“幻の英雄”
第百七十四節
その時は、思った以上に静かに訪れた。辺りを埋め尽くす松明の明かりは、まるで死者を迎えに来る亡霊のように、非常にゆっくりとした動きで忍び寄る。
こちらを囲い込み、まるで生真面目に落ち穂拾いをする農婦のように取りこぼさないよう、僕達の事を決して逃がさないよう慎重に…ゆっくり…ゆっくりと……。
沢山の松明が絶壁の近くに迫って来ても、僕達は決してこの地から逃げ出そうとはしない。
信じると決めたのだから。大切な仲間の言葉を。その想いを。
不敵な笑みを隠そうともせず、確固たる勝利の確信を抱いた賊の顔が、松明の灯りが近づくにつれて明らかになる。
その表情には、これから子供を殺す事への迷いや罪悪感などは一切ない。むしろ、今から人を殺せるという事への狂った悦びが、その笑みの理由でもあろう。
集った賊達の中から、ゆらりとその男は姿を現わす。賊の頭だ。やはり周りの賊同様に、いや…それ以上に嘲笑するように勝ち誇った表情を見せつけるようと、こちらの方に向かって来る。
立ち止まり、こちらを一瞥すると満足そうに頷き、流暢な演説が繰り広げられる。
「逃げ惑う姿は後ろから観ていて楽しかったぞ。本当に滑稽だった。必死に逃げた挙句、最後はこんな行き止まりの逃げ場のない場所に追い込まれやがって、なぁテメーらッ!?」
「「「「「ひゃっはっはっはっはっはッ!!!」」」」」
「逃げられると思うな子供共ッー!」
「逃げようとしても無駄だぞぉー! …その足をへし折って、切り刻んで、胴体から上だけで逃してやってもいいぞぉ!」
「まぁ、最後は胴体から上の首も切られちまうんだけどなッ!」
「「「「「ひゃっはっはっはっはっはッ!!!」」」」」
下卑た笑い声はよく響き、響いた分だけ不快な想いがこみ上げてくる。
人の命を弄ぶ事を己が快楽とする者達。そこに道理や倫理などは存在しない。ようは自分達の欲望を満たせればいいのだ。人を殺すという下衆な遊びで。
「少しは抗ってみるか? 数を減らされたとはいえ、こっちは全手下共を集めた八百人がお前らを囲っているんだ。どう足掻いたとしても無駄だろうがなッ!」
バッと賊の頭が手を上げただけで、賊はこちらにより近づきつつ、扇状の地形に合わせるように密集隊形を敷き、決して僕達を逃さない陣形を展開する。
「…さぁて、あとはこの手を振り下ろせばお前達の命は終わりだ。何か言い残す事はあるか?」
余裕たっぷりにこちらを気遣うような台詞を吐く。だが、それは本心ではない。自らの優位な立場に酔いしれ浸っているだけだった。
この賊の頭にとって僕達は舞台の駒の一つでしかないのだろう。主役である自身を引き立てるような言葉を待ち望むように、立ち尽くすヨゼフを凝視している。
「………最後に、聞きたい事がある」
それはまさに待ち望んだ言葉であった。前のめりになるようにキザな台詞を連ねた。
「何だ。今なら何でも答えてやるぞ」
気取った態度を崩さないままの相手に対し、ヨゼフは素朴で大切な疑問をぶつける。
「…お前達は、今まで殺した者達への後悔や懺悔をした事はあるか?」
一瞬、場が静まりかえる。空白の時は思考を促し、その返答への猶予を与えた。しかし、その返答はあまりにも聞くに堪えないものだった。
「「「「「ひゃっはっはっはっはっはッ!!!」」」」」
「馬鹿じゃねぇーのかッ!」
「何が後悔だッ!!」
罵倒の嵐と共に、蔑む笑いが響く。イレーネは細身な身体を震わせ、ハイクとドーファンはキツく睨み、キャロウェイお爺さんは静かに傍観していた。
反応は違えど、その抱いている感情は同じだろう。心の底からわかり合えない相手がこの世に存在する事への悲しみと、紛れもなく忌むべき対象への憎悪を抱いてしまう。
「後悔? 後悔なんて言葉はとっくの昔に忘れちまったよ。そんな事をしていたら生きていけねぇだろうが。俺達は国の税に苦しめられ、追いやられてこの地に辿り着いた。国だギルドだってのも、結局は弱者を守ってくれはしねぇッ! 結局は自分で自分の身を守るしかねぇんだッ! そのためにはどんな悪事だろうと行ない続けてきたッ! これからもそうだ…お前達をここで討ち取り、その首を王都へ届けるッ! その子供の首で俺達も安定した暮らしを手に入れるんだッ!!!」
ヨゼフの後ろ姿しか見えなかったけど、なぜかその後ろ姿は酷く悲しげに映る。賊の言い分を最後まで聞き届けた時には、もはや迷いは無くなっていた。
「……そうか、よくわかった。やっぱあれだな…お前らを見逃す事は出来そうにないな」
全てを諦めたようにかなぐり捨て、賊を生かす価値がない事を示す台詞は、今の状況には似つかわしくないものだった。
