“黄昏に想いを込めて”
第百四十一節
辺りはすっかり夜の訪れを迎えようとしていた。夜の色が深まると共に、涼やかな風がすぐ横を掠めた。
ハイクがごそごそと服の中に手を突っ込む。何をしているんだろう?
「俺、こっちの国に来て初めて蝋燭を見たよ。ほら、これが蝋燭なんだってよ。カイ」
ハイクの手に持った蝋燭は、以前の僕のいた時代の白い蝋より少し濁った色合いの蝋燭だった。これは多分……
「火を灯すと臭うって」
やっぱりっ! 獣脂を固めた物を蝋燭に使っている国は、以前の世界のヨーロッパを中心に使われていた。確かその組合もあった筈。
ハイクはテーブルに置かれた火打ち石を叩いて、すぐに火を灯してくれた。火が蝋に近づくにつれて蝋が溶け、その独特な臭いを周囲に放つ。
「うっ! 確かにちょっと臭うわねっ!!」
イレーネは鼻を摘んで、その獣臭さが残る蝋燭から少し距離を置いてしまう。
「アリステア先生が“俺は蝋燭を持ってるぞ”って自慢してたのが懐かしいな……」
そうハイクが呟いた途端、イレーネは鼻を摘む事を忘れて言葉を発したハイクの方に視線を向けた。僕も同じタイミングでついハイクを見てしまった。
ハイクは僕達の視線を気にする事もなく、火の灯った蝋燭をただただ眺めていた。その顔は、どこか懐かしい想い出を振り返っているようだった。
ポンッとハイクの肩を叩く。こちらを振り返るハイクの目は少し潤んでいるようにも見えた。
「……アリステア先生のお陰だね」
何が、なんて意味は言わなくても伝わった。アリステア先生の犠牲があって僕達は今も生きているんだ。
僕とイレーネよりも、アリステア先生と沢山の時間を接する機会があって、体術の授業を通してその授業の内容以外にも、様々な事を教えてくれる真面目で優しい先生だった。
「そうね。アリステア先生のお陰ね」
イレーネも僕と同じ言葉を重ねた。無理にその意味を含む事なく、あえて同じ言葉を口にする事でその意味をより一層引き立たせた。
感謝してもしきれない想いを、同じ言葉と言葉を重ねる事でハイクに伝える。
「………そうだな。先生のお陰だ」
ハイクも僕達の意図を理解し、その言葉の意味をゆっくりと噛み締める。自分の心のうち言葉の意味を染み込ませているような横顔だった。
僕にも何か出来ないかな。ここまで生きて来れた事への感謝を、ここまで僕達を導いてくれた大事な人達へ、どうにかして感謝の気持ちを伝えられないだろうか……。
そんな事を考えている時、ふと隣から小さな呟きが聞こえてきた。
「……ねぇ、こういう時にも”祈る“事って出来るのかしら?」
バッと振り返ると、真剣な顔でその事を考えていた事が伺えるイレーネがいた。その提案はこの上なく良い提案だった。
「うん。こんな時にこそ、祈りは相応しいと僕は思う。……アリステア先生と僕達の両親達を弔う祈りを、みんなで捧げてみない?」
イレーネの提案に乗っかる形で、僕からも二人に考えを提示してみた。
「……あぁ、そうしよう。…それがいいなッ! よし、カイッ! お前が代表して祈ってくれッ!!」
「えッ!? ぼ、僕がッ!?」
思いがけない言葉に動揺する。な、何で僕が……
「そうねッ! そうしましょうッ! じゃあ、カイよろしくねッ!!」
「ちょ、ちょっと待ってよッ! 何で僕なの!?」
二人共キョトンとした顔になった。何を当たり前な事を聞いているんだ、と既にその表情が言葉にしなくてもわかる言葉になっていた。
「だって、カイは俺達の中で一番頭がいいだろ。それに……」
「“私達のために全力で頭を振り絞って”くれるんでしょ?」
二人はニヤニヤしながら理由を語る。
いやいや、僕は二人の事を守るために全力で頭を振り絞るって言ったんだよッ! ……なんて言葉は言ったところで聞いてくれないだろう。
それに、せっかくイレーネも本来の笑顔を見せてくれている。今までの事を思い出して、イレーネに対して罪滅ぼしをしたい気持ちにもなった。
「わ、わかったよ。拙い言葉になってしまうだろうけど、笑わないでね」
事前に保険を入れておこうとしたけど、せっかくの言葉は杞憂だった。
「……笑うもんか。お前が頑張って考えてくれた言葉を、想いを、誰が笑うんだ?」
いつになく真剣にハイクは言う。……全く。
「本当にハイクは、僕が必要な時に一番欲しい言葉をくれるよね」
「そうか?」
「……うん、そうだよ」
そんな言葉を貰ったからには、僕も目を閉じて短い時間ながらも一生懸命に考える。
