“英雄とは” 一
第百六十三節
僕達はそのまま黒雲達の背に跨った。僕はまたイレーネの後ろだ。前回の布陣と基本的には変わらない。
キャロウェイお爺さんが一行に加わったので、キャロウェイお爺さんとその愛馬が隊列の最後衛に入る。
一番前をヨゼフ、二番目にハイクとドーファン、三番目に僕とイレーネ、四番目にキャロウェイお爺さんの順だ。
ヨゼフのキャロウェイお爺さんが僕達を守るような隊列を組んでくれている。ありがたい限りだ。
宿屋を後にし、村に最初に入った門とは真反対の方向へと向かう。そこにも門があるようで、そこから僕達は旅立つ。
村の中に聳え立つ風車の棟々。村の中に広がる広大な畑。人と共に暮らす家畜達。
…いい村だった。この村だったからこそ、ハイクとイレーネとの仲をもっと深める事が出来た。村の人達の優しさが、僕達の不安な気持ちを取り除いてくれたから。
亡命してきたばかりの僕達が訪れる初めての村。最初はとても緊張した。だって、僕達はこの国も知らなければ、この村の人達も知らない。
そんな状況だったけど、この村の人達は精一杯に僕達の事を気遣ってくれた。……ヨゼフの人徳もあるけどね。
それでも、やはりこの村の人達には感謝の念を抱かざるをえない。村の人達は穏やかな笑顔を持って迎え入れてくれた。食事も提供してくれた。大事な形見である服まで与えてくれたから。
自分達の暮らしだって、そんなに余裕がある訳ではないだろう。…村の人達の着ている服は、どれもくたびれたままだ。
きっと、あの巣蜜だって貴重な物だったに違いない。それなのにヨゼフに同行しただけの僕達にくれたのだ。
「ヨゼフ様、お待ちしておりました」
考え事をしていたら、いつの間にか門に着いた。そこには村長さんをはじめ、村の人達が集まっており、わざわざ見送りに来てくれたようだ。
「…見送りは必要はないって昨日言ったろ?」
多分、村長さんの家に行った時にそんな会話があったんだろうね。ヨゼフならそんな事を言いそうだもん。
「恩人が旅立つのに…どうして見送らずにいられるでしょうか? 我々の気持ちもお察し下さい」
ニコッと笑った村長さんに連れて、ヨゼフも小さく口元を緩めた。
「……それから、こちらを」
スッと差し出された小さな布の袋。それを手に取ってみたヨゼフは何かを言う前に、その袋の中身を自分の掌の上に転がしてみた。
すると、その上には土に汚れた硬貨が数枚が落ちてきた。これって…。
「これは…この村に残されている財の全てです。これだけしか我々には出来ません。情けない限りです……ですが、賊をヨゼフ様に討伐して頂いた暁には、必ず我々はその討伐に求められるだけの金貨を用意致しますッ! ……それまでは、どうかご容赦をッ!!」
バッと勢いよく村長は頭を下げる。それに続いて村のみんなも一斉に頭を下げた。…そっか、賊を討伐するって事は、それ相応の対価が必要な事なんだよね。
土に汚れたもの、時の風化にさらされ錆びついたもの、既に文字すらも読み取るのが困難なもの、王都に住む者達からすれば、そんな貨幣など価値がないと一蹴されてしまうかもしれない。
僕にとってこの貨幣の価値はわからない。そのほとんどは銅の色を帯びたコインだった。銅貨なのかもしれない。それはそれだけの依頼に合った量のお金ではないと、ドーファンのギョッとした目は告げているようだった。
どれだけの金貨が求められるのだろう。八百人の賊。そんな人数を討伐するとなると、かなりの金貨が求められるのでは……。
罪悪感が、憐れみの念が心に生まれる。本当なら…こういうのは安易に引き受けない方がいいのかもしれない。
言葉はわからないかもしれないけど、こんなやりとりを目の前で繰り広げられては、ハイクとイレーネも何が起きているのかわかっているだろうね。
キャロウェイお爺さんは下を俯いたままだ。…無理もない。この村の住人の一人だ。この光景を見ている事なんて耐えられないだろうから。
ドーファンは、ジッとヨゼフを見つめたままだ。何を考えているかはわからない。けど、その目は何かを見極めようとしているように思えた。
僕も固唾を飲んでヨゼフを見つめる。
「……この金はいらねぇ」
その言葉に全員が驚いた様子でヨゼフを注視する。
「そ、そうですか…やはりこのお金では不十分でしたか……。すみません、ヨゼフ様。ご期待に添える金貨も用意出来ずに……」
村の人達は意気消沈していた。希望を打ち砕かれたように誰しもが地を見つめて、もう上を見る事が出来ないようだった。
当然だ。差し出したものを拒絶されたのだから。そう捉えることも出来てしまう言葉。
けど、僕は下を向いたりしない。僕はその言葉を全く別な意味で捉えている。だって……
