ヨゼフの頼み
第百六十一節
「カイ、カイってば…起きて下さい」
「……うーん」
「まだ寝惚けてますね、これは。……えいっ!」
ペチペチッと頬を叩かれた。…うん? もう朝かぁ。
「…おはよう……ドーファン」
まだ寝惚けた頭を使って、おはようを言えた自分を褒めてやりたい。声の主はドーファンだった。
「おはようございます。今日は旅立ちにぴったりの朝ですよ」
「…そうなんだ。ふーん。楽しみだねぇ」
「えぇ、楽しみです。……でも、いい加減早く起きないと、カイだけ置いていかれますよ」
「……ッ!」
焦らされる一言でようやくベットから起き上がった。急いでベッドに敷いてあった布を剥ぎ取り、パパッと畳んで自分の荷物と一緒に抱えて部屋を出る。
廊下を出たらすぐに曲がって、そのまま階段を勢いよく滑り落ちながら、キャロウェイお爺さんに挨拶する。
「お、おはようございます! そして、ごめんなさいっ!」
「おはよう。よく眠れたようじゃな」
「はいっ! とってもぐっすり良く眠れました」
「そうかそうか、良かったわい」
チラッと辺りを見回すと誰もいなかった。
「あのぅ、みんなは…」
「うむ。すでに準備を終えておる。馬達に飯をあげておる頃じゃろうな」
「うわぁ!! とんでもない遅刻じゃないですかっ!」
「そう慌てるな。ヨゼフから聞いたが、カイは前日の夜ちゃんと寝れてなかったんじゃろ。何やらうなされていたと聞いた。だからヨゼフは寝れるギリギリまで寝かしてやれって言っておったんじゃ」
「……そうだったんですね」
なんだか申し訳ないな。僕だけ甘えさせて貰っているようで。
「それにしても、ドーファンが行ってすぐに起きて来たんだ。カイは寝起きはいいのじゃな」
「い、いやぁ…」
「ふふ……ボクがカイを無理にでも起こす魔法の言葉を掛けたんですよ」
ぴょこんっと姿を現したドーファンは、すでに準備万端のようだ。とは言っても、持っている物なんて最初から短刀以外無かったから、ほぼほぼ丸腰なんだけど。
「魔法の言葉じゃと?」
「はい。いい加減起きないと、カイだけ置いてかれるって言ってあげたんです。そしたら飛び起きてくれました」
「それは良い事を聞いた。今度は儂がカイを起こす時にでも使わせて貰おうかのう」
「こ、今度は寝坊しませんよッ!」
二人は朝から笑い声を上げた。その声を聞きつけたかのように、外に出ていたみんなが入って来た。
「おっ、カイも起きたようだな」
「もう、ねぼすけさんなんだから。こっちは出発の準備は出来ているわよ」
「おはよう。カイ。よく眠れたようで良かったじゃねーか」
「おはよう。何から何までごめんね。気を遣って寝かせてくれていたって聞いたよ。ありがとう、ヨゼフ」
「なぁに、今日から山の中に入るんだ。馬に乗るとはいえ、かなり足腰にくるもんがあるからな。今のうちにしっかり休んでおいて貰わなきゃ、俺も困っちゃまうからな」
「そ、そうだよね。ハハハッ…」
優しさの中には大分スパルタ精神も混じっていたようだね。でも、本気で頑張らないとな。僕は体力が少ないから、あまり迷惑を掛けないようにしないと。
「さぁ、カイ。飯を食え、飯を。もうすぐ出発だからな。ちゃちゃちゃっと食っちまいな」
「う、うんっ!」
それだけ言い残すと、ヨゼフはまた外へと出て行った。
僕は言い付け通りに早速ご飯を食べ始めた。
「いただきますっ!」
勢いのままに食す。昨日の食事だけでは食べ切れないだけの差し入れが提供されてたみたい。僕が食べているのは、昨日の残りの野菜軍団だ。
僕は草食動物になった気分で、昨日の野菜の残りを食べる。ムシャムシャムシャ…ムシャムシャ…。
噛む度に骨伝導によって野菜の咀嚼音が頭に響く。急いで食べている分、鳴り響く音と速度も上がり調子だ。けど、それは決して不快なものではない。
むしろリズミカルに食べているような感覚で、楽しみながら早く食事を終える事が出来た。
「ご馳走様でしたっ!」
パパッと食事を終えて、外に出て灰汁入りの樽の蛇口を捻り、手早く食器を片付ける。
