森
第百六十八節
「ふわぁ〜あ…おはよう」
まだ眠たい目を擦りながら、覚束ないふらふらとした足取りでヨゼフが起きてきた。うーんっと背筋を伸ばし大きな屈伸をした。
「ん、カイはもう起きてたのか。相変わらず寝つきの悪さは、いつまで経っても変わらねぇようだな」
「おはよう! ヨゼフ! 僕、もっとヨゼフとキャロウェイお爺さんを頼る事にするよっ! これからもよろしくねっ!!」
「んあっ! なんだ起きて早々にッ!」
寝起きのヨゼフの眠気を飛ばすような勢いのままに、僕は今の感情をヨゼフに吐き出す。ガァーッと言葉を捲し立てるように。ちょっとの事じゃ動じないヨゼフもあたふたしている。
ヨゼフはこの場の光景をゆっくりと見渡しながら、大きく鼻で新鮮な空気を吸い込んで、まるでこの場に漂う空気も鼻で読みこんでいるようだった。
ふぅーっと息を吐いて、全てわかりきったようにこう言った。
「……ははぁーん、なるほどな。そういう事か。…良かったじゃねぇか、カイ。それからな……」
バシッと大きな音を立てながら叩かれた肩。けど、その音の大きさとは違って、手から伝わる重みはやけに軽く感じた。
「カイ。お前の持つ責任とか役目なんてもんは、お前だけが背負う背負う必要はない。もっと俺らを頼れ。お前の事だから、どうせハイクとイレーネのために必要以上に頑張ろうとしてるんだろうけど…それはお前の考え過ぎだ。だから、俺らを頼れ。それも、何かを頼むだけじゃなく精神面でもだ。…昨日も言ったと思うけど、俺を信じろ」
……なんだかヨゼフには僕の考えている事がお見通しのようだね。参ったなぁ…。きっとキャロウェイお爺さんもそれがわかっていたからこそ、こうして話してくれたんだ。
「…うん。わかった。信じる。それにもっと頼るよ。……精神的にも、ね」
「あぁ、それでいい。……にしても、爺さんはたった一日寝ずの番をしただけで、こうも老けちまうとはな。大分老けてるぞ?」
「たわけっ! 人は誰しも昨日の自分より老けるもんじゃわいっ! 当然の事を何を今さら…」
「はいはいっと。そういう事にしといてやるよ」
「こらーっ! 儂の言い分を聞かんか! 自然の摂理というのはな…」
二人でがみがみ言い合いをし始めて、はたから見るとこのやりとりを楽しんでいるように見えてしまう。
他愛もない会話一つとってみても、二人の仲の良さが勝手ながらにも伺い知れてしまう。
自然と他の人にもわかってしまう程にね。
「うぅーん、どうしたんですかぁ…一体? ふわぁ〜あぁ……」
「あっ、ドーファンも起きちゃったんだ」
ワーワーと周りへの配慮もない会話で、すやすやお眠状態だったドーファンが、ゆらゆらと起き上がった。
さっきのヨゼフよりも眠たそうで、まだ目はたらーんというよりダラーンと垂らしたままだ。
「おはよう。わりぃな、ドーファン。爺さんが文句を言っていただけだ」
「おはよう。すまんな、ドーファン。ヨゼフが文句をつけてきただけだ」
「………なんだか楽しそうですね。何よりです」
眠たさは抜けないままに、ぼんやりとした感想ではあったけれど、微笑ましいものを温かい目で見守るように呟いた。
「な、何だよ。その目は。そんな目をするんじゃねぇ」
「そ、そうじゃ。こっちが恥ずかしくなってくるわい」
「いえいえ、そのまま続けて下さい。ボクはいつまでも眺められますから」
「やめだやめだっ! こちとら見せもんじゃねぇんだ! 爺さん、少しだけでいいから寝ておけ。飯は軽食を準備する。移動しながら食ってくれ」
「うむ。それじゃあ寝かせて貰うとするかのう。…そうじゃ、皆の装備は整備しておいたぞ。そこに置いてある。それとカイに頼みがある。ハイクの槍の穂を柄につけておいてくれんか」
「わかりました。ゆっくりお休み下さい」
「頼んだぞ。…………グォー…シュゥ…ゴォー…シュゥ……」
「えっ!? キャロウェイお爺さんッ!!」
瞬く間に眠りについて、怪獣のようなロボットのようないびきをかいている。…は、早くない?