なぜなら、僕達は賊に囲まれており圧倒的に不利な立場である事に変わりはなかった。
「………は? 何を言ってやがる? 俺らを見逃すだと……ぐふ、ぶふふふふ」
「「「「「ひゃっはっはっはっはっはッ!!!」」」」」
酷い冗談を聞かされたように笑い続ける賊達は、気が狂ったのかとヨゼフを貶しながら、醜悪な非難は止むことはない。
「…はぁ、死ぬ間際まで笑わようと随分必死だな。面白い……ついでに聞いてやろうではないか。こんな追い詰められた状況で、一体どうやって俺達を殺そうとしているんだ? 正義の味方さんよぉ…」
「逆だ。追い詰められたのはお前達だ」
賊の頭は笑おうとはしなかった。敢然たる態度で応えるヨゼフに対し、笑うという感情を通り越し、怒りが彷彿と湧き上がっていたから。
「……追われた身の者ってのは、あの頃の俺の姿と重なるようで、俺はお前達に同情を覚えていた。…だからこそ、お前達の考えを知りたかった。話し合いで解決出来れば一番いいと考えていた。……けど、ようやく決心がついた。お前達は俺の手で倒す」
「…なぜ、俺は逃げ続けたのか。それはお前達全員が逃げも隠れもしない、お前達が勝利を確信した瞬間を作るように仕向けたからだ。お前達全員を……たった一振りの槍で、一瞬の苦しみだけで葬ってやるためにな」
地面に向けて槍を振り払い、その一振りにただならぬ雰囲気が宿る。……今までのヨゼフは、一度も本気で槍を振るってなんかいなかったんだ。
観ている者が息を飲む所作は、それだけで周囲の者を震え上げさせるだけの威圧が含まれていた。だが、賊の頭は僅かに怯んだものの、臆することなく叫び声を上げる。
「…俺らが追い詰められているだって……ならッ! それをお前自身で証明してみろッ! 遊びは終わりだッ!! 野郎共……かかれッ!!!」
振り下ろされた腕を合図に、密集隊形を維持したまま各々の武器を手に襲い掛かろうと迫りだす。まさに軍勢とも言える数の賊が、一斉に三方向からこちらに向かってくる様は、こちらに死の覚悟を抱かせるだけの勢いがあった。
しかし、僕達はヨゼフを信じている。ヨゼフは守ると誓ってくれたんだ。こんな状況であっても、ヨゼフは語る事をやめない。言い聞かせるように静かな口調で淡々と、もはや聞かれないであろう言葉を紡ぐ。
「……わかった。お前達の決意に敬意を表し、我が槍の真髄をその人生の最後の景色に…とくとご覧あれ」
無機質な表情のまま、腰を深く落とし、槍をしっかりと握りながら、何やら小さく言葉を呟いていた。そして、次第にその槍は僅かな光を帯び神聖さが槍に宿った。
「我が神よ…我が愛する者達を守る力を与え賜え……この一閃を持って我らが敵を打ち払わん…」
葬槍は大切な者を守ろうとする槍であり、死を享受する敵への敬意を込めた一振りであった。
咆哮は大地に轟き、聞く者の耳に畏怖を与えるだけの雄叫びを───
『八百冥葬槍ッ!!!』
その一閃は…全てを飲み込み、全ての者を灰塵に帰す閃光であった。
あれだけ自身の立ち位置への賛美を並べた、賊の頭の舌の根は凍りつき、声を出す事も出来なかった。
否。声に出すだけの時すらも与えられなかった。
待ち焦がれた英雄の一振りは全てを薙ぎ払い、目の前に広がる軍勢に襲い掛かる。それなりに名のある賊であっても、それが大勢のならず者の共同体となった軍勢であっても、それら全ては無窮の果てへと───
多くの者は、かの英雄の逸話を単なる伝説と呼んだ。あるいは神話の一部と捉えた。
それはなぜか。その英雄が、多くの英雄を凌駕する程の凄まじい一振りについて、とある書物の一文に記されていただけだったから。
そして、その一振りは人が成したと思えないほどの威力を持ち合わせていた。だからこそ、かの三勇士の一人として、全ての勇士達の頂点に立ち、その戦功に並ぶ者はいないとも記述されていた。
“その槍は一度に八百人の敵を打ち倒した。”……と。
全てを一度に一蹴する槍は、王を救い、仲間と民を守ってきた。……間違いない。ヨゼフは間違いなくあのヨゼフだ。
「“幻の英雄───ヨゼフ・バッセベテ」
ヨゼフの名前が明らかになりましたね! お待たせ致しました。
ヨゼフの名前は訳によって変わってきます。
ヨセブ・バッセベテ
ヨシェブ・バシェベド
などなどです。あまりすぐにわかられたくなかったので、後の時代の言語の読み方でヨゼフと織り交ぜました。
ヒントは三という数字や、彼の王との逸話、日が始まるという具合に幾つか作中でも出てきました。
カイ視点でヨゼフの解説も込めて、次の話しは“幻の英雄 ヨゼフ・バッセベテ”です。