僕が朝ご飯を食べている間にも、ハイクとドーファンは昨日の残りの食材の中から、多少は日持ちする物を麻袋に詰めたり、皮袋に飲み水を入れたりしていた。
イレーネは破けた麻袋を、器用な手先で針を使って修繕していた。帝国にいた頃は機織りなどを手伝っていたからね。とても手慣れていた。
キャロウェイお爺さんは、当分の間、宿屋を離れる事もあって色々とせわしく動き回っていた。僕も少しばかりそのお手伝いをする。
みんなが使っていたベッドの布のシーツを、押し入れのような場所へと片付けたり、使用した部屋の簡単な清掃を行なった。
「うむ、これくらいでいいじゃろうな」
キャロウェイお爺さんも満足したようで、宿屋内全体を最後に確認してくるそうだ。僕は先に宿屋の外へ出て行く。宿屋の外にはヨゼフが待っていた。他のみんなの姿は見えない。
「おう、カイ。爺さんはどこ行った?」
「最後に建物内の確認をしてくるって」
「そうか。爺さんに言われた荷物も馬達に全部積み終わったから、もういつでも出発出来るぞ」
「……いよいよだね」
くるっと振り返る。短いながらも、とても濃密な時間を過ごした宿屋との別れを、ちょっとばかり名残惜しい。
「そうだ。今のうちに言っておこう。お前にだけどうしても言っておきたい事がある」
急に真面目な顔になったヨゼフは、僕の肩に手を置いた。
「いいか。この先なにがあっても、俺の言う事を信じて欲しい。恐らく、俺の言う事が訳もわからないって場面が訪れる。……その時、お前だけでもいい。俺を信じてくれ。お前が信じるか信じないかで、他の子供供も俺を信じてくるかどうかが変わってくる。頼まれてくれるか?」
いつもの悪ふざけなノリではなく、至極真面目に問いてくる。……わかっている癖に。
「ヨゼフ。僕はヨゼフが僕達の事を信じるって言った時から、僕はもうヨゼフを信じきっているよ。その質問は最初から意味のないものだって、ヨゼフも思ってたんじゃない?」
ヨゼフは鋭い視線を緩めた。静かに瞼を閉じ、再び目を開けて僕の事を見据える。
「そうだな…でも、何で俺がわざわざお前に頼んだと思う? 他の奴らじゃなくな」
「それは……」
咄嗟に答えが出ない。それを言う事に憚れるものがあった。
「あの時、お前は言っていたな。俺の正体をお前が確信した時、その時にお前はお前の正体を明かすと。その時ってのは俺達の身に危険が迫った時だってな」
「……そうだね」
「そんなお前だからこそ俺はこうして頼んだ。俺の策ってのは、みんなの事を危険に晒しちまう。俺にはそんなつもりはさらさらないがな。だが、お前達からしたら、俺のやろうとしてる事は危険極まりない事だ。そのためには俺を絶対に信じてくれるお前の存在が、みんなを信じさせるお前の言葉が必要なんだ。……頼まれてくれるか?」
さっきと同じ言葉なのに、その重みはまるっきり異なる。かなりの重圧がのし掛かる。
僕の言葉一つで、みんなの命を背負う覚悟そのものが問われているようだった。
たしかにその重みはとてつもなく重い。だけどね…それでも僕の答えは変わらない。
「……ヨゼフ。僕はヨゼフを信じる。僕の知っているヨゼフっていう"英雄"はね、どうしようもない状況であっても、どんな困難に直面しても、それでも信じてしまいたくなるような英雄なんだ。だから、何が起きようとも僕はヨゼフを信じる」
もう一度、今度は確固たる確信を持って決意を表明する。
この決意は揺るがない。だって、あのヨゼフなら……
「……助かる。何があっても、俺はお前らを必ず守る」
宣誓の儀でのヨゼフの決意の約束を、また誓ってくれた。
「うんっ! 必ず守ってねっ! 魔物が相手なら僕も頑張るからっ!!」
ヨゼフの前で両手を振り上げ、僕も僕に出来る事を頑張ると誓う。
人相手には無力そのものだけど、道中の魔物の相手なら僕だって少しは役に立てる。
「頼んだぞ…カイ」
僕の頭を軽く撫でてくれた手の中には、見えないけれども確かな信頼を委ねられたように感じた。