「まぁ、腐ってはねぇけど元冒険者だからな。すぐに寝るのもお手のもんだろ」
「へぇー、冒険者って凄いですね! ボクもこの旅の最中に覚えなくてはですね!」
「そうだね。でも、こんなにいびきをかいていたら、きっと魔物に見つかっちゃうんじゃない?」
「ぷ…ふふふ…そ、そうですね。魔物がいたら真っ先にキャロウェイさんは餌食になっているでしょうね」
「「ぷふふふ…あっはっはっはっは!」」
「……グゴッー……」
不謹慎ながらもついつい冗談を口にしては笑ってしまう。笑い声にもびくともせずに寝続けているから余計に可笑しくなって笑ってしまう。
…あれ、そういえば。
「ねぇ、ヨゼフ。ここって小さな森だけど魔物はいないの?」
「あぁ、ここにはいないぞ。俺も聞いた話しだが、ここはかなり昔からなぜか魔物が出ないんだ」
「へぇー、そんな場所もあるんだね。魔物って森ならどこにでもいるのかなって思ってたけど」
「俺もだ。魔物が出ない場所ってのはなぜか存在する。その理由はわからないがな」
「ふーん。不思議だねぇ」
ヨゼフとキャロウェイお爺さんの安心しきった様子から、完全に油断して過ごしていたけど、ここには魔物の気配やあの瘴気とかいう霧は存在していなかった。
今は朝靄が薄く張っているくらいで、とても静寂した空気が辺りを包んでいる。
「さて、ハイクとイレーネも起こして早速準備をするか。カイ、お前は爺さんに言われた事をやっておけよ」
「うん!」
隣りで寝ているキャロウェイお爺さんを気にせずに、そのまま僕だけ槍の修繕の続きを行う。修繕と言えるほどの作業ではないけど、槍の穂と柄の接合部を重ね合わせて、それを柄の上から金属の接合部材を被せて両側から挟み合わせれば完了だ。
被せ式と呼ばれる槍の種類で、主にヨーロッパとか中国、東南アジアなどで使われていた槍だ。日本でも使われていたけど、日本では主に差し込み式と呼ばれる槍が使用されていた。
槍にも色んな種類もあれば歴史もある。とても面白い。
「おはよう、カイ」
「カイは今日は早起きだったようね。おはよう」
「ハイク、イレーネ。おはよう。もう食事の準備は終わったの?」
「えぇ、終わったわ。気持ち良く寝てたけど、おかげさまで起きて早々に朝ご飯作りを手伝ったわ」
「今日は一昨日の残りのパンを焼いたやつだぞ。すげーんだ! 火で炙っただけなのに、すっげー香ばしい匂いが鼻をくすぐってくるんだ!」
「それは楽しみだね。じゃあ行こっか」
咄嗟に修繕していたハイクの槍に布を被せ、二人を食事へと誘導する。ハイクに槍の手直しをしていたのを知られるのはちょっと気恥ずかしくて、ついつい隠してしまう。
「お、来たか。早速食うぞ」
今日はイレーネがみんなを代表して祈り、それから食事をみんなで楽しんだ。こうやってみんなで食事を取る時は、誰かが代表してお祈りを捧げて食べるようになっている。
「…わ、私達の父よ。今日もご飯を頂ける事を感謝します。この食事の上に祝福を…え、えっと…みんなにも貴方からの糧が届きますように。この願いを貴方の元へ」
イレーネもしどろもどろながらも、自分の言葉で祈れるようになっている。凄い進歩だよ。奉納された魔力を見届けた後、早速パンへと齧りつく。
「このパンってのは本当に美味いなぁ! こうやってまた焼くだけで、また美味く食べられるなんてなっ!」
ニコニコ顔のハイクはよほどパンを気に入っているようだ。今までの帝国の食事と比べたら雲泥の差だしね。より感動もひとしおに感じてしまう。……うん、美味しいっ!
「でもなぁ、ハイク。美味くパンが食べられるってのも、せいぜい明日か明後日までだぞ。この時期じゃあ、そう日持ちもよくないからなぁ」
「そ…そんなぁ……ガッカリです」
あからさまに気落ちしてみせたハイクにヨゼフは慰めの言葉をかける。
「そうガッカリするな。パンの中にも日持ちするパンもあるんだぞ」
「ほ、本当ですかッ!?」
「おうとも。そのパンはな、全体が黒い色をしていてとても固くて……」
「「あれだけは絶対に嫌ッ(です)!!」」
「「ぷふ…ぷふふ…あっはっはっはっはっは!!」」
ハイクとイレーネの声は重なり合い、その様子がことのほか可笑しく目に映り、僕とドーファンは笑い出す。
その声に連れてみんなが笑い出す。これから賊を討ちに行こうとしているのに、いつも通りの朝の光景がそこにはあった。
「よし、準備はほぼほぼ整ったな。…おい、爺さん。そろそろ行くぞ」
ゆさゆさとかなりの力で揺さぶっても、いびきはいつまでも続いていた。それでも揺さぶった効果はあったようで、いびきの音色に変化が生じる。
「…グガァァァァ…グガァ……ゥ…ゥゥン……ン? あ、朝かぁ…」
「とっくの昔に朝だっつうの。ほら、そろそろ出発だ。爺さんも自分の愛馬に乗ってくれ。これは朝飯だ」
「……おぅ…」
まだ半分以上寝ぼけていても無理にでも行動に移らせ、一方的に口の中にパンを突っ込んで、キャロウェイお爺さんもなされるがままだ。…手慣れているなぁ。
「よし、それじゃあ行くぞ。この森を出て暫くすれば敵地だッ! 周囲の警戒は怠るなッ!」
「「「「はいッ!!」」」」
僕達はその言葉で、これから行こうとしている場所について思い起こす。
そうだ。こんな風にふざけたり、笑っていられるような場所じゃないんだ。僕達を、村のみんなを襲おうとしてくる敵がいる所へと、いざ行かんとしているんだ。
僕の背中に緊張が走る。…ふと、みんなの顔を見たくなった。多分、心を落ち着かせたかったのだろう。
横に並ぶみんなの顔は、いつも通りの穏やかな表情の中だった。そこには確固たる決意が秘められていた。その瞳の奥の瞳孔には、揺るがぬ想いが込められている。
コクっと一つ頷いて、ヨゼフは前へと進み始めた。小さな森の中に蹄の音が、静寂を打ち破って波打つように響き渡る。
葦の葉は未だに朝露を宿しており、僕達がそこを通るだけで弾け飛び、地面に潤いを与える。
微かに掛かる靄が視界を妨げていた。しかし、次第に朝焼けがそれらを振り払い、僕達を行くべき場所へと、その陽射しをもって導いてくれる。
「出発だッ!!」
奮い立たせる高らかな声と共に、冒険の舞台へと走り出す。
敵地の森まで書きたかったのですが、次の話しで書きたいと思います。




