イレーネ視点 三 “家族じゃないけど家族以上”
第百四十四節
あの日以来、私は自分に少しは自信が持てるようになった。嬉しい変化だった。座学の成績も上がったし、何より前向きになれた。
もうこの時には、私達三人は街での専門教育を受ける事は決まっていた。それでも成績が上がるのは嬉しいし、今のうちに勉強が出来る事に越したことはない。
あともう少しでこの学校も卒業だ。そうしたら当分の間、この村ともお別れだ。
普段は素直になれない私でも、親元から離れるのは寂しい。カイやハイクもいるけど街での生活は不安だし、勉強に付いていけるかも心配なの。
……でも、私はお父さんとお母さんのためなら頑張れる。将来、私がお金を沢山貰える仕事に就いて、そしたらお父さんとお母さんのために家を買うの。
高望みかもしれないけどカイとハイクも近くに住んで暮れれば、今まで通り三人で仲良くお話しをしたり、遊んだり出来ればいいなぁ。
カイとハイクも両親と一緒に暮らしてくれたら、ここでの暮らしのように家族ぐるみで仲良く過ごせるだろうな。
私のお父さんとお母さんは毎日忙しそうに働いている。せめて私が大人になる頃には楽をさせてあげたい。
少しだけでいいから、お父さんとお母さんの幸せになって貰いたかった。だから一生懸命頑張ろうっていられたの。
そんな私の努力を誰かが祝ってくれるように、食卓に初めてお肉が並んだのよ! 本当に美味しかったわッ! あんなに楽しくお父さんとお母さんと笑いながら食事をしたのは初めてだった……。
あぁ、こんな日がいつまでも続いてくれればいいのなぁ。そんなありきたりな、誰しもが願う望みを私も願った。
………けど、そんな望みは叶う事はなかった。
小麦の収穫も迫った頃、学校に行くと変な違和感を感じた。あのとんでもない教師から下卑た視線を感じた。
思わずゾワッとするような嫌な視線だった。……気持ち悪い。そんな言葉を口からすぐにでも吐き出したくなる悪意が込められているように思えた。
ま、まさかお肉を食べた事がバレてしまったのかしら!? そんな考えをカイに告げようとしたけど、カイの鋭い目が私の舌を制してくれた。
危なかった。私が言おうとした事は危うくカイとハイクを、私達の家族を危険に晒す事だったから。
帰り道で二人に謝ったわ。他の子達に密告でもされていたら、二人の将来も棒に振るような事だったから。
カイとハイクも怒っていなかった。……二人は相変わらず優しい。話しあったけどあの教師の視線の意味は結局わからず仕舞いだった。
私達は当分の間、自分達の行いとあの教師の動向に気を付けようという事で話しがまとまった。
一週間が経った。あの教師はあれ以来変な事をしてくることはなかった。きっと、あれは私達の勘違いだったのね。そう考えたら心が安らいでいった。
だけど、そんな考えは甘かった。学校に着いて教室でみんなと楽しく話していた。あの教師が教室に入ってきた。
その視線は、私達の事を嘲笑っているのは明らかだった。……何だかまずい展開になっている事だけはわかった。
馬術の授業のために訓練場に移動の最中だ。先生に関する会話が周囲の子達からも聞こえてきた。…どうしよう、どうすればいいのかしら。
ハイクも同じく不安だったようでカイに相談を持ちかけて、私もその話しの和に加わる。
「うん、他の子達にも気付かれる程の笑みと視線だったね。これでもう確定だ。僕達の状況はハッキリ言ってかなり不味い」
その言葉を聞いて、心臓が大きくドクンという音を鳴らした。
どうしてこんな事になったの……。私は気付かぬうちに指先は震えていたが、その震えを掻き消すように、ハイクが声を荒げて自分達の無実を叫び出す。
私はその声で現実に引き戻され、ハイクに冷静になるように伝えた。
それからカイは自分の推測を話してくれたが、それは私も考えていた事だった。あの教師は周囲のに隠さなくてもいい状況、私達に何か罰のようなものを下すことが確定した、もしくはすぐにでもそれが出来るようになったのだろう、って。
私はそれを気のせいだと思いたかった。もう目の前の現実から逃げたくなっていたけど、カイは現実から目を逸らすなと言う。
私達が何をしたか考えて欲しい。それがわかれば少しは刑罰を軽く出来るかもって言った。
その言葉で私も少しでも足掻こうと思った。馬術の授業中に必死に考えたけど、何一つ心当たりとなるものは無かった。……本当に私達が何をしたっていうのよ。
私達が走る番になったけど、私達三人は普段のような走りは出来なかった。どうしようもない不安が、全身の筋肉を強張らせ硬直させていた。
お馬さん達を連れて厩舎に向かっている最中だった。誰がその声を上げたか知らない。だけど、その声はみんなを恐怖に陥れるには充分な内容だった。
「おい! 何だアレはッ!?」
村では一度も上がったことのない緊急事態の狼煙が上がっていた。…どういう事? 一体何が起こっているのよ……。
アリステア先生は声を荒げて指示を出した。
「全員、急いで逃げるように! 両親にも仕事を中断して、共に家の中で待機することを伝えよ! 私はこれから狼煙が上がった場所に確認に行く!」
そう言ってアリステア先生は馬に跨がり、颯爽と狼煙が上がっている場所に向かって駆け出した。
そうよ。今は逃げるべきよ。急いで安全な家に帰るべきだわッ!