「違うぞ、村長。俺はそんな意味で言っていない。俺は金なんか要らない。必要ないと言っている」
「……どういう意味ですか?」
未だに頭の整理がついていないようで、どのような真意で言っているのかを探っているように、村長さんは聞きそうとしている。
「俺はこの金を受け取らない。もう、この村のみんなには十分な施しを受けた。貰い過ぎたくらいだ。ならせめて、賊の討伐くらいこっちからさせて欲しいってもんだ。……そうだろ、お前ら?」
後ろを向いてヨゼフは僕達に問いかける。無論、喋らない。だけど、みんな思い思いの笑顔のままに頷いた。
キャロウェイお爺さんは僕達のそんな様子を見て、目を閉じながらも穏やかな表情を浮かべていた。
「で、ですがそれではッ! ギルドへの支払いが無ければヨゼフ様の稼ぎにも影響がある筈ですッ! それに、我々の支払いを拒むという事は、ヨゼフ様はこの賊の討伐を公にするつもりはないのですか……? そんな事をすれば…貴方様の為されようとしている偉業は……英雄たる行いは……誰の耳にも届かないではありませんか…」
“英雄”。多くの村人はヨゼフが再び村を訪れた時に、ヨゼフの事をそう呼んだ。それは単なる名称で言ったものではない。
親しみと称賛の想いが込められていた。きっと、ここの村の人達は、ヨゼフの名声や偉業が知れ渡る事を望んでいる。
だからこそ、汗水流して働いて稼いだお金を受け取って欲しかった。
「それが…どうしたってんだ」
ヨゼフは強めの口調で否定した。語る言葉には誰の制止も許さない重さが含まれていた。言葉は続いていく。
「英雄ってのは、富や名声を得ようとしてなれるもんじゃねぇ。誰かを助けたいという想いを抱いている者だけがなれるもんだ。俺は己が利や名誉のために戦うんじゃねぇ。救いたいと想った誰かのために戦うんだ」
「ここの村のみんなは、俺と俺の仲間を手厚くもてなしてくれた。自分達の生活だって苦しいだろうにな……。だからもう、それで十分なんだ。俺達はこんなに沢山のものをみんなから貰えたんだ。なら、その恩に報いさせてくれ」
「俺達は必ず賊を討伐してみせる。みんなの心に安寧を取り戻すと約束するッ!」
一本の槍を天に掲げ、この村の人達に約束する。宣誓の儀のような神々しい誓いではない。そこに華やかさはなかった。
けど、僕も…そして、恐らくここにいる全員は……誰しもが心震えているだろう。
そこにはたしかな一つの約束と、英雄と呼ばれるべき一人の男の姿があった。
その時、どこの誰とも知らない村の人が声を上げた。
「…え、英雄達に祝福をっ! 勇気ある者達へ導きをっ!」
上擦った声には恥ずかしさを打ち払った勇気が含まれていた。その声音に反して、とても大きな声だった。
「英雄達に祝福を…勇気ある者達へ導きを……」
「英雄達に祝福を!…勇気ある者達へ導きを!……」
「「英雄達に祝福を!…勇気ある者達へ導きを!……」」
「「「英雄達に祝福をっ!…勇気ある者達へ導きをっ!……」」」
「「「「「英雄達に祝福をッ!!…勇気ある者達へ導きをッ!!……」」」」」
次第に声は膨れ上がり、この場に集う全ての村の人達の大合唱のように同じ言葉が繰り返される。熱は人々の間を駆け巡り、昂揚した空気はやがて全ての人の心に火を灯す。
送り出される僕達の心も高鳴らせる。みるみるうちに身体の体感温度は上昇し、誰にも見られない位置で、思わずギュッと小さく拳を握った。
そんなどこまでも木霊する声の中、村長は再びヨゼフに語り掛ける。
「…ヨゼフ様。これ以上は何も、貴方様にとって不必要な言葉を申し上げません。ただ、これだけは言わせて下さい」
スゥッと一呼吸を置いて、村長は必要な言葉だけを口にした。
「英雄達に祝福を…勇気ある者達へ導きを……本当に感謝致します。どうかお元気で…ご武運を」
「…あぁ! 行ってくる!!」
最後の言葉を言い残し、歩みを前へと進めた。ゆっくり、ゆっくりとだが確実に前へと。僕達もその後に続き、村の門を潜ろうとした。
「キャロウェイッ! ヨゼフ様を頼んだぞッ!!」
「キャロウェイ爺さ〜ん! みんなをしっかり守ってな〜!」
「おうッ! 任しとけッ!!」
気合いの入った返事と共に、門を潜り村から離れていく。だが、村のみんなの声は止むことはなかった。
後ろを振り返ると、手を大きく振って送り出してくれる人、大きな声をいつまでも叫び続けている人達がいた。
声には出さない。だけど、僕達は手を振って言葉のない別れを惜しむ。
また逢いたいなぁ……その時は必ずお礼を言うんだ。
そんな願いを胸に抱き、どんなに小さくなっても鳴り止まない声を背にして、僕達は旅を続けた。
村を出発しましたね。
次は道中についての描写となります。




