 華美に着飾らなくても自然の風景と調和させる事で、黄金で装飾された宮殿よりも美しくなるというものです!」
「なるほど。こういう美しさもあるんですね。ボクも素晴らしいと思います」
「なかなか皆様お目が高いようですね! いやぁ〜嬉しいなぁ。ここに住んでいる者として嬉しい限りですッ!」
「……作ったのは私ですが…」
不満というより困惑した様子で、あまり大きな声では言わなかったものの、しっかりとズゥオの本音はみんなに聞き届けられた。
「シーッ! 言わなければバレないんだから言わないでいいんですよッ! さっきは格好悪く登場しちゃったんですから、少しは私にも華を持たせて下さいよッ!」
「その発言でさらに華が失われていますよ、クワンさん」
「そんな事はないですッ! いや、あるのかな? …と、とにかく我らの住居へご案内しますッ!」
「本当に調子がいい人なのね…」
美しい景色への余韻に浸ることもなく、家へと誘導されていく。
家に近づくと、その前には黒雲達への干し草や飲み水が木のバケツに入っていた。……え? これって?
「…おい、何でもう馬達の飲み水やら飯やらが用意されているんだ? ここに俺達が来るのなんて、さっきアンタは知ったばかりだろう?」
ヨゼフはまだクワンさんを認めていないようで、名前で呼ぶ事はなかった。ヨゼフの主義だから仕方ないと思うけど、名前を聞かれたのに名前で呼ばれない事を、クワンさんは傷付いたりしないか心配だ。
「何を仰いますかっ! これから客人が来るかもしれないなら、常に想定以上にもてなすための準備をしておくものですよ!」
「…ほう。アンタの事を少しは見直したよ」
「ふふふ…それはなによりです」
饒舌な話し方や高いテンションばかり目を向けがちだけど、この人…凄い。ズゥオが僕達の事を見に来たときに連絡なんて取れやしないだろうし、そんな中でも人をもてなす可能性を考えて、まさか黒雲達のためにまで気配りをしてくれるなんて。
思った以上に出来る人なのかもしれない。
「皆さん…し……クワン様が準備して下さった愛馬達のための食事を、早速おあげになって下さい。…大分馬達もお疲れのようですし」
何かを言おうとしたズゥオは、咄嗟に取り繕うように言葉を正した。“し”? クワンさんの名前に関係する事だろうか? ついつい勘繰ってしまう。
「ありがたく使わせて頂きますぞ。さぁ、クワン様達のご厚意に甘えようじゃないか」
キャロウェイお爺さんは先陣を切って、クワンさん達の親切心に頭を下げて礼を述べ、僕達も続いて感謝の意を表してから、黒雲達に飲み水を与えながら軽くブラッシングをする。
「みんなありがとうね。みんなのおかげでまた命が繋がったよ。一杯食べて一杯休んでね」
流石に厩舎のような建物はなく、黒雲達は地面に雑魚寝で一夜を過ごすことになりそうだ。多分、雨は降る気配はなさそうだけど、山の天気は移ろいでいくものだから心配だ。
「では、そろそろ家の中に入りましょう。キャロウェイ殿の腕の傷の手当てもあります。ささ、こちらです」
ズゥオは時を見計らって声を掛けてくれた。ちょうどみんなをひとしきり愛でた後なのが、なんとも素晴らしいタイミングだった。
……この人達は凄く気配りが出来るし、先を見通す洞察力にも優れているんだろうな。今からとても楽しみな気持ちは高まるばかりで、招待された家の中に目を輝かせたまま足を踏み入れた。