……これが相応しいだろうな。この想いを言葉に乗せて紡ごう。
「せっかくならあそこで祈ろうか?」
「ん? 座りながらじゃあダメなのか?」
「……こういうのは雰囲気が大事なのよ。ハイク」
欄干の近くに行くと、さっきよりも空と大地の境界線ははっきりと見えた。さっき抱いた美しい景色という感想とはうって変わり、黄昏色に夜の闇が混ざり合い、まるで天国とこの世界の狭間にいるような景色に思えた。
……人も同じようなものだろうか。歴史という壮大な括りから見れば、ほんの小さな命であり、すぐに忘れ去られるしかないだろう。
………今の僕にはこの疑問の答えを今は見出せない。きっと、未来の僕が大事な瞬間に答えを見出してくれる事に期待しておこう。
今は、この雄大な景色と移りゆく時の中で、今の僕に出来る祈りを捧げる事に想いを込める。
二人は祈るために頭を少し屈めて、自分の両手の指を組み、目を閉じた。僕も二人と同様の姿勢で祈りを始める。
……ヨゼフにあの祈りは人前でやるなって言われたからね。どこで誰が見ているとも限らないこの場所では控えようと思った。
「それじゃあ、祈るよ」
この言葉を皮切りに、言葉に想いを乗せて紡ぐ。
「我らの神よ。この祈りは貴方の元へ旅立つ者達へ、私達の愛する者達を想って捧げます。……バータル、セオラ、アラム、アール、カストゥルス、パクス、アリステア。彼らは愛する者を想いながら、大切な者を守ろうと懸命に生き、その生涯を終えました。どうか、彼らの魂に慰めを。彼らの想いに平安を。彼らの歩みに安らぎを。貴方のご加護を彼らの魂へ与え給え」
祈りを終えると同時に、僕達の魔力は天へと昇っていく。
心なしか、イレーネの脇に丁寧に置かれた杖の魔石が強く光った気がした。
翡翠色の魔石からも誰かの魔力が奉納され、共に高く天へと昇っていく。
その魔力はまるで、天の神に亡くなった僕達の両親、アリステア先生の魂が向かっているようにも見えた。
とても綺麗で幻想的な光景だった。
「……ありがとうな、カイ。わざわざ俺達の父ちゃんと母ちゃんの名前を言ってくれて」
「えぇ。……本当にありがとう」
「名前を言うのは当然だよ。名前は大事だってヨゼフもドーファンも言ってたでしょ」
ハイクのお父さんの名前はアラム。お母さんはアール。
イレーネのお父さんの名前はカストゥルス。お母さんはパクス。
二人の両親の名前は知っていても、普段はおじさん、おばさん呼びだったからね。初めて名前を呼んだと思う。
……いま思えば、名前の後におじさん、おばさんって呼んでいた方が、二人の両親も嬉しかったのではないだろうか。
「……そろそろここを片付けて、ヨゼフ達のところへ行こうか」
「そうだな」
「えぇ、そうね」
父さん、母さん。僕は二人に言いたい事は言った。だけど、二人には言ってない事がある。父さんと母さんの想いを紡いでいく事が、僕の中で一番大事な約束だ。
「僕達は“生きて、生きて、生き抜いてみせるよ“」
僕は黄昏の空に向かって、誰にも聞こえない独り言を呟いた。
黄昏時も、終わりを告げた。
ハイクとイレーネの両親の名前は前もって決めていたのですが、決める段階の時はいつも通り時間が掛かっていました。今では懐かしい思い出です。
本来はこの話しはヨゼフの正体がわかった後、“141”節に書こうと決めていました。宿屋の話しはさらっと流す予定でした。
しかし、宿屋での物の話や背景がわかるものをもっと書いた方が丁寧だと思い、途中から宿屋での出来事に重きを置いて書いていたら、ヨゼフの正体を明かすのは無理だと断念して現状に至ります。
“141”に拘ったのはゴロ合わせです。無理矢理のこじ付けに近いですが……。この節には、筆者からカイ達へのとある想いを込めて綴っています。
第百三十節から時間帯に言及していますが、わざわざ黄昏時に祈った事をぜひお読みの皆様には考えて貰えたら嬉しいです。投稿時間もわざわざこの時間にしてみました。
小麦の収穫についての描写を入れていたのは、この場面を書くために書き始めた時から決めていた事でした。季節外れの紫苑の花について後書きでも解説していますが、この時の季節は夏です。
やっとここまで書けて嬉しいです。
最後の一文に込めた想いを拾って頂けたら、なお嬉しいです。解説などはしないので、読者の皆様のそれぞれの解釈を楽しんで頂けたらと思います。
次は予告通り、ハイクとイレーネの視点からの話しを書きたいと思います。