「カイ! 私たちも逃げましょう! 何か異常なことが起こっているわ!」
カイは一向に動かない。ずっと狼煙が上がった方向を見て、何か考えを巡らせているようだった。その間に周りの子達はみんな逃げ始めた。
もう、この場に残るのは私達三人だけになってしまった。無理にでもカイを動かすしかない!
「お願い! 動いて! カイッ!!」
カイの服を引っ張って動かそうとした。やっと動いてくれる気になったのかカイが口を開いた。けれど、その言葉は私には理解出来ない訳のわからないものだった。
「……二人共。これから僕の言うことを聞いて欲しい。これからの動き次第で、僕達が生きるか死ぬかが決まる」
どういうこと!? 生きるか死ぬかって何を言っているのよッ!! 確かに異常な事が起こっているのは、あの狼煙を見ても明らかだった。
でも、あれがどうすれば生死の問題に繋がるのか理解出来なかった。
「いいかい。もう、この村はダメかもしれない。この事は、この村で予測出来るのは僕達だけだ。村のみんなに幾ら訴えかけても聞く耳を持ってくれないだろう。だから、全員とは言わないけど、何人かは救える策をこれから二人にも伝える。頼む、僕のことを手伝って欲しい!」
そう言ってカイは私達に向かって、思いっきり頭を下げた。
……何を言っているかわからない。わかりたくない。だって、それが意味する事って……もうこの村が………
ハイクも私と同じ気持ちだったようで、目を逸らしながら反対の気持ちを表した。私もハイクに続いて、今の素直な気持ちをカイに伝える。
「……私もハイクと同じ気持ち。何より早く、お父さんとお母さんの顔を見たいわ…。ねぇ、カイ。本当にそれは、私たちがしなきゃいけないことなの? それに、カイは私達にしか予測出来ないって言ったけど、私はこの村がダメかもしれないって判断なんて出来ない。多分、カイはこの一週間の出来事からそう考えたのだと思うけど…。でも、それなら私たちに罪の意識はないけれど、私達を処罰すればいいだけの話しじゃないの? 私も……もうどうすればいいのか、カイを信じていいのか分からないの……」
私は両手で顔を覆いながら泣き崩れてしまった。
大好きなこの場所がいきなり失う可能性をカイは告げた。友達の言う事は信じたい。
……でも、そんな未来を私は信じたくない。
……そんな未来を、私は望んでなんかいないッ!!
私はどうすればいいのかわからず、泣き続けた。その時、カイが突然ハイクと私の肩を掴み、固く握りしめながら言葉を紡いだ。
「僕は変な奴だ。きっと、二人にもこれまで一緒にいた時に、何度も何度もそう思わせてきただろうね。……だけど、お願いだ! 僕は二人には死んで欲しくない! 僕に出来ることは少ないけど、僕は二人のことを何があっても守るから! 僕にとっての“家族じゃないけど家族以上”な二人と、これからも一緒にいたいから! 変な奴の言葉じゃなく、家族のような僕の言うことを信じて!」
……その言葉は、いつだったかハイクが私達に対して言った言葉だ。
友達から家族みたいな仲なんて言われるのは嬉しかったからよく覚えている。その日はなかなか寝付けずにいたくらいに。
あの時カイは、ごにょごにょと誤魔化して返事をしていた。
それなのに…今はこうしてはっきりと言葉にして、その想いを私達に真剣に訴えてくる。その目は、本当にそう望んでいる事を物語っている。
本当はね…カイが言う未来が訪れる事を今でも望んでなんかいないし、その言葉の意味自体を信用していない……。
………私は、不器用よ。どうしようもなくね…。私は私の想いを押し込めて、友達の言葉を、“家族じゃないけど家族以上”の大事な人の言葉を信じたい。
その真剣な目を…その想いに……応えないだけの理由を私は知らないッ!!
私も真剣な眼差しで僕のことを見据え、私の肩に載せていたカイの手を取り握り締める。きっと、これだけでカイはわかっているわよね。
でも、カイがわざわざ言葉にした。恥ずかしがらずに。だからこそ私も言葉でカイの想いに応えたい。
「……カイがとても私達のことを想ってわざわざ言ってくれたって、さっきの言葉から伝わってきた。あなたの想いを捨ててまで、この命を決して無駄にはしないって約束する。さぁ、何をすればいいか教えて」
私はかつて、あの時口にした言葉と共に約束を積み重ねた。
ハイクの視点はとある人物と会った後に書く事にしました。その方がハイクの心情を引き出せると判断しました。
恐らく何十節も先の事になるかと思います。




